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2016/05/03

海辺の住宅地のネコとカラス


上の写真は、今年の4月半ば、7鳥取港の近くの海辺の人家脇で見た光景だ。
ネコとカラスの、緩くて、でも何かしら緊張した距離感がいいではないか。
2匹ともいろんな記憶を背負って懸命に生きていることは確かだ。

私は森や海や里山や里海や、そして大都会が(結局どんなところでも)好きだ。さまざまな野生生物や里地生物、そしてホモサピエンスが見えるからだ。

大仰に聞こえるかもしれないが、私はそれらの生物を、進化の産物として見つめる。それぞれの形や動きの意味を問いながら見つめていると、どこでもとびっきりのフィールド地になるのだ。

いっぽうで私は、そんなフィールド地の生物を見ながら私自身の中に湧き起こる心理や感情にも目を向ける。自我のなせる業だ。私自身の脳も進化の産物なら、湧き起こる心理や感情もまた意味があるのだ。

日本では、最近、ネコがブームだ。もちろんさまざまな要因が重なり合ってその現象は生まれているのだろう。でもその要素の中に、進化の産物としてのホモサピエンスの脳に備わっている次のような性質が関係していることは確かだと思う。

・同種(ヒト)の幼児を可愛いと感じる性質
・適度に相手の心を読み取り、心を通わせることに快を感じる性質
・ヒト以外の動物の習性に関心をもつ性質
・生命の存在を身近に感じることに快を感じる性質

ここからは私の切なる思いだ。

ネコが好きなら分かっていただけると思う。自然の中で生きるさまざまな動物も、習性の差こそあれ、ネコと同じように懸命に生きている。地球の中で一番大切なのはもちろん人間だ。でもそのうえで、身近や、そして身遠な野生動物のことに、できる範囲で気を配り、可能な範囲で我慢することも大切なことであり、それは自分の幸せにつながることにもなるのだ。

ナンチャッテ、と言いたいところだが、今日は言いません。