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2015/08/31

最近ペットとして人気があるらしいデグーという動物

顎の下を撫でてやると目を細めて気持ちよさそうな顔をするデグーのドグー(タイプミスではない。本文を読んでほしい)


ドグーのケージの掃除をするMさん(左)と、Mさんの手を毛づくろいするドグー(右)

  ここだけの話だが、また、私が言う資格があるのかどうか分からないが、私のゼミの学生は、個性豊か、というか、オリジナリティーに富んだ、というか、独創性豊かなというか、まーそういった学生が多い。「先生には言われたくない」と言われそうだが・・・。

 ゼミ室の海産水槽のことは何度かお話ししたが、他にも動物がいる。
 デグーという、最近ペットとして人気があるという南米産のネズミがいるのだ(ゼミ室でガッツリと動物を飼ったらだめだろが)。飼っているのはHさんで(Hさんは、ゼミ室に、ペットのヘビも連れてくることがある。最近、いつも連れてくるので、もうゼミ室で飼っている、と言っても間違いではないだろう)、デグーの飼育ケージや、周辺に散らかるゴミを掃除しているのはMさんだ。

 私は日本在来の野生動物の保護に関心があり、外来種であるペットには関心を示さないようにしているのだが、私がどうあがいても、もうすでにいるのだからどうしようもない。
 デグーなるネズミがどんな動物なのか、先日、掃除をしていたMさんに聞いてみた。

 Mさんは、ケージの入り口を開いて、「ドグー、ドグー」と呼んだ(Hさんはデグーにドグーと言う名前をつけている。ややっこしいだろが)。
するとどうだろう。ドグーは、Mさんの手のところまで来て、Mさんの手をやさしく毛づくろいするではないか。

Mさんが、頬を撫でてやると目を細めてほんとに気持ちよさそうな顔をするではないか。ちなみに餌は乾燥した草や穀物だそうだ。

分かった。私くらいの研究者になると、もう分かった。
デグーという南米産のネズミがもつペットとしての魅力、どんな群れをつくってどんな暮らしをしているのか、どんなところに棲んでいるのか、大体、想像はつく。

デグー・・・・、確かに人気が出るはずだ。
そして・・・・、愛すべきゼミ生なのだ。

2015/08/28

私が描いた動物とヒトの絵 その7



 久しぶりに私の描いた絵をネタにしたい。

 誰しもそんな気分になるときがあるのだ。つまりその、絵を描いたとき、絵に込めた気持ちを思い出したくなるようなときが。

 この絵には、世の中の不条理と、それに立ち向かおうとする思いが満ち溢れているではないか。

 動物たちの本質を黒の絵の具から白で削り取って現し、ヒトの、対象を見る姿勢を研ぎ澄ませようとする意志を現そうとしているのだ。

 私の大好きな画家の一人、ミロはあるとき、その躍動する筆さばきの秘密を聞かれ、こう言ったという。

「どの線も、ナイフのように鋭くなけらばならない」


 鋭く対象を捕らえなければならないのだ。

2015/08/27

一人ぼっちで大学に残るコシアカツバメ


 上の写真は、大学の玄関に一羽だけ残っているコシアカツバメである
私の目に狂いがなければ(狂っている確率は約50%)、この個体は、今年生まれた、まだ子どものツバメである。
なぜ親たちについて大学を離れなかったのか?・・・その理由が私には分からなくて、このツバメの近くを通るたびにいつも思ってしまう。
とにかく。かわいそうに思えてならないのだ。

「かあちゃんや父ちゃんはどうしたの」、さすがに、近くに人がいることが多い玄関先なので声には出さないが、そう声をかけずにはおれないのだ。

このツバメは、親たちが玄関の壁に作った巣で子育てをはじめてから、そのままここにい続けたわけではない。コシアカツバメたちが大学からいなくなってしばらく月日が経ったある日、突然あらわれ、それから、もうかれこれ10日以上、玄関にとどまっているのだ。
もちろん餌はどこかで食べているのろう。

私の密かな推察は次のようなものである。

このツバメの子は、親たちや仲間たちと一緒に、秋に南に向うときのための準備に、大学を離れ、河原や草原を移動していたのだが、強い風雨に見舞われはぐれてしまったのではないだろうか。

そしてこの子は、親たちの場所が分からなくなり、そんなときに思い出した、自分が巣の中で育てられた場所、つまり大学の玄関に帰ってきたのではないだろうか。

私の予想では、やがてこの子ツバメの体の中で変化が起こりはじめるに違いない。その変化は脳を介して子ども言うに違いない。
「南に向え!」と。

そして子ツバメはおそるおそる出発するだろう。南に向って。
おそらくに厳しい旅になるに違いない。でも頑張って旅を続けていれば必ず仲間の群れに遭遇するはずだ。
そうしたら彼らと一緒に旅を続ければいい。

そして子ツバメは赤道付近の島で半年を過ごして成長し、来年戻ってくるだろう。再び、ここ、大学の玄関に。

いい話だ。

きっとそうなるだろう、私の目と頭に狂いがなければ。