小林朋道公式ブログ:動物行動学者。野生生物と3日ふれあわないと体調が悪くなる。 主な著書は『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます! 』、『通勤電車の人間行動学』、『人間の自然認知特性とコモンズの悲劇』など
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2016/09/10
ヒトはなぜストーリーを作りたがるのか?白い雲の竜を見たナンチャッテ
先日、山に向かって車を走らせていたら、前方に、私の頭の中の竜の姿にとてもよく似た雲(中央あたりの木の上の位置である)が、右手の山のすそ野から、家々の上を左へと動いていた。
”頭部”の後ろには多少薄くはあるがしっかりと胴体が続き、何やら「村の守り神の竜が村を被うようにゆっくりと移動している」といったような印象をもったのである。
これは、私が、いろいろな記憶と場面を融合させて作った一種のストーリーだ。
そして、こういった類の話は世界各地に残っている。
結論から言うが、動物行動学の視点からは、次のような指摘ができる。
ヒト(の脳)が、自分の生存繁殖に必要な、さまざまな記憶をするためには、各々の事物事象を単独で別個に記憶するよりは、それぞれの間につながり(例えば因果関係)を想定して記憶したほうが効果的であることが知られている。
つまりそれがストーリーなのではないだろうか。
アメリカの動物行動学的人類学者エレン・ディサーナーは、芸術とはもともと「特定のものを、皆の記憶に残るような”特別なもの”にしようとする衝動が生み出す行為、あるいは作品であり、それは個体の生存・繁殖に有利であっただろう」と述べ、その分野では一定の評価を得ている。
絵画、文学、映画、等々、確かに、芸術的とみなされる作品は、感情を大いに刺激して事物事象を深く心に(脳に)刻む特性がある、とはおもわれないだろうか。
「村の守り神の竜が村を被うようにゆっくりと移動している」・・・その映像は私の心に確かにある種の雄大さと人々の営みを思う感情を沸き立たせた。
もっとも、数日後には忘れ去ってしまうかもしれないが。何せ、ちょっと驚くリアル生物の世界に刺激されることが多いので。
そう、私にとっては自然の中に芸術が、アートがごろごろしているのだ。