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2015/11/26

秋の、ある日


秋の、ある日。
一頭、二頭、三頭、四頭、五頭、六人、七頭.

2015/11/25

Nくんと絶滅危惧種のスナヤツメ


 先日、ゼミ生のNくんと、スナヤツメという、現在、大変希少になってしまった魚の生息地に行った。生息地の水場の底土を採集するためだ(実は、Nくんがかなり前に、労力をかけて底土からつくっていた実験に使う土標本を、実験室の大掃除のとき、それとは気づかず私と他のゼミ生たちが捨ててしまったのだ)。

 スナヤツメは、「顎の骨がない」という、現在の硬骨魚の祖先の形質を今に残す原始的な魚で、 現在、生息地の減少からとても希少な動物になっている。
 孵化してから数年間はアンモテーシスと呼ばれる幼生期を経て成魚になるという奇妙な特性も備えており、その幼生が砂の中にもぐって生活しているのでスナヤツメと呼ばれるのだ。

 そういう意味もあり、彼らがどんな生息地を好むかを知ることは、絶滅危惧種の保護のために重要なことだ。

 幼生が生息できる環境に関してこれまでわかっていることは、粒径がとても小さい砂の堆積する水場が必要ということだ。
 いっぽう、Nくんが、実験を通じて新たに見いだしたことは、小さい砂の中に、葦などの植物の枯葉断片が混じっていると、幼生はさらに喜ぶ(つまりそちらのほうをより好む)ということだ。

 確かに、これまで見つけてきたスナヤツメの幼生が生息する水場周囲には大抵、葦が繁茂している。
Nくんの発見は、スナヤツメの生息地の保全という意味でも重要な発見になる可能性があると思っている。


左側がスナヤツメの幼生、右側がドジョウ.一見似ているが全く別の種類だ


 今頃Nくんは、採集してきた底土から、粒径の大きさ別に分けた標本をつくる作業を、黙々とやっているに違いない・

2015/11/22

ペンタ、GM(グリーンモンスター)に襲われる!



先日、機能といい、デザインといい、バッチシの貝殻を手に入れたペンタであったが、同じ容器で暮らしているGM(グリーンモンスターと呼ばれている、というか私が今思いついたのだが)も、その貝殻に魅了されたのか、なんとペンタの貝殻を乗っ取ろうとしはじめたのだ。

ペンタの貝殻の入り口に鋏脚をこじ入れ、ペンタを引きずり出そうとしているのだ。
下の動画を見ていただきたい。



ペンタ危うし!

しかし、ペンタも頑張った。
そしてやがて、ペンタは、オカヤドカリが、相手を威嚇するときなどに発するといわれている声(脚を殻の内面にこすり付けて出しているのだろう、とか推察されているが本当のところは分かっていない)発しはじめた。
「やめろ、向こうへ行け!行かないと・・・・・特に何にもしないけど・・・、」
みたいな感じだろうか。
下に、声を発するペンタの動画を載せてた。




やがてGMはペンタの頑張りに、乗っ取りを断念して去っていったのだった。

ちなみに、こういった乗っ取りによって、貝殻から放り出され殻を奪われる場合もときどきあるのだという。
いや、ペンタはよく頑張った。

2015/11/16

いつ見ても、芦津のモモンガは可愛い




 先日、ゼミ生のYsくんと、鳥取県芦津のモモンガの森に、巣箱の交換をしにいってきた。

 8年前に設置してから2度目の交換である。
 今度の巣箱は、耐水性に優れた、多分、今までの巣箱よりかなり長持ちするはずである。
 ただし、巣箱が古くなったとはいえ、もう使えないというわけではない。



 古い巣箱にモモンガが2匹入っていた。
 モモンガはいつ会ってもカワイイ顔をしている。



 ちなみに、私は、「芦津モモンガプロジェクト」と名づけた、モモンガの生息地を守る取り組みを続けている。もう8年になる。

 「希少な野生動物や、その生息地を守るためには、その動物の存在が、地域の人達に、目に見える形で利益をもたらすような仕組みをつくればいい」という発想が原点である。

 その活動の中の一つは、地元の大工さん達が地産の杉をつかって、モモンガをシンボルにしたグッズをつくり、ネットで販売する、というものである。モモンガショップと呼んでいる。
 今年で5年目になる。今は初期のころほどには売れなくなったが、注文はある。プロジェクトの趣旨に賛同してくださる人が、新しいグッズができたら、常連のような感じで買って下さるケースもよくある。



 えっ?モモンガショップの場所をお知りになりたい。
 どうぞどうぞ。場所は下のサイトだ。

芦津の森のモモンガショップ
芦津モモンガショップ ←新しく作りました 

2015/11/15

オカヤドカリが脱皮した!


 飼いはじめて半月ほどになるオカヤドカリの一匹、オカちゃんが、このたび、めでたく脱皮した。

 最初その光景を見たときは、ぎょっとした。いったい何が起きたんだ。オカちゃん、こんな姿になっちゃって!

 ところがオカちゃんがいつも入っていた貝殻をみると、中には元気そうなオカちゃんがいるではないか・・・。そしてすべてを理解したのだ。私は。

 でも不思議なこともいろいろある。たとえば・・・なぜ、オカちゃんの脱皮殻の“下半身”(生物学的には腹部)が無いのか?

 私の予想は、「下半身脱皮殻はオカちゃんが、食べたのだろう」だ。
 ちなみに、脱皮殻や脱皮皮(古くなった皮膚)を食べる動物は少なくない。アゲハチョウの幼虫、コオロギの仲間、ザリガニの仲間、カエル、イモリ、・・・・脱皮した組織に残っている栄養分を無駄に捨ててはしまわない、ということだろう(ではなぜ上半身は食べなかったのか?硬い過ぎたから?)。

また、脱皮して一回り体が大きくなっているはずなのに、なぜ、元の貝殻にぴたっと入り込んでいるのか、等々。

 脱皮のお祝いに、一回り大きい貝殻を上げてみよう。

2015/11/12

雄のキクガシラコウモリだけが秋を過ごす場所



これまで7つの、中にコウモリがいる古墳を見つけたが、それらの古墳にいたのは、例外なく、「1匹のキクガシラコウモリの雄」であった。

この「キクガシラコウモリ」という情報と、「1匹の雄」という情報は、次のような意味で、日本に生息する洞窟性コウモリについての理解に寄与する。

1.古墳の中は、天然洞窟や、廃坑、水路などの人口洞窟と違って比較的湿度が低い。そういった場所をねぐらに選ぶコウモリはキクガシラコウモリだけだ。
2.これまで多く事例を見てきたが、比較的狭いねぐらに単独でいるコウモリは、キクガシラコウモリの雄だけだ。

下の写真は、大学から車でほんの数分のところにある古墳である。先日、キクガシラコウモリの糞が欲しかったので中に入ったら、案の定、キクガシラコウモリが一匹、天井からぶら下がっていた(ブログ一番上の写真と一番下の写真。)

愛嬌のある、立派なオスだった。



真ん中に見えるのが、古墳の入り口.落葉樹が葉を落とし秋のたたずまいが心地よい.




古墳の中の様子




2015/11/08

オカヤドカリと暮らす(そんな大げさな!)


海へ行ってきた。
海も空もきれいだった。
風がもう少し穏やかだったらもっとよかったのだが。


 そのまま大学へ行ったのだが、今、家で飼っているオカヤドカリのために砂を少し持って帰った。

 オカヤドカリはとても魅力的な動物で、いろいろ興味深いテーマを提供してくれるのではないかと思っている。特に、“認知”に関する。

 ところで、オカヤドカリや海水中に棲むホンヤドカリを、体を傷つけることなく貝から取り出す方法をご存じだろうか。

 答えは、「貝殻の上に熱したハンダゴテを当てておく」だ。
 物騒に聞こえるかもしれないが、無傷で済む。宿である貝殻が熱くなってヤドカリは自ら殻から出てくるのだ。
 もちろん力まかせに取り出そうとしてもまず無理である。
 先日、生物の授業のイントロで、オカヤドカリでそれをやったら学生たちは驚いてくれた。そこから、「動物の分類」についての話に移ったのだ。
 オカヤドカリは、節足動物門、エビ綱、オカヤドカリ科という分類になる。つまりエビの仲間なのだ。
 殻に入れて防御している腹部をみればそれがよくわかる。

 ところで、最近私は、オカヤドカリに関するある現象に注目している。
 それは「ヤドカリの頭部や鋏脚の色が、各々の個体が入っている貝の色に似ている傾向がある」ということだ。

赤円の中に、それぞれのヤドカリの頭部胸部がある.殻の色と似る傾向がある

 日中に貝殻に入ってじっとしている時(オカヤドカリは基本的には夜行性だ)、天敵に見つかる可能性を低くするためだろうか。

 もし本当にそういう傾向があるなら、オカヤドカリはどうやって貝殻の色と同じになるのだろうか。
 自分の体色と同じような貝殻を選ぶのだろうか。貝殻に入ってから色素細胞を調節するのだろうか。
むーっ、ちょっとありそうにもないか。でもひょっとしたらあるかも。

 まー、そういうわけで私は今、家でオカヤドカリと暮らしている(そんな大げさな!)。

2015/11/07

窓枠を切り取った風景が美しいわけ


 上の写真は、最近、大学の建物の中から外を見て、きれいだなーと感じた風景を、窓の枠も入れ込んで撮ったものである。

 わたしは大学の中を移動するとき、いつも(会議の時間に遅れそうになって大変急いでいるようなときは別として)窓からの景色を眺めるのが習慣になっている。

 ところで、皆さんは、“枠”が付くと、風景も魅力を増すことを経験されたことはないだろうか。

 私はよくある。そして、その理由を考える。
今のところ、「手前と向こうの奥行きが強調されてできる“空間”という要素が美しさ感覚を増す」とか「たいていは外よりも暗い色の枠の存在によって、景色の色が、より鮮やかに感じられる」、「枠が風景全体に秩序の素を提供し、美しさ感覚を増す」といったことが頭に浮かんでいる。
 それは、写真を額縁に入れるとなにか素敵になることと同じだと思う。

 そして、その根本には、「我々の脳は、幾分複雑なものの中に秩序を見出したとき、つまり、対象をうまく把握したとき“美しさ”感を体験する」という私の持論があるのだ。

 動物にとって対象把握の成功は、生存や繁殖に有利であり、有利な体験をしたとき、快さ(その一つが“美しさ”感)を感じるのである。

 オモシロミノナイハナシデゴメンナサイ オヤスミナサイ

2015/11/04

涙が出ました


 私くらいの、内面が成長してない子どものような大人になると、誰かの一言で涙することもある。

 今、「先生、○×が▽□しています!」というシリーズ本の第10弾を書いているのだが、野生動物とふれあいとは別な、日々の生活の中でしんどいこともいろいろある(それは誰でもそうだろうが)。
 自分の意に反して行動しなければならない時もあれば、体や頭がだるくて仕事がつらい時もある。学生たちに、申し訳ないなーと思うときもしばしばある。

 一日の大学での仕事が終わって、何気なく、私の本へのレビュー(感想)を見ていたら、第9弾を読まれた方の一人が次のように書いて下さっていた。

「・・・1年で1冊しか出ないですが、毎年楽しみにしています。
・・・・・・・最後の最後に。体調があまりよろしくないというのが心配です(私が本の導入部にそんなふうなことをちょっと書いていたのだ)が、無理をせず、研究を続けていって下さい。本は楽しみですが、お体が大事です。お大事にしてください。」

 私は涙が出た。

 第10弾もコウモリやモモンガやヤギが登場し(ほかに、予定ではサカナやイヌやトチノキも)、コウモリの一般的な評判がいまいちよくない中で、これで本を読んで下さった人に「読んでよかった」と思ってもらえるかどうか真剣に迷い、書く力が弱まっていくのを感じつつあるこの頃だった。でも上のような感想を聞いて、元気が出た。

今日の夜、ちょっと頑張って書いてみよう、と思ったのだ。
そして本当に今から書こうと思う。

2015/11/03

ヒメイチゴの完成体


たびたび同じネタで恐縮だが、先日「TUES25年度卒業生の皆さんへの報告 ヒメイチゴのこと」と題した記事を書き、その中で、“実”の写真をご紹介した。

しかしそれから10日ほどして、その実は「完成体」ではないことがわかった。
 上の写真を見ていただきたい(左が10日ほど前。右が昨日)。

 “実”は鮮やかな真っ赤になった。
 ヒメイチゴ・・・・これがそうなのだ!

人生は長い、早々と物事について、そして自分の力などについて決めつけてはいけないのだ。
私にだってまだまだ隠れた力が眠っているかもしれない。なにも結果が現れなくても、時には後退ばかりしているように感じても、日々をそのとき可能なやり方で動き続けようと思うのである。

ひょっとしたらヒメイチゴの“実”は、もっと色を変えるかもしれない(水玉模様になったりして)。

そしたらまたご報告します。