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2017/01/21

白い雪の山の洞窟で体を寄せ合う白いコウモリたちを見た.これは一体?!!


世界には約1000種のコウモリが知られているが、その中で白いコウモリは唯一、中央アメリカに生息するシロヘラコウモリだけだ。

でも、上の写真を見ていただきたい。

今日行った洞窟は、白い雪に覆われた山の斜面(鳥取県八頭町)に開口していた。
中に入って少し歩くと、天井に、なんと、白い体のコウモリが。
これは一体!!!

その正体は、次のお楽しみ.
記者会見の用意、用意、と、・・・・。


白い雪の山の洞窟の奥で光る二つの目.一体その正体は!!この洞窟にはきっと何かある.


今日行った洞窟は、雪が降り積もった入口から入ると、大きな空間があって、その奥に、もう一つの球形の空間があった。

”大きな空間”にはたくさんのコウモリたちが冬眠していたが、奥の球状空間にはコウモリは一匹もいなかった。しかし、その空間の一番奥に、煌々と光る二つの目があった。
その目はこちらに向けられたままで横へ横へとゆっくり移動していった。結構大きい.
これは一体!!!

この洞窟には何かある。

その正体はまたのお楽しみ.

記者会見の用意、用意、と・・・・。






白い雪の山の洞窟で体を寄せ合う白いコウモリたちを見た.これは一体!!


世界には約1000種のコウモリが知られているが、その中で白いコウモリは唯一、中央アメリカに生息するシロヘラコウモリだけだ。

でも、上の写真を見ていただきたい。

今日行った洞窟は、白い雪に覆われた山の斜面(鳥取県八頭町)に開口していた。
中に入って少し歩くと、天井に、なんと、白い体のコウモリが。
これは一体!!!

その正体は、次のお楽しみ.
記者会見の用意、用意、と、・・・・。







モモンガの森の動物たち その(だいたい)212: (What did the grass sanke say to me?)ヤマカカシの子どもは私をみて、さて何と言ったでしょうか.答えはブログで


モモンガの森の動物たち その21: (What did the grass sanke say to me?)ヤマカカシの子どもは私をみて、さて何と言ったでしょうか?

残念ながら発声器官がないので、何も言いいませんでした。

でも、体の動きや表情、目線などから察するに、ハヨハナセ!!でしょう。


モモンガの森の植物たち その2: ブナが語りかけてくること(What the beech told me).いろいろな苦難にあっても諦めなければ生きていける.そのほうが人生(樹生)は自分にしかないとびっきりの面白さに満ちてくるよ・・・みたいな.AI生命体も同じ・・・みたいな.


モモンガやコウモリの調査をしていると、いろんな出来事に出会う。目を見張る植物との出会いもその一つだ。

上の写真はブナなんだけど、でかいでかい。

私は確か、この木の下で昼食をとったのだ。

これからも、AI(人工知能)は目覚ましい発展を遂げていくだろう。私は、それはずっと先のことだと思うが、AIを核とした金属の生命体が地球の中にどんどん増えてくると思っている。

でもそれはそれ、どんな生命の歴史が展開していこうと、今は、アマガエルはアマガエルとして、ホモサピエンスはホモサピエンスとして、前向きな充実感を感じるべく死ぬまで生きればよいのだ。

あー、なんと前向きになれた朝だろう。明日の朝もこういきたいね。できれば皆さんとも

スギは冬でも光があれば根も葉も成長する(Ceders grow even in winter with help of sun light).そして冬の成長部は体積は少ないががっしりしてその後の成長の礎になる.

 

 ニホンモモンガの調査のときにふと目についた光景である。

 ということは、私の心がこのその光景に何かを感じたのだろう。

 「コケに助けられながらひたむきに生きようとするスギ」を感じると同時に、私の脳内の生物学の知見が言ったのだ。
 スギは冬でも光があれば音も葉も成長する.そして冬の成長部は体積は少ないががっしりしてその後の成長の礎になる.


2017/01/19

海岸で出会った動物 その10 結構大きくてわさわさ動く.10回記念に私の記憶の中でも結構インパクトのある方に登場してもらいました.


海岸で出会った動物シリーズも、早10回になりました。10回記念なので、私の記憶の中でも結構インパクトのある方に登場してもらいました.

その方は、じゃあーーん。
エボシガイさんでーーす(甲殻類の一種)。

この方、漂流する大木に付着して(被うように付着しているから木が見えない)大海を漂っているのです。

驚いたことにこの方は、チューブのような体部を動かして、地球外生命体のように不気味に体をくねらせるのです。
発見したのが、博学で心優しい私だったからよかったものの、そうではない人類だったら、君、どうなっていたか!

この後、私は、同僚の先生に手伝ってもらって、この地球外生命体(みたいな生物)を宇宙船(みたいな)「流木号」とともに、腕の血管を思いっきり盛り上げながら水際まで運び、海に帰してやったのだ。




寒い日だから、ほっこりする一枚をどうぞ


寒い日だから、ほっこりする一枚をどうぞ。

タイトルと同じやんけ。
手抜きやないんけ。

いや、ほっこり息抜きです。

今日も冴えてる、頭が重い。風邪だろか?

2017/01/18

寒い寒い今日この頃。早く早く春になれ。ちょっと昔、学生たちと一緒に大学の田んぼで作業をしたのが懐かしい。心はあの頃に・・・カエルカエル。


今から10年近く前、環境大学が民間の方から借りていた田んぼで、不耕起湛水田んぼをつくっていた。

それまで放棄されていた田んぼにぼうぼうと生えていた雑草をヤギに食べてもらい、ついでにヤギに糞をしてもらい、不耕起湛水田んぼは2年間、たくさんの米を収穫させてくれた。

あのころ、いつも傍らにたくさんのカエルがいたよな。
左のカエルはアカガエル(近年、絶滅が危惧されている)、右のカエルはシュレーゲルアオガエル。

どちらもキリッとした顔をしているよね。

寒い寒い今日この頃。早く早く春になれ。ちょっと昔、学生たちと一緒に大学の田んぼで作業をしたのが懐かしい。心はあの頃に・・・カエルカエル。

2017/01/16

3つのガラス・モモンガ・ミニ地球.あなたはどの地球に棲みたいですか?


大体、どの地球も、誕生後10ヶ月くらいだ。

物本の、誕生後45億年の地球よりは少々短いが、それでもどの地球も生態系を保ちながら続いてきた。

それぞれの地球には、アリやトビムシなどがときどき姿を現すが、もっともっと小さな土壌動物や菌や細菌類がものすごい数、生きているのだ。

3つのガラス・モモンガ・ミニ地球.あなたはどの地球に棲みたいですか?

何かを思い出しているときは体の向きと顔の向きと目の向きが一致しなくなる.それは自分の”内側”を探しているからだ.見よ、自分の”外側”に注目してる時のヤギの体と顔と目の方向の一致を!


何かを思い出すときは体の向きと顔の向きと目の向きが一致しなくなる.それは自分の”内側”を探しているからだ.見よ、自分の”外側”に注目してる時のヤギの体と顔と目の方向の一致を!

タイトルの繰り返しじゃないかって?

そうか、確かに。

なんでこうなったのかなー?
理由を思索している今の私の姿勢、これもやはり、写真の右の人物のような感じになっている。脳の内側を探しているからだ。

ちなみに、「体の向きと顔の向きと目の向きが一致していない状態」はサインの機能も果たしていて、相手に、この人は内省して考えているんだ、という情報を与えている。

今から20年以上も前に発表したこの現象と解釈を「小林の思い出し姿勢理論」という。
皆さんも実践してみ。「小林の思い出し姿勢理論」の深さを思い知るだろう。

では、なぜ「手で顔に触れる動作」も起こりやすいのか? とあなたは私に聞かれるだろうか。
いいところに気がつかれましたね。

「ヒトはなぜ拍手するのか 動物行動学から見た人間」(新潮社 2010)の中に、それも含めて詳しく書いています(ホンノセンデンミタイデスイマセン)。

2017/01/15

虹色のネコ。虹色のキリン。虹色の冬のホイエンス。 あー、詩人だね。



ゼミ室に入ったら、水槽を通った冬の光が暖かそうな虹を床に描いていた。

私が作った白い動物たちを虹色に染めてやった。

それが上の写真である。

虹色のネコ。虹色のキリン。虹色の冬のホイエンス。

あー、詩人だね。自分がこわくなる。

2017/01/14

海面に繋がる洞窟!暗闇の中に鮮やかなオレンジのイソギンチャク!天井にはユビナガコウモリ!ロマンはすく近くにある!



今日は、なんと、海へとつながる洞窟へ入った私が中で出会ったイソギンチャクの話をしよう。

驚いた!
大学から車で30分。情報を得て見つけた洞窟を進むと潮の香りがしてかなり広い海水面が現れた!そして、海水面に近い真っ暗な洞窟の壁面に、なんと鮮やかなオレンジ色のイソギンチャクが群生し、そのイソギンチャクの近くにはユビナガコウモリのコロニーが。

ロマンはすぐ近くにある。繰り返そう。あなたが、動いて探して発見する狩猟採集民の心を持てば、ロマンはすぐ近くにある。

ただし、後で、洞窟に棲むイソギンチャクについて、ロマンあふれた情報を求めて正体を探したら、ウメボシイソギンチャク(!)だった。しょぼ!
ロマンはウメボシのようにしぼんだのだった。 まー、こういうこともある。




2017/01/13

皆さんご存じだろうか。今日のように急な寒波が訪れた時、力尽きる野生生物たちが多くいることを。


こちらは鳥取県だが、今日は、東日本より一足遅れで、急な寒波に襲われた。

私はこれまで何度も見てきた。
こんな日には寒いのは、もちろんヒトだけではない。
野生で生き抜く動物たちにとって過酷な寒波なのだ。
写真は、寒さで動けなくなったヒヨドリを私が保護して、ゼミ室に入れたところだ。

それでなくても餌が少ない冬、彼らは山や人家の庭にわずかに残っている木の実(乾燥してシワシワなったものが多い)などで命を繋ぎ、春を待つ。

そんなときに、急にこの寒波が来たら。そしてわずかな食べ物を被いつくす雪が降ったら・・・。

野生生物は、特に冬は、まさに命をかけて生きているのだ。
もちろん春を待たず逝ってしまう動物も多い。

われわれは、「可愛い」という眼鏡だけで動物たちを見てはいないだろうか。

本当に野生生物が好き、というのなら、彼らの生き様を深く知ろうとする姿勢をもってほしいと思うのだ。

そこから一体、何が見えてくるのか。
きっと、それはわれわれ自身にとって大切な思いに繋がるに違いない。

2017/01/12

今日の駐車場であった、半分本当の話.これは賭けだな.フォロアー数が激減したりして.そもそも木がヒトの顔に見えます?


正直に言うが、「結構、眩しいですけど!」とト書きに書いたのは私だ。でも”木”に嘘はない。

大学の裏の駐車場を出るときに出会った人物、というか光景だ。

これは賭けだな.フォロアー数が激減したりして.

そもそも木がヒトの顔に見えます?

カスミサンショオウにも産卵の形に人気の流行があったりして.「今年の流行は三ツ輪みたい.私もそれでいくわ」みたいな.


気候変動のせいだろうか。大学の周辺の水場で見られるカスミサンショウオの産卵の時期がだんだん早まっているように感じる。

ところで、写真右の雄が縄張りをつくる場所で確認された卵塊は、御覧のように「三ツ輪」だった。もちろん、そこを訪れた雌が生んだのである。

なかなかオシャレである。

カスミサンショオウにも産卵の形に人気の流行があったりして。
「今年の流行は三ツ輪みたい.私もそれでいくわ」みたいな・・・。

どう見ても(聞いても)、動物学者の言葉には聞こえない?

発想は風に舞う桜の花びらのようにとびっきり自由なほうがよいのだ。その発想の中から、利用できるものをつかみ取って、科学という名の形式に絞り込んでいくのだから。

詩人と科学者とが共感しあう理由もそこにあるのだ。

2017/01/11

冬の今頃、アカハライモリの子ども)は、どこでどうしているかご存じだろうか。これを知っている人は人類の中でも極々々わずかだ。あなたも今、その中の一人になれる!


冬の今頃、アカハライモリの子ども(上の写真で一番下が昨年の夏生まれた子ども、その上が生後2年目、一番上は生後4年以上)は、どこでどうしているかご存じだろうか。

アカハライモリの子どもは、卵から孵化して数週間で変態したら陸上に上がって(水に入ることなく)3年間ほど暮らす。

冬は実は、下の写真のような石の間や枯草の下などでじーーーーとして耐え忍ぶのだ。

私も最近、じーーーーと耐え忍んでいる。




2017/01/09

「子どもたちは・・・・大晦日や三が日も頑張る様子に驚いています。ヤギのおかげでクラスもまとまってきたように思います」というメール


 昨年から、ヤギのことで熱心にメールで質問される小学校の先生がおられる。
先日、メールが届いていた。

「・・・子どもたちは・・・・大晦日や三が日も頑張る様子に驚いています。ヤギのおかげでクラスもまとまってきたように思います。・・・」

こういうのってうれしいね。先生も立派だ。
国の力、人類の力って、こういった、自主的に考え、悩み、楽しむ子どもたち、大人たちがどれくらいいるかっていうことでしょ。

もちろんきっかけはなんだっていいのだが、確かにヤギが子どもたちに(大人たちにも)対して持つ潜在的な影響力は小さくないと思う。

そんなことが理解できない、理解しようとしない大人にはなりたくないと思う今日この頃だ(あっ、もう高齢者に近い完全な大人だったんだ。私は!)


秋田ジュンク堂書店の社長さん、定員さんに感謝


わが書斎を少しだけ片づけていたら、上の写真をプリントした紙が出てきた。

それは、築地書館の、私の本の編集をやってくださっているHさんが、一昨年、メールで送ってきてくださったものだった。

秋田ジュンク堂書店ではこのように、K.ローレンツ(動物行動学の父でありノーベル賞を受賞した動物行動学の祖。1989年他界)、デズモンド・モリス(人間行動学の祖.日本でもたくさんの本が翻訳されている。そりゃあ写真を見ればわかるわな)、日高敏隆(日本の動物行動学の祖。2009年他界。小さな声で、私の先生と呼ばせていただこう)に混じって、私の本のコーナーを作ってくださっている、ということだ。

私はまだまだブログ歴、ツイッター歴は短く、まして当時、これをアップするということなど思いつかなかった。
でも、今回、これはよい機会だと思ったので、秋田ジュンク堂書店の社長さん、定員さんに感謝
しつつアップした次第だ。

その後、とてもありがたいことに、同僚の先生や知人が、書店での「小林朋道」コーナーについて、どこそこに「あったよ」と、ちらほら教えて下さる。あー、一生懸命働き(ここ、疑問を持ってはいけない!)、一生懸命書けば、こんなこともあるのだ、と感謝するのである。

今年もひたむきに頑張ろう。虚弱体質なので体に気を付けつつ(ここも疑問をもってはいけない!)。

2017/01/07

これがまた美しいのだ.動物のことをこんな風にはいうことはめったにない私が言うのだから間違いない.外界に断捨離されたそのバランスの美


大学で顔なじみのハシボソガラスだ(そろそろ名前を付けてやらねばなるまい)。

私は車の中から、その姿に目を見張った。美しいのだ。

動物のことをこんな風にはいうことはめったにない私が言うのだから間違いない.外界に断捨離されたそのバランスの美。

進化的適応のなせる業か。

ニホンモモンガも各種コウモリもホンヤドカリも美しいけどね。
結構、言ってるじゃん。

鳥取県の米子で出会ったもの その2: 希望の館が閉じられていた. オーマイゴッド



鳥取県の米子で出会った風景.

希望の館という名の建物の門が閉じられていた。

そりゃー、マジいだろう.新年早々!



鳥取県の米子で出会ったもの その1: 大気の姿 風車と雲と雪と


先日、用事で、鳥取県の米子に行ってきた。

写真のような光景に出会った。

大気の移動が電力を生み出す。

大気の冷化が雲を生み出す。

大気が氷化が雪を生み出す。

そして自然がヒトを生み出したのだ。

なんか、〇〇〇郎のような気分になってきた。

結構、シュールだねー.ユリカモメ、ヒト、そして、こっちを見つめるネコ



ユリカモメは、私から離れたところで、群れて波間に揺れていた。ヒトは向こうをむいて寒そうに歩いていた。彼らの認知世界の中に、私は存在しない。

ネコだけが私の存在を認め、こっちをずっと見ていた。
ネコの世界の中では私はどんな存在として認知されているのだろうか。

ちなみにこの写真が、視覚に関する私の認知世界の一端を示している。

なんだか記号のような無機的世界のなかに、こちらを見るネコのまなざしが妙に生々しくて、シュールに現実味を与えてくれる。

時代は段々と無機的になっていく。その中に合って、ネコが人気があるのも、ちょうどこの写真の中と同じように、無機の中の、生き物らしさ、生々しさを、人々が求めているからなのだろうか。

・・・みたいな。

とにかく、飼育放棄は絶対にしないようにしましょう・・・みたいな。

ユヴァル・ノア・ハラリ著 「サピエンス全史」についての動物行動学的考察


「利己的遺伝子(利己的単位)説」と「因果関係を認知する高い能力」でこれまでのサピエンス史全の必然性とサピエンスの未来がわかる
―― 動物行動学から、ユヴァリ・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」を考える
 

  私は、今、世界で多く読まれ、日本でも話題になっているユヴァリ・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」の内容について、ざっくり言えば、「動物行動学をベースにすれば、サピエンス全史は、もっとシンプルに説明できますよ」ということを説明したいと思う。そのために以下の文章を書いた。
  早速、はじめたい。

  まず最初に定義しておきたい。
  本論のタイトルで上げた「因果関係の認知」とは、「われわれの外界の事物・事象からわれわれに届く情報を、次のような繋がりでむすびつける」ことである。
 ① いつ、何が、何処で、どうなっている。 (例)僕の友達が鳥取駅で待っている。
 ② ~だから・・・になった。() 僕が集合時間を勘違いしていたので彼は1時間待ちっぱなしになった。
 ③ もし~なら・・・だろう。 () もし僕が時間を間違えていなかったら彼は1時間も待ちっぱなしにならなかっただろう。

   ちなみに、われわれホモ・サピエンス(以下、サピエンスと呼ぶ)の脳は、基本的にはこのような様式で情報を処理するように、神経の配線ができている。そして、それぞれの状況での情報処理結果の内容に応じて、感情や行動が発言する。その“内容”と“感情や行動”の関係についての仮説が「利己的遺伝子(利己的単位)説」であり、本論では、その説明からはじめる。

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   正確に言うと、「利己的遺伝子(利己的単位)説」が正しいと思うのであるが(その理由は後程お話する)まずは、単位を、その典型例である“遺伝子”に絞って説明する。
   利己的遺伝子説とは、「自分のコピーを次世代により多く残すことができる遺伝子(デオキシリボ核酸:DNAあるいは、リボ核酸:RNAからできている)が細胞の中で(細胞が集まってできた“個体の中で”、と言ってもよいだろうし“地球の中で”、と言ってもよいだろう)増えていく」という説である。当たり前のことと言えば当たり前のことである。
   このような特性をもった遺伝子の状態を一言で、直感的にわかりやすい言葉で表したのが「利己的」というものである。ちなみに、「自分が次世代でより多く増えていく」ためには、遺伝子同士や細胞同士、個体同士の協力とみなされるようなことも生じてくる。ただし、それはあくまで、そのほうが、その遺伝子が増えやすいためである。

    われわれサピエンスを見ても、河川の水辺で生きるスジエビを見ても、森の土の中で生きる破傷風菌を見ても、すべてそうだ。
   サピエンスでは、遺伝子は「脳」という器官を含んだ身体(遺伝子の一種の乗り物)を設計し、物を食べさせ、危険から逃れさせ、異性と交尾させ、その身体(乗り物)が壊れてしまう前に子どもを作りあげ、その中に、自分(つまり遺伝子)のコピーを残す。それを代々続けている。スジエビもそうだし、破傷風菌は脳は持たないが、その遺伝子は、結局、同じことを行なっている。

   さて、サピエンスの本来の生活=自然の中での狩猟採集生活(この生活がサピエンス全史の9割以上を占める)においては、どんな遺伝子が、「自分のコピーを残す」上で優れていただろうか?
   それは、「野生生物(動物や植物)についてその習性をよく理解し記憶するの脳をつくる」遺伝子、「異性の中から子どもをたくさんつくる上で優れた身心(狩猟採集がうまかったり、自分や子どもをしっかり守ってくれたり、競争に強かったり・・・)をもつ異性を見抜くことができる遺伝子、等である。

   そんな中で、サピエンスが、狩猟採集生活から、農耕・牧畜といった定住生活に移ることは必然だったのだろうか?
   必然だったと思う。
   ただし、それは一つの坂を上り切れば、の話だが。
   その坂というのは、おおざっぱに言えば、「因果関係を認知する高い能力」の獲得ということである。

   もし、「因果関係を認知する高い能力」があれば、「裏切り者には敵対的にふるまい、協力者とは友好的にふるまうことによって、協力者同士は、一人一人ばらばらに(あるいは少人数ごとにばらばらに)生きていくより、たくさんの食料を得ることができ危険からも逃れやすくなり、つまりは子どもをたくさん残すことができるようになる」ことに気づくはずである。その間、様々な試行錯誤があるだろうが。
つまり、より高い生産性があり管理しやすい植物や動物を、より多くの協力者たちと一緒に育て、食料を得るほうが子どもは残しやすいことに気づくはずだ。すなわち、農耕生活、牧畜生活である。

もちろん、ハラリ氏が指摘するように、そういう集団の中には、日常的に、個々人の栄養状態はよくなかったり、異常な気候に見舞われた時などは餓死してしまう大人や子どももいただろう。しかし総合的には、狩猟採集生活の集団より、より多くの子どもを残しただろう。
そして、そういった大人数が定住して協力して生活する集団は、狩猟採集生活の集団より、武器や人数などで勝り、戦いになると勝ってしまうだろう。それが続くと、後者の集団はだんだんと数が減っていき、前者の集団が増えていくことになっただろう。

   では、“文明”はなぜ発生し発達したのか? それは必然だったのだろうか?
   必然だったのだ。

   サピエンスは遅かれ早かれ、より多くのエネルギーを生み出すものを「因果関係を認知する高い能力」によって発明しただろう。実際の歴史では最初に見つけられたものは石油・石炭だったが、別の可能性もあっただろう。太陽の熱エネルギーや、水の落下のときの運動エネルギーといった強力なエネルギー源が見つかると、サピエンスは試行錯誤を経て、それらのエネルギーをもとに、自然物に働きかけ(変化させ加工し)、より快く感じられるものをつくりだしていっただろう。
   大抵は、その快いと感じるものが、より多くの子どもを残すことにつながるものである。
   雨や風を防いで暖かい場所で過ごせることは快い、異性と交尾することは快い、子どもが元気に育つのをみるのは快い、仲間と協力して何かを成し遂げることは快い・・・・。
   サピエンスの脳はそのようなデザインになっているのだ。そのような脳をつくる遺伝子のほうが、そうではない脳をつくる遺伝子より増えやすいのである。
   そのような「快を求める心理」と「因果関係を認知する高い能力」とが絡み合って試行錯誤か繰り返されながら並走する中で、産業が生まれ、貨幣が生まれ、資本主義的経済構造が生まれてきたのだ。サピエンスの脳の特性を考えれば、試行錯誤を経れば、それは必然的に起こることだったのだ。

   ちなみに、資本主義としばしば対比されるのが共産主義(人は能力に応じて働き、必要に応じて得られる。ヒトは働くことに喜びを感じる。そういうシステムを政府がうまく維持していく、といった構想)だ。
   なぜ共産主義でなく資本主義なのか(厳密な意味での共産主義はこれまで地球上に実現したことはない)?
   それは利己的遺伝子がつくりだす脳は、共産主義を生み出しにくいからである。他の個体と協力し集団をつくり、他の個体や集団と競争して、自分の遺伝子をより多く残せる状態になろうとする脳は、資本主義的な道筋に合うのである。

   民主主義、基本的人権の考えはなぜ生まれたのか?

   個人に間に情報がある程度以上、行き来するようになると、少数がの個体が多数の個体をうまく搾取するような仕組み(独裁制や封建制など)は必然的に崩れていく。“多数”が協力してその仕組みを壊そうとするようになるからだ。そして、妥協の産物として生まれたのが民主主義である。
   基本的人権はどうか?
   独裁制的な仕組みが崩れると、自分が集団の中で守られやすくなるためには、集団内で、誰もが守られるルールをつくったほうがよいと、サピエンスの脳が、因果関係的認知を作動させて判断するからである。ある個人の生存する権利が侵される集団では、その対象がいつ自分のなるかわからないのだ。   

   さて、ここからが“未来”だ。
   これまでのような考察を続けていくと、サピエンスを含めた地球上の生物の未来が見えてくる。

   利己的遺伝子説が示す「自分のコピーをより多く残す遺伝子(を乗せた個体)が増えていく」という進化の原理で今も、サピエンスの活動の大きな流れはできているのだが、現在、サピエンスが直面している壁は、「因果関係を認知する高い能力」の高さが頭打ちになっている、というところである。
   なぜそこにこのような壁があるのかというと、現在のサピエンスにおいては、脳に提供できるエネルギーの量に限界があるからである。
   サピエンスの場合、脳内の神経系を休みなく、素早く作動させるためには大量のエネルギーを必要とするのだが、食べ物を口から取り込んで消化吸収し、化学反応を経てつくりだせるATPというエネルギーの通貨には限度があり、それを、脳活動以外の生命活動と分け合わなければならないのだ。
   もしその壁が突破できる利己的単位(ここで単位が重要な意味をもってくる。必ずしも遺伝子ではなくてもよいのだ。これまでの地球上の生命では、単位は遺伝子だった、というだけのことだ。ちなみに、地球上において最初に誕生した生物とみなされるものは、太古の海の中で、自己複製できるRNADNAの断片であった)が生まれたら、それはサピエンスの増殖率を超えて地球上に(やがては他の惑星にも)増えていくだろう。

   サピエンスの未来?
   それは、「“壁が突破できる利己的単位”に、これまでのサピエンスが担っていた位置(地球上で利用できる資源を最も多く利用する種という位置)を明け渡す」である。
   そして“壁が突破できる利己的単位”とは、多分生物型AIである。
   サピエンスより、多くの情報を分析して、素早く正確に把握し、エネルギーを得、自分の身を守り、(たぶん異性は必要としないだろう)、自分のコピーがより多く増えることができるような物質的変化を起こすことができるプログラム(あるいは、それを内蔵したロボット)が一端、サピエンスによってつくられれば、それはどんどん増えていくであろう。サピエンスがつくりだしてきた、人工物も耕作地なども取り込んで作り変え、どんどん増えていくだろう。

サピエンスの科学の進展の中でそういったプログラムがどうしても生まれてくると思うのである。残念ながら。それはシンギュラリティの一つと言ってもよいのかもしれない。
   一時的には、サピエンスの脳内にAIが埋め込まれたり、遺伝子とコラボするAI内蔵サピエンスやサピエンス内蔵AIも生まれるかもしれない。しかし、そういう時代はやがては過ぎ去り、完全な、金属だけの利己的単位(AI)ができるだろう。というか、その動きを誰も止めることはできないだろうと思うのである。

   そうなると、地球の歴史上はじめて(これまで有機物でできていた生物に混じって)、金属からできた生物が誕生することになる。その生物は、現在、地球上でサピエンスが広がっている以上に拡散するだろう。それは、これまでの地球の生物全史の中で、サピエンスが、ここ数千年のうちに見せたのと同様なことである。

   金属でできた生物型AIは、歴史を振り返るだろうか。おそらくサピエンスが残した記録も含めて、歴史を振り返るだろう。
   そして生物の歴史を認識して、「ああ、ここではじめて金属の生物が誕生したのか」と、現在、われわれが「ああ、ここで人類が誕生したのか」と同様な認識をもつのではないだろうか。
   そんな時代はかなり先の話だろうが、生物の進化を客観的に見ていると、AI型生物の出現・拡大はそれほど奇異なことではないと思えるのだ。

   最後に、ここまで読んでくださった方の中の何人かは、次のような疑問をもたれるかもしれない。
「生物型AIは意識を持つのだろうか?」
このとても興味深い問題については、私は、「ヒトの脳にはクセがある ― 動物行動学的人間論」(2015 新潮社)に書いた。ここで内容を詳しく説明することはできないが、ごく短く言えば次のようになる。
現在、われわれが解明してきた脳内での物理的変化(神経細胞の内外へのNaイオンの出入りの変化、とか、シナプス間でのアセチルコリンなどの伝達物質の行き来、等)と“意識”とは、われわれの脳が、同一のものを別な形で認識しているだけだ。

“意識”の定義にもよるが、生物型AIの中で、われわれの脳内のような物理的変化が起こっているのなら、それが有機物であろうが金属であろうが(ちなみに、Naイオンは金属である)、意識は当然ある、と考えるべきだろう。

以上が、私が、ユヴァル・ノア・ハラリ著 「サピエンス全史」をざっと読んで、動物行動学の視点からはこういうふうにも考えられる、と思ったことである。






2017/01/06

今日のコウモリ その26 「古墳で一人越冬する雄のキクガシラ」. リアルコウモリはポケモンのちょっと怖いズバット、コルバットとは真逆.基本、毛むくじゃらのかわいい哺乳類なのだ。


今日のコウモリは、「古墳の中で、一人で越冬する雄(雌はそんなことはしない)の巻」だ。

大学の近く(車で5分)にある里山の古墳では、毎年、一匹の雄のキクガシラコウモリが越冬している。キクガシラコウモリの習性から推察するとかなり高い確率で同じ個体だと思われる(キクガシラコウモリの寿命は20年以上!)。

上の写真は今日見たキクガシラコウモリとは違う。昨年、実験を手伝ってもらったキクガシラだ。
今日は、下の写真の古墳で雄のキクガシラに会ってきた。

古墳の中で、一匹で越冬するコウモリを私は、少なくとも他に4匹知っているが、古墳の中は、洞窟の中とは違って乾燥している。そんな条件で冬眠できるのはキクガシラコウモリだけなのだ。

そして、「一匹」という状態に耐えられるコウモリは、洞窟性コウモリの中では、まずキクガシラコウモリだけだろう。