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2016/12/23

「ロッキー:クリードチャンプを継ぐ男」 ― 人間の脳が外界からの情報(たとえば映画の映像や音声)を取り込んだとき、それは大まかに2つの経路で情報処理される。


私はプロボクシングを見るのが好きだ。(男の子だねーー)


久しぶりに映画(レンタルDVD)を見た。前半の1/3程度だけど。
「ロッキー:クリードチャンプを継ぐ男」という比較的新しい映画だ。あまりにもベタなのでちょっと迷ったが借りてしまった
もう、見る前から、「ほとんどストーリーがわかる」・・・みたいなコテコテの内容であることは分かったが、それでも・・・・借りてしまった。(男の子だねーー)


そして改めて、次のような2つのことを思った。

①映画の中には、その時の自分の状態にも大きく左右されるが、自分を癒してくれたり、元気づけてくれたりする映画もある。

②”見る前から、ほとんどストーリーがわかる”ような映画でも、心が動いてしまう理由は、やっぱり次のようなことだ。(このアイデアはこれまで本などで何度も書いてきたが)

 人間の脳が外界からの情報(たとえば映画の映像や音声)を取り込んだとき、それは大まかに2つの経路で情報処理される。

 一つは扁桃体を中心とした(言葉はよくないが)原始的な脳領域へと直接届いて、感情を沸き立たせる経路。
 もう一つは、大脳を経由して、そこでさまざまな記憶などとも照合され、分析され、原始的な脳を調節するように作用する経路。
(ちなみに、2つとも、人間の健康な生活(生存や繁殖)には不可欠な脳内経路である。)

 そして、いくら”見る前から、ほとんどストーリーがわかる”ような映画であっても、それが前者の経路を通ったとき、後者の経路が「もうわかっていることじゃないか」、「これは商品として作られた架空の話だ」・・・・と分析しても、やっぱりストレートに心を動かすのである。

 これも余談だが、いわゆる「オレオレ詐欺」の幾つかの事例では、電話を受け取った人の脳内では、後者の経路が働いて、いくら「これは嘘の可能性がある」と分析しても、前者の経路が強く働くと後者の経路からの作用を振り切って不安が高ぶり”振り込む”という行動に移る・・・そんなことが起こっていると私は考えている。

 さて、私は、これからも、脳内のこのような二つの経路の作動を被りながら生きていくわけだが、少なくとも「こういった2つの経路がある」という知見をしっかりと意識しながら、例えば、つらくても、苦しくてもがんばろうと思う。

  明日は山へ行くのだ。