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2015/06/17

私の幻の学内駅伝、そして合宿



学内駅伝を戦った5人の学生達.合宿1日目に訪れた「コウモリが棲む洞窟」の傍で.


 先日の6月13日、この日は、私にとって、この3ヶ月間、意識し続けてきた日だった。

 それは、この日に「学内駅伝」なるものがあり、大学の学生、教職員が5人1チームで参加し、優勝の栄冠を競う日だったからだ。

 走路は大学キャンパス内の外周で、一周1.05kmを、1走とアンカー(5走)は2周、24走は1周走る駅伝だ。

 私は、約3ヶ月前にその大会のことを知り、是非、ゼミの学生と一緒に参加し、アンカーでゴールを切りたいと思ったのだった。

 もちろん、夜、帰宅してから練習をした。
 人々の居住地の窓から漏れる光の間、田んぼや畑の間を、キャンパスのゴール地点で歓声に包まれながらゴールする自分の姿に酔いしれながら黙々と走ったのだ。

 一方、その日は、午前中の大会の後、午後からは、2年前に卒業した学生達が帰ってきて、ニホンモモンガの調査でよく行った(現在も行っているが)芦津渓谷の麓の集落で、現役のゼミ生も参加した、1泊2日の合宿を計画していた。卒業した学生達は、4年間交流があった地元の人達との懇親会を楽しみにしていた。

 結論から言おう。

 私は、13日の4日ほど前から体調を崩し、微熱を伴なった体のだるさに見舞われたのだ。

 さてどうするか。
 これまでの経験からいうと、この状態は1週間程度は続く。一体どうしたらいいのか。私は人知れず苦悩の日々を送ったのだ。

 でも、立ち止まるわけには行かない。
 私は前にすすまなければ。 
そして私は責任ある決断を下した。断腸の思いで駅伝への参加を取りやめ、極力休養に努め、合宿だけは予定通りやり遂げる方向に切り替えたのだ。

 幸い、私の替わりに、ゼミ4回生のKくんが走ってくれることになり、精鋭の4人のゼミランナーと合わせて大会は無事終了した。
 順位は9位であったが(参加チーム数は、正確なことはいわないが、もっと多かったことは言うまでもない)、私なりに一人ひとりの頑張りを見ながら感動した。

 さて、それに続いて、あわただしく最後の準備をして、芦津に向って出発した。
私が運転する大学の車(8人乗りのデリカ)と、Kくんが出してくれた車に寝袋や網、ウェダー、鍋などを積み込んで出発したのだ(でも、現地で分かるのだが、イマイチの体調と、それに伴なって働かない頭が、重要なものを幾つか忘れてしまっていた)。

 私の体調がイマイチだったものの、合宿は結構充実していたと思う。もちろん2年前に卒業したゼミ学生達との再会はとても楽しかった。

 ちなみに、今、私は悩んでいる。
 
 来年、学内駅伝の開催がアナウンスされたとき、私は、ゼミの学生達に「一緒に出よう」と言ってもいいのかどうか。
 今年の、“強引な言いだしっぺのドタキャン”について歴史的に記憶がほぼ消えてしまってからにすべきではないか、とも思う毎日である。


 人生、いろいろと悩みは尽きない。