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2015/09/05

絵画と部族の言い伝え


今日は私が描いた絵を題材にしたい(これに似たセリフ、最近ブログで使ったような気がする)。

 絵が好きな方なら、この絵の構成がシャガールに似ているのでは、と感じられた方もおられるのではないだろうか。
 それは当たっている。私はシャガールが大好きなのだ。
 そしてこの絵には、ゴッホの要素も入っていることもわかっていただけるだろうか。ゴッホも私は大変好きなのだ。

 ゴッホは、当時台頭しつつあった印象派に大きな影響を受け、でも、その画作のなかに対象の骨格となる構造の弱さを感じ、独自の表現にたどり着いた・・・それが私の解釈だ。

 ゴッホは生きる意味、意義を問うて生きた人物で、生きる指針になる何かを(それはヒューマニティー:人類愛に近いものだった)求め続けた・・・と私は思っている。だから、反射する光だけで対象をとらえようとした印象派に物足りなさを感じ、確固たる構造を絵の中に持ち込みたかったのではないだろうか。

 動物行動学的に言えば、ホモサピエンスの脳は、ある幅の中で変異(個性と言ってもよいだろう)をもち、それぞれの脳の個性が、安定する認知を探して、脳内のさまざまな領域の組み合わせを試みながら表現する・・・・。
その宿命的な脳の性質が、いわゆる芸術の基盤となり、幾つかの芸術は、対象についての新しい認識を生み出していくのだろう。

 新しい認識!それが動物の生存繁殖に有利に働くことが多かったことは想像に難くない。
 レイヨウの習性を、光との関係、水との関係によって見出したハンターは、狩猟の成功率を上げることが多かっただろうし、その習性は、言い伝えとして比喩も使われながらその部族に伝承されただろう。
 そういった意味で、科学と芸術とは兄弟姉妹なのである。優れた科学者が優れた芸術家であることが多いのは(たとえばアインシュタインやコンラッドローレンツ)歴史が示している。


 さて、冒頭の私の絵を見てみよう。部族の言い伝えの表現のようには見えないだろうか。