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2015/09/30

カワイイ夜の訪問者


 先日、私の自宅(と言っても借家ですが)に、2種類のカワイイ(異論がある方もおられるかもしれないが)動物が侵入した。というか、侵入していた。

 お二方とも、玄関の奥の壁におられた。

 まー、入ったということは、窓か玄関のドアが開いたときに入ったのだろうが、私は家の中でお二方にお会いするのは初めてだった。

 お二方にお会いして私が最初に思ったこと、・・・・それは、「地球はさまざまな生物の惑星だ」である。

 なにを大げさに、といわれるかもしれないが、家の中で出会うと、外で出会うのと違って、その存在感を強く感じるのだ。

 よく考えると、私が、ヤモリが日中休んでいる石を持ち上げたり、カマキリが潜んでいる草を掻き分けて歩いたりするのは、お二人が私の家に入るようなものではないか。

 そう考え、私はけっして失礼にならないように、もとの家にお帰りいただいたのだ(人間の家の中はお二人にとって危険だから)。

2015/09/29

Hさんの動物のオブジェ


 知り合いにHさんという、オブジェ作りの達人がいる。

 たとえば動物の場合だと(ちなみにHさんの専門は、まったく「動物」ではない)、対象を見ていると、手が勝手に動いて写真にあるようなものが次から次へとひねり出されるのだという。

 私はHさんのこの才能が広く認められ、経済的にも利益がひねり出されないだろうかと、今は研究室に置いてあるこれらの動物を見るたびに思うのである。

 どなたか、これらの動物たちのどれかを、たとえば¥2000というお得な値段で購入したいと思われる方はおられないだろうか。

 それは、日本の動物の文化が広がることにつながるのだ。

2015/09/25

(動画)ナガレホトケドジョウが棲む谷川の、癒しの風景を音付きでどうぞ!


先日、学生たちと一緒に、ナガレホトケドジョウの調査に行った。
 ナガレホトケドジョウはその名のとおり、ドジョウの仲間だが、体型は、谷川の急流を遡ることに適応したような、細長くて平たい精悍な(?)体と精神をもっている。

 他の魚類はとても棲めないような、河川上流の、細くて急な谷川で生きる希少野生動物なのである(当然、環境省のレッドデータリストでは残念ながら最も絶滅の危機が高いレベルに指定されている)。

 さて、学生達は、下のような谷川で、ナガレホトケドジョウをできるだけ多くマークし、個々の個体が、急な谷をどのように移動し生活しているのかを調べている。




急な谷では、降雨のときなど、激しい流水が起こり、魚たちを下方へ流す力が働く。魚たちが遺伝的な多様性を保持しながらその谷で生きていくためには、小さな滝のような流れを遡ることが不可欠なのだが、谷川での彼らの移動実態については何も知られていない。


 ところで当日はとても気持ちがよい日で、谷川のせせらぎや夏の終わりを惜しむ蝉の声などを聞きながら作業をしていると、ほんと・・・・癒される。


 これを読んでくださっている皆さんにだけ、その映像と音の風景をお届けしたい。
 
 もう一つの動画は皆さんへのサービスで、ナガレホトケドジョウを一時捕獲するためのトラップとそれに近づくナガレホトケドジョウの映像である。

 デハオヤスミナサイ


  

  

2015/09/24

(動画)大学に入ってきたシロマダラの赤ん坊

 今日、学生達と一緒に、ナガレホトケドジョウの調査に行った。
 そのときのことはまたお話しするとして、そのあといろいろ仕事をして、さて帰ろう、と階段を下りていると、一階の踊り場のところで、細い紐のようなものが動いているではないか。


 ミミズではないことはすぐ分かった。もしミミズだったら(私は“大きなミミズ”恐怖症なので)すぐに私の脳が反応して、ゾクッとした感覚を生み出してくれていただろう。


 でも、そんな感覚は全く感じなかった。つまりそれは本質的なところでミミズの特性をもっていなかったのだ。


 ではそれは一体、何なのか?
 すぐに答えが湧いてきた。
 「それは、かの「幻のヘビ」とか「宝石のヘビ」とか呼ばれることがあるシロマダラかアカマダラの赤ん坊だろう」


 ウソではない。すぐそう思ったのだ。


理由はいろいろあるが、その中の一つは、それまでに2度、もう少し大きかったが、その場所の近く(大学の中)で、子どものシロマダラを保護したことがあったからだ。なぜか知らないが、その場所には、野外から、シロマダラの子どもが入ってきやすいらしいのだ。


ではなぜアカマダラの可能性も考えたのか。
それはその紐のようなものは縞模様になっていて、遠くから見ると(近くで見ても)赤みがかっていたからだ。
それまでにアカマダラの子どもは見たことがなかったが、ひょっとするとそれがそうなのかもしれない、と思ったのだ。


 さて、もちろん私は、その正体を確認し、ヘビならば保護してやろうとその“紐”のほうへ近づき、後はご想像にお任せする(一番下に、動画をつけているので興味がおありの方はご覧いただきたたい)。


 ところで、その場所はエレベーターの前あたりでもあり、シルバーウイークの最後で、学生はまばらとはいえ、それでも数人の学生が近くを歩いた。そして、その学生たちの中には、なにやらカメラを向けて何かに話しかけている教員(私だ)に興味をもち、話しかける学生が二人いた。動画は、そんなときに取られたものだ。


 もう一人の学生は、私からの答えを長々と聞いて、いたく感心し、お礼にと言って梨を一つ置いていってくれた。
 下の写真は、その学生と、彼がおいていってくれた梨(とヘビ)である。

 イヤ、タノシカッタ




    

2015/09/22

ヤギ部前部長Kさんからのヤギ便り


 ヤギ部前部長のKさんからヤギ便りが届いたので紹介したい(ブログのネタにさせていただきたい)。
ちなみに上の写真の、ヤギたちに囲まれている人物がKさんであり、文章の下の写真の、仔ヤギに絡まれて、足を捕まえられているのもKさんである。

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2015年9月19日(土) 天気:晴れ

 夏休みがそろそろ終わるシルバーウィークの初日、たまたまバイトが早く終わったので夏休み中ずっと会ってなかったヤギたちのもとへ。私の姿を見つけると、皆が私の近くに寄って「めぇめぇ」と鳴く。小屋の近くのベンチに座ると、触ってと言わんばかりに、きなこ、あずき、メイちゃんがベンチに乗ってくる。そして、私に近づいて来ると、好き勝手に私の服や髪、バッグを食べようとする
(特に、きなこが)。そんないつものスキンシップ?を終えて、私はそろそろ帰ろかと思い、ヤギ柵の入り口に戻ろうとした。

 すると、柵の外で見ていた一人の女性が「ヤギと何をされていたんですか?」と私に声を掛けてきた。話を聞いてみると、彼女はヤギにとても興味があるということなので、ヤギ柵内の見学をしてもらうことにした。ちょうどこの日は大学内でイベントがあり、それで彼女は偶然ヤギを見つけて興味を持った人なのかと最初は思っていた。しかし、話を聞くと、なんと驚くことに彼女は京都学園大学のヤギ部の部員であった!彼女は環境大学のヤギを前々から見たいと思い、今日思い立ってはるばる5時間かけて来たらしい。けれど、柵の中に入れず外から見ていたところ、偶然にも通りかかった私と出会ったというのだ。「こんな偶然ってあるんですね。」と二人で笑いあった。

 京都学園大学は、私が次の部長になると決まった頃にヤギ部同士ということで互いの大学の訪問などの交流をしていた。その訪問以来、交流がぱったりと切れてしまい、私の中でとても心残りになっていたのだ...

 それが、今日また新たに交流をするきっかけが出来たのだ!彼女は今中心で活
動をしている代らしく、様々な話をした。ヤギのことについて話している時の彼女の瞳はキラキラしていて、「自分も昔はこんな風に見えていたのだろうか」と心の中で思った。私はもちろんヤギは大好きだが、部長の役目を終えてから何か燃え尽きたようなそんな感じであった。けれども、彼女と話しているうちに、「やっぱり私はヤギ部が大好きなんだなぁ」と思った。

だんだん日が暮れてきて、彼女も京都に帰るということなので、見送ってさよならをした。今日の出会いは思いがけない出来事であったが、ヤギを通じて人と繋がる、なんて素敵だろうと思った。そして、この出会いは私に改めてヤギ部について考えさせてくれるきっかけとなった。私は、自分にとって大切な居場所であったヤギ部を守っていきたい。ヤギ部の部員として出来ることを残りの学生生活でやっていきたい。そんなことを考えながら、私は夕暮れのなか家に帰っていった。

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2015/09/21

君らに罪はないのだけれど

 先日、スナヤツメの生息地に行ったら、上の写真に写っている動物に会った。

 特定外来生物にも指定されているヌートリアの子どもである。
 あどけない顔をして寝ていた(私は自然の中で気配が消せるので、こうやって近づくことができる。ときどき気配を消すと、幽体離脱のような気分になることがある)。

 1930年代に毛皮を取るために、原産地である南米から移入され、軍隊の防寒服に多く利用されたという。
 その後、野生化し、現在、イネをはじめとする農作物を食べ、希少植生も破壊する害獣として駆除対象になっているというわけだ。

もちろん私は、人間自らが引き起こした外来種問題には、人間が心の痛みをしっかり感じながら、外来種を減少させる必要があると思っている。そして授業でもその必要性を話している。

 そんな私がこのときどうしたか。
 消していた気配を沸き起こし、ヌートリアに近づいていった。ヌートリアは私に気づいて慌てて逃げていった。

 自分のとった行動をどう解釈するのか・・・自分にもわからない。

アグリフォレストリーをご存知ですか? ではアグリナチュラルフィールドは?

 皆さんは「アグリフォレストリー」という言葉を聞かれたことがおありなるだろうか?

 「アグリフォレストリー」とは、日本語では「農林複合経営」と訳される農法の一形態だ。
 樹木の間に畑をつくり、樹木からの恵み(果実や木材など)と畑の穀物の恵みの両方を得ようとする農法で、世界のさまざまな地域で伝統的な農法として営まれてきた。

 一方、近年、環境問題の進行に伴ない、この農法が見直されている。
 その理由の一つは、それが、森を広範囲に破壊することなく、森の生態系の力を味方につけて行う農法だからである。
 森の木々から落ちる葉や枝は、作物にとっての(有機)肥料になり、森に棲む昆虫をはじめとする動物が形成している食物連鎖を中心とした生態系は、作物を荒らす害虫が大量に発生するのを抑制する(そこには、その害虫の捕食者が必ずいるからである)。

 さらに、森の地面は、木々の根などの力によって保水や保土がなされ、降った雨を長く耕作地の地面に保っておいてくれたり、激しい雨や風によって土壌が流れてしまうの防いでくれるのだ。
 
 確かに短いスパンで見たときの収穫量は近代的な農法にかなり負けるが、長い目で見たときの収穫量や、なにはさておき、安全で環境を保全するという意味で、潜在的に優れた要素を秘めた農法だと言える。

 ちなみに上の写真は、わが家(借家だけれど)の庭の作物である。
 そしてこれらの作物は、森ではないが、雑草と呼ばれる自然植生と混じって育ち、実をつけているのだ。これはアグリフォレストリーの親戚にあたるアグリナチュラルフィールド農法なのだ(今私が思いついた名だ)。
 このようにして育ったナスビやピーマンやミニトマトは、確かに野生の味がして美味しいし、害虫は、雑草の中に潜んでいるカマキリなどが捕食してくれる。

 もちろん、意識してこうなったのではなく、手入れが間に合わずにこうなったのだ。でも、そのおかげで私は、アグリナチュラルフィールド農法を発見することができた。素晴らしい。

 まー、いろいろとご意見もあるでしょうが、ここは一つ寛大な心で。

オヤスミナサイ。

2015/09/18

(動画)暗闇の中からサギとフクロウの声

今日の話の場面となった階段.もちろん話は夜起こったことで辺りは真っ暗だった

先日、夜9時ごろの話だ。

 大学の建物を後にしてコンクリートの階段を上がり、北側の道路に出るか出ないかのところで、私の目の前を、大きな白いものがサーッと横切った。
白っぽいものであることは分かったが姿はもちろん、輪郭も分からなかった。

 辺りは真っ暗だ。そんな場所で突然白いものが空を切ってサーーーッと!
 
 最初は、サギかと思った。でもサギなら羽を上下させ音を立てて飛ぶ。違う。もっと、なんというか神々しい感じのものだった。

 じゃ何か?
 ・・・・・それはもうフクロウしかないだろう。
 フクロウなら音も無くサーーッと飛べるだろう(フクロウの翼の羽毛は、獲物に自分の接近を知られないように、空気の震えを吸収してしまう構造になっているのだ)。

 さて、道路に出て車のほうへ進みかけると、道路の北側の山からギャーギャーッという声が聞えた。
 一瞬、タヌキの子どもが鳴いているのかと思った(9月はタヌキの子どもが親別れをする季節だ。親は離れたがらない子ダヌキを攻撃し、子ダヌキは悲鳴をあげながら離れていくのだ。いわゆる子別れの儀式だ)。

 でも、やはり、それは子ダヌキの声ではない。声の質が違う。その声はサギの声だ(またここでサギかよ)。
ということは、さっき私が見た白い物体はサギか?

いろいろ考えていると、今度は大学の建物のほうからホーッ、ホーッ、という声が聞えてきた。
紛れも無いフクロウの鳴き声だ。
かくして、私の中では、「白い物体=フクロウ」説が断然、立証されたのだ。

夜の森では、サギとフクロウ、そしてたくさんの動物達のドラマが繰り広げられているのであろう。

以上、ここまでの話の、サギの声が聞えたあたりから動画を撮ったので見ていただきたい(というより真っ暗なので聞いていただきたい)。
秋の虫たちの声が賑やかに聞える中に、サギの声と、後半にフクロウの声がする。フクロウの声は小さいので聞き逃さないでいただきたい。

オヤスミナサイ


    

2015/09/17

羽音をたてない蚊 三度

    お恐れ多くも私の腕の血を吸う蚊 私の用意周到な計画とも知らないで・・・

 タイトルの「三度」は「さんど」と読んではいけない。「みたび」だ。

 以前、このブログで、「最近、羽音がしない蚊が増加しているかもしれない」という話を書いた(これが一度目だ)。

羽音をたてない蚊!?


 そうしたら何人かの方から、私もそう思う、という声を聞いた(それをまたブログに書いて、それが二度目だ)。

羽音をたてない蚊!?へのresponse

 ちなみに、一度目の話のとき、“羽音をたてない蚊”の参考にと思って、カリフォルニア大学の進化生物学者マーリン・ズックさんが発見し注目を浴びた“翅の構造が変化して、求愛音が出なくなったコオロギ”の話をした。
ちょっとおさらいをしておくと、・・・・、
鳴き声を手がかりにして宿主を見つけ出す寄生バエが猛威を振るう中で、それまでの、鳴き声で雌コオロギに求愛してた雄コオロギが、鳴かない雄になった、という内容だった。

“鳴かない”というのは、もちろん雄の意志でそうしているのではない。遺伝子の突然変異の結果、翅の、音を生み出す部分が「櫛状」から「平ら」になり、鳴くときと同じように翅を動かすのだけれど、音が出ないということである(求愛は、鳴き声とは別の方法で行うようになったのだ)。

そしてこの変化(進化と言ってもいい)は、わずか5年程度で起こったらしいのだ。

さて、私はこの数日、研究室で慣れないデスクワークをしていて、腕に何度も痒みを感じ、一方で、黒い蚊らしきものが飛んでいるのを目にしていた。
聡明で思慮深く科学的好奇心に満ち溢れた私は、これだ!チャンスだ!と思ったのだ。

これこそ“羽音をたてない蚊”に違いない、捕獲して正体を暴いてやる!と思ったのだった。
 
腕を机の上に置き、じーーっと待つこと数十分、私の用意周到な計画にはまって、音もなく(!)1匹の蚊がやってきて、警戒しながら旋回し、やがて腕に着地し、血を吸いはじめた。

私は、ゆっくりと腕を机から持ち上げ、用意していたビニール袋にゆっくりと腕を入れ、素早く腕を振って、蚊だけを中に残して袋をとじた。すばらしい。

蚊は袋の中で悔しがっているに違いない。
私は科学的な意義を優先させ、かつ、蚊に苦痛を与えず天に昇ってもらうため、袋を冷凍庫の中へ入れた。

そして、数時間後、“羽音をたてない蚊”を、翅の構造に注目しながら顕微鏡で調べたのだ。その結果、驚愕の事実が明らかになった!

下の写真がそれであるが、どこが「驚愕か」、それはまた先のブログで。
多分、驚愕だと思うのだが・・・・。



2015/09/16

私はお茶目・・・なんだろう。本質的に

先日、ある高等学校で、「野生生物の生息地の保全」について授業をしてきた。

 教室には、生徒さんと、顔を知っている先生お二方のほかに、はじめてお顔を拝見する女性の方が座っておられ私の話を聞いておられた。

 今、大きなニュースになっている鬼怒川の堤防決壊の話から入って、少し堅い話になった。

 授業が終わって、駐車場に向かっていると、“はじめてお顔を拝見する女性の方”がにこやかな表情で近寄ってこられて、「私は本校の図書館の司書をしていますが、先生の“先生シリーズ”を楽しみに読んでいます」と言われた。そして、そんな会話の中で、今日の授業は少し堅めで、本の中の語り口とちょと違っていましたが、「“ヒトの男性は言葉で求愛をするけれどアカハライモリの雄は化学物質で愛を語るんです”と言われたところに片鱗を感じました。これなんだ、と思いました」といった意味のことを言われた。

 私は、あー、やはり司書の方って言葉に繊細なんだ、本がお好きなんだ、と尊敬の念をもち、同時に、私の持ち味、私らしさを生かして、生徒の心に学習内容を響かせる、という私本来のスタイルを思い出させていただいた気がした。

 また、そんなことを考えながら帰りの車を運転していると、もう5,6年も前に、ゼミの、ある女性の学生が、盲腸の手術から退院した私の研究室に、ケーキとメッセージを届けてくれたのを思い出した。
 あいにく私は研究室にはおらず、ドアの取っ手に手提げ袋に入れてかけてあった。

 走り書きしたメッセージには、「退院おめでとうございます。また、いつものお茶目な先生でいてください」と書かれてあった。

 そういえば、盲腸で入院するころは、いろいろ仕事などのストレスで、いつも眉間に皺をよせた堅い表情をしていたと思う。その学生は、それも気にかけてくれていたのだと思った。

 そんな出来事も思い出しながら、車の中で、「いろんなところから、いろんな人からいろいろと言われるけれども、私は私のやり方で、こつこつとやればいいのだ」と思ったのだった。
すると、今、ささやかな実験をやっている「コウモリの視覚はどれほどの識別能力があるのか」という画期的な(さっき“ささやか”っていただろうが。ドッチナンジャ)研究に参加してもらっているコウモリの愛くるしくてよく怒る顔が目に浮かんだ。あいつら今どうしているだろうか。

車の左側には、気持ちのよい日本海が広がっていた(ちょっとカッコツケテ書いてみました)。

2015/09/15

(動画)ミツバチの針は内臓とつながった産卵管が変形したものである

 学生のころ、大学の屋上で(セイヨウ)ミツバチの世話をしたことがあった。
 
 あるときミツバチに刺されたことがあったのだが、そのときのことは今でもよく覚えている。
 私の手首の表側を刺したのだが、驚いたことに、刺したミツバチが私の手首の表面を、ゆっくりと前に歩いていくと、その後に、先端が皮膚に入った黒い針と、それにつながった乳白色の内蔵の一部のようなものが残っていたのだ。そしてさらに驚いたのは、その“内臓の一部”がぶるぶると痙攣するように震えていたのだ。結構痛かったけれど、思わず、じーーーっと見入ってしまった。

 後で、“内臓の一部”の痙攣によって針はだんだん皮膚に深く入っていく、とか、“内臓の一部”から発散するニオイ物質によって、他の働き蜂はエキサイトし、ニオイがするほうへ攻撃を仕掛ける、とか、へーっと思う解説をみた。

 ところで、刺したミツバチは、そんなものを体から失ってしまうのだからもう生きられない。歩いていったその先で、羽ばたいてはみたものの、下へ落下してしまった。

 ところで数ヶ月前、私は、鳥取県東部の岩場の海岸で、ミツバチによく似たハチの集団に出合った。
 地面一帯に莫大な数の穴が空いており、その上をこれまた莫大な数のハチが飛び交い、見ていると、数匹のハチが穴に入ったり、穴に入ろうとして入れず、埋まった穴を掘りはじめたり・・・・なかなか面白いのだ。

 最初はニホンミツバチか、とも思ったが、ニホンミツバチにそんな習性があることなど聞いたこともない。
 とりあえず、死んで地面に転がっていた一個体を採取して持ち帰ったが、いまだに種類はわからない。

 そのハチの写真(上)と、穴だらけの地面の上を旋回し、たまに着陸するハチの動画2つを添付するので、これを読んだ方の中でハチの種類をご存知の方がおられたら教えていただきたい。

 形態的には、やっぱり私にはミツバチに見えるのだが・・・・。
            
       

2015/09/14

「マインドフルネス」って知ってますか?


 休日に、家でデスクワークをしていて、一息ついたとき、無性に外が歩きたくなった。

 そういえば食パンがなくなりかけていたなーと思い出し、近くのコンビにまで歩いて買いに行くことにした。

 気持ちよかった。

 心配事は山ほどあるのだが、そんなことは意識の領域にも無意識の領域にも捕らえられることなく、その日の天気と同じく、淡々と晴れ晴れとした気持ちで歩けたのだ。

 見える風景も魅力的に見え、いつも携帯しているカメラで何枚か写真を撮った。その一枚が上の写真である。ちなみにこの風景はよく考えたら、われわれホモサピエンスが進化的に誕生したころ生きていたアフリカのサバンナの風景である。開けていて、まばらに木々があり、多くの生物の生存を予感させる“花”も咲いている。

 皆さんは、「マインドフルネス」という言葉をご存知だろうか?
 われわれホモサピエンスの、生物としての本来の生活環境である、“自然の中での狩猟採集生活”において、しばしば体験していたのではないかと推察されている心理状態である。

 それは、近年やっと科学の対象になってきた“瞑想”の状態に近かったのではないかと考える研究者もいる。

 心が特定の感情に支配されておらず、目の前の対象をただ静かに見つめている状態だ。
 そんな状態では、免疫系を含めた生理は、いわゆる健康な状態にあり、外界の変化に素早く気づけるクリアーな精神状態なのだという。

あーーっ、それは、私の場合、モモンガを求めて山に行ったとき、あるいはコウモリを求めて洞窟に入ったときのあの状態か、と妙に納得したりして・・・。

そして、それは、最初にお話した、”そういえば食パンがなくなりかけていたなーと思い出し、近くのコンビにまで歩いて買いに行くことにし”て、歩いたときの状態でもあったのだ、だからサバンナの風景に反応したのか!と、また妙に納得したりして・・・。

 でも、モモンガやコウモリを求めて進んでいるときには、「心が特定の感情に支配されておらず」とは言いがたいよな。もろ欲求の塊ではないか!

でも違うんだよなーー。
この話はもっと深いんだよな。
それについては、長くなるのでまた今度。

2015/09/13

ヤマトシロアリの蟻道のすごさの一端を見る






 上の写真はヤマトシロアリの顔である。
ちなみに、家に大きな被害を与えるのはイエシロアリという種類で、山に棲むヤマトシロアリが家に被害をもたらすことはほとんどない。
ヤマトシロアリの顔、ささやかな目が印象的な、なかなかカワイイ顔ではないか。

私はヤマトシロアリが土などでつくるトンネル状の通路(蟻道と呼ばれることもあるが)に興味をもっている。
蟻道は、彼らが光が当たる場所を移動するときにつくる構造物だ。体の表面に色素を持たない彼らは、紫外線に当たると細胞内のDNAが傷つきやすいので、光を遮る目的で蟻道をつくると考えられている。

下の写真は、ヤマトシロアリの巣の外に餌(ティッシュペーパーを濡らして丸めたもの)を置いておき、彼らがどんなふうに蟻道をつくっていくかを示したものである。

道はどんどん増えていき、最後の写真は、ついには、彼らは、蟻道を空中へと伸ばしはじめたことを物語っている。オソルベシ、ヤマトシロアリ・・・だ。






 ところで、この空中に伸ばす蟻道は、やがてどうなるのか、あるいは、ヤマトシロアリたちは、ただやみくもにではなく、その後の展望をもって、この空中回廊をつくっているのだろうか。
その答えの可能性を示す事例が、今回、里山生物園で発見された。

下の写真がそれだ。

 里山生物園のシロアリたちは、巣がある倒木から、水槽の内側面へ向けて空中回廊を伸ばし、なんと内側面へと空中回廊の橋をかけ、そこで、アメーバーのような新たな蟻道を広げはじめたのだ。

もう一度言おう。オソルベシ、ヤマトシロアリ



 最後に、蟻道の一部が何者かによって(私がやったのだが)破壊されたとき、彼らは統制のとれた集団行動で破損部の修復にとりかかる(下の動画を見ていただきたい)。見事ではないか。

     

2015/09/11

里山生物園のクサガメ「ポンタ」をめぐる日々のでき事(動画)

何かのロゴマークに使えそうな、池の中のポンタ.白い小さな点はミジンコである

私が勤務する公立鳥取環境大学のサテライトキャンパス「まちなかキャンパス」では、その中に設置している里山生物園の生物達が日夜、さまざまなドラマを繰り広げている。

 先日などは、テラと呼んでいる陸地里山の“池”を掃除するため、溜まった土や枯草を、まとめてガサッと袋に入れたら、大変なことが起きた。

 大学で処理しようと思って車に乗せたその“の一部が、なんと動くではないか。堆積物が動いている! 私はその秘密を解明するため、注意しながら袋を観察していると、袋の口からなんと動物の手が(!)出てきたのだ。

 現場を皆さんにも見ていただきたかった。
冷静沈着思慮深く時間にはルーズな私は、その動物がテラの住人であるチビのクサガメ「ポンタ」であることをすぐ見抜き、なぜ慌て物のポンタが、そんな、一歩間違えば命さえ落としかないところにいたのか、見事に解明したのだ。

おそらく私が、「里山の“池”を掃除するため、溜まった土や枯草を、まとめてガサッと袋に入れた」とき、ポンタが堆積物の中で休んでいたのだろう。

ポンタに、今回は私の優れた発見力のおかげで助かったけれども、そんなにぼんやりしていたらいけないよ、と諭しながら、テラに戻してやったのだ。

実はポンタは、テラの中で、一時期、辛い目にあったことがあるのだ。
それは、そのころテラの中で、ここは俺たちの里山だ!とばかりに勝手し放題をしていたアリ達に襲われたのだ(下にそのときの証拠映像がある。もちろん私がこれは貴重な写真だと思い、しっかりと撮ったのだ。ポンタはかなり苦しんでいた)。

ミールワームが入れられた容器に、腹減ったとばかりにやってきたポンタを、先にやってきていたアリ達が、俺たちの餌場から出て行け、みたいな勢いで攻撃しはじめたのだ。もちろんポンタは逃げるしかなかった。

ポンタが“池”に身を潜めることが多くなったのにはそんなことも関係しているのかもしれない。
ちなみに、私はテラの生態系にバランスを取り戻すべく、アリの捕食者であるツチガエルに入ってもらって、いまアリの増殖は止りバランスが保たれている。

このようにして、さまざまな生き物達のドラマを温かく見つめ、ときには諭しながら、ときにはやむなく食物連鎖を利用しながら、持続可能なテラの実現に努力しているのである。


   

2015/09/10

今年の夏は暑かった。そしてヤギ部の部員も頑張った


 今年の夏は暑かった。
 そんな中で、ヤギ部の部員たちは当番を決めて、毎日ヤギの世話をよくやっていた。
 
 上の写真は、ヤギたちの小屋と、その傍の、私がいつも枯れやしないかと心配しているトチノキを撮ったものである(もちろん私が撮ったのだが、ちょっと撮れないよ、この写真は)。
 美しくはあるけれども、でも、またぎらぎら暑い日になるぜ!と、この夕焼けは語っているのだ。

 そんなヤギ部の部員のIさんが、写真つきのヤギ部日記を送ってきてくれた。
ちょっと遅くなったが、暑さの中でヤギたちと対話しながら世話をする姿が感じられる内容だ。

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8月10日(月)晴れ
 夏も盛り、気温が30℃を超える日が珍しくなくなってきた。
ヤギたちもさぞ暑かろうと当番に向かう。誰も小屋から出ておらず、
いかにも「だる~」といった感じで、すのこの上で横になっている。

 一番に起き上がって外にでてきたのはメイ。最近メイにはある癖がついてきた。
「一番ヤギの群れと外れたところにいる部員のそばにいく」癖である。
ヤギたちには健康管理のためにしばしばペレットをやっているのだが、
メイはもとから食が細く競争心も強くないため、ペレット争奪戦からあぶれたメイに部員が直接ペレットを与えることがよくあった。

 そのためか、餌をもってきた部員が群がるヤギを遠いところからみていると
それに気づいたメイがとことことこちらにやってきて
「わたしの!わたしの『特別』、ないの?」
というように手の平に鼻先を押しつける。

 メイに今日の『特別』をあげたところで掃除と水替えを行う。
ヤギは水を浴びるのは嫌いだし、日光が当たらない小屋の中は風が通らない。
水はバケツの1/3ほどまで減っており、ヤギたちの辛さがうかがえた。
 替えた水をさっそく飲みに来たのはきなことあずき。
こんなにごくごく勢いよく飲んでくれると、水を替えたかいがある。

 まだ暑い日はこれからも続く。
ヤギたちには元気にバテずに夏を過ごしてほしい、今日この頃である。