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2016/05/31

K先生、写真うまいや!それとタゴガエルの声に包まれた神秘の森


前回、先週の土日に実施した「ニホンモモンガの調査」に関する実習について、このブログでご紹介した。

今日、その実習に参加してくださったN先生が、「写真撮りましたからどうぞ」と画像を渡してくださった。

いい写真がたくさん撮られていて私は感心した。
上の写真はヤマネである(捕獲申請は出していないのですぐ巣箱に戻した)。K先生、写真うまいや。

負けてはおれないので、私は別の視点から、「タゴガエルの鳴き声に包まれた神秘の森」と題した動画を撮ってアップした(下の動画)。

カメラで切り取る自然もなかなか魅力的だ。








2016/05/30

ニホンモモンガの未来は君たちの肩にかかっている


昨日と今日、一泊二日で、学生の実習「智頭町芦津渓谷のニホンモモンガの調査」に行ってきた。

調査と生息地再生両方の意味をもつ巣箱は、モモンガはもちろん、ヤマネやシジュウカラ、マルハナバチなどび利用されており、何かと面白い実習になった。

モモンガはコウモリに負けないくらい魅力的な哺乳類である。
まー、どんな動物でも、調べてみると実に興味深い姿を見せてくれる。
もちろん、ヒトだってそうだ。

これまでマイクロチップで個体識別してきたモモンガについては、「また会ったね。君はここまで移動するんだね」、「また会ったね。あなたはずっとこのあたりに棲んでいるんだね」、「あ、はじめてお目にかかかったね。お尻(の皮下)にマイクロチップをつけさせてもらうよ」・・・・みたいな出会いになる。


夜は「どんぐりの館」に泊まり「ももんがの湯」に入浴したのだが、私と学生の中の有志は、今回は特別、芦津渓谷の中にある小屋(下の写真.すぐそばにトチノキと渓流があり、ロケーションがヤバイ)に宿泊した。

深夜、車で「どんぐりの館」から「トチノキの小屋」に車で移動する途中、何度かシカに出会った。空の星はとても鮮やかで、学生たちは流れ星をいくつも見つけていた。

小屋の中では、外が結構寒かったのでストーブを燃やし、快適な時間を過ごすことができた。


学生たち諸君よ、ニホンモモンガたちの調査を見学して、またいろいろな生物に出会って何を感じただろうか。ニホンモモンガたちの未来は君たちの肩にかかっている。




2016/05/27

トノサマガエルは鋸で木を切る音がすると鳴き出す



Kさんは卒業論文でカエルの食性に関する生態を調べている。

食性というと、先輩のYくんが、泣く子も黙る「強制嘔吐法」によってこれまでに、百を超えるカエルの胃を裏返しにして口から外に出し、食べているものを調べてきた。

Kさんは一度、Y先輩のありがたいご指導を受けたのだが、奥深い「強制嘔吐法」をすぐにはマスターできず、先日、改めて私と一緒に採集に行き、捕まえてきたカエルで練習をしたのだ。

今、私は、その時のトノサマガエルを2匹飼育している。Kさんに、それらのカエルと使った、研究を深めるための実験を提案しているのだ。

そのトノサマガエルが、(話はややこしくなるが)、卒業研究でコウモリの行動を調べているIさんの実験に必要な木の断片をつくるために私が鋸で木を切ると、その音に反応して、ゲロゲロ鳴き出すのだ。

おそらく今、繁殖期なので、木を切る鋸の音が他のオスの鳴き声に聞こえ、それに対抗した縄張り宣言として、飼育中のトノサマガエルは鳴くのではないかと考えられる。
でも、正直、「こんな単純な音に反応するなよ」と言いたくなる。





2016/05/26

野ウシの研究?


ゼミ生のHくんは卒業論文でウシ、ウシ!の社会行動をやりたいという。

ウシか・・・・・、14年間のゼミの歴史の中ではじめての動物だ。

今日は、そのことで、研究ができる可能性がある牧場の責任者の方のところへ、Hくんと一緒に行ってきた。

幸い、好意的に研究に関して場を提供していただけることになり、喜んで帰路に就いた。
途中、山の斜面で草をはむウシ、ウシ!たちを見た。

いいじゃん。野生の大型草食動物の雰囲気に私はすっかり魅了され、車から降りてしばし見入ったのだった。

道を降りる途中、集団で乱舞するモンシロチョウのような一団にも出会った(下の動画を見ていただきたい)。
これまた車を降りて種を確認するために車に積んであった虫取り用の網で一匹捕獲した。それはモンシロチョウではなく(それは最初から分かっていた)、蛾の一種だった。種名?まだわからんわい!

その近くには風車もあり、結構充実した時間を過ごしたのだった。








2016/05/23

イラストと”ひたむき”と



上の写真は私が描いたイラストである。

私は悲しいことがあったときや落ち込んだとき何かを描くことにしている。

あまり力を込めて描くことはできないが、描いているとひたむきだったころの気持ちが思い出されて、少し前向きになれるのだ。

やがて、なぜそんな特性が脳には備わっているのか考えはじめ、動物行動学の世界へと入っていくのだ。

もしこれを読んでいるあなたが若いホモサピエンス(大学生も含める)だったら、”ひたむきに”という言葉をかみしめていただきたい。イヤ、若くないホモサピエンスも。

いい言葉だよ。”ひたむきに”は。
そしてそれを続けることは難しいけどいいことだ。

以上、オヤスミ

感動は身近なところにある


上の写真は、昨日、大学から帰る途中、撮ったものである。

きれいな光景に、思わず車を止めてシャッターを切った。
実際には写真よりもずっとずっときれいだった。

美しい光景は、なにも遠くの遠くの土地に行かなくても、身近なところにあるのだ。
ワクワクする生物物語は、なにも遠くの遠くの土地に行かなくても、身近なところにあるのだ。

それを感じられるかどうか ・・・・ それがその人の深さの一面ではなのではないだろうか。





2016/05/22

敬老会 その2 : モモンガ・クッキー



モモンガ森の山里の敬老会での出し物も終わり、私の都合もあり、誘われた懇親会も失礼して帰ってきた。

うれしかったのは、帰り際、2年前から”モモンガ焼き”をつくっておられる地元のAさんが、新しい試作品”モモンガ・クッキー”を見せてくださったことだ。

これなら日持ちするし、なかなかイカス芦津の名物になる可能性がある。
とりあえず、今年の大学祭でぜひ、作り立てを売ってください、と頼んでおいた。

2枚重ねて、間にチョコとか、クリームとか、モモンガの糞(!)などを挟めば、結構いけるんじゃないの。

Iさん・Wくん・Aさんとモモンガ森の山里の敬老会


今日、モモンガの森の山里(芦津)で敬老会があった。

最初のきっかけは忘れてしまったが、ここ何年か、私のゼミの学生たちを中心に、鳥取環境大学の地域貢献の一環として、出し物をしている。
敬老会の人たちは、温かい目で応援してくださり、特に前のほうの方たちは、リズムをとってうなずいたり一緒に口ずさんだり手拍子をしたりなどして盛り上げてくださる。
多かれ少なかれ、大変な思いもされながら年を重ねてこられた片鱗を垣間見る思いがする。

今回はIさんがバイオリン演奏、Wくんが歌、Aさんがトロンボーン演奏をしてくれた。
身内びいきかもしれないが、みんな結構いい線いっていたと思う。ほんとに。


下にその動画を載せた。

いい一日だった。







2016/05/20

なんだよー、せっかく入ってやったのによー


卒業していったゼミ生たちが巣箱に描いた絵(の一部)

5月14,15日の芦津モモンガエコツアーのときにあった出来事だ。
これは今年の春、全国に旅立っていった小林ゼミの学生諸君に伝えておかなければならない、と思うのだ。

「ゼミの最後の思い出に」と、2月に行った芦津で(涙が出てくるなー)、みんなで絵を描いて取り付けた巣箱に、なんとモモンガが3匹も入っていたのだ(参加者の人たちが「この巣箱、なんかいろいろ描いてある・・・・」と話題になっていた)。

ちなみに、このような、成獣が同一巣内に入る行動は、私が「巣内同居」と名付けている現象で、この時期に3匹の巣内同居は珍しい。


もちろん私の指導がよかったからだろうが、みんなが巣箱の表面に書いた絵もモモンガをひきつけたのかもしれない。

私には、巣箱から出てきたモモンガがこう言っているのが聞こえるようだった。
「なんだよー、せっかく入ってやったのによー。放せー、放せー」

確かにしばし不自由な思いをさせるかもしれないけど、まー実験が終わったらまたここに放してあげるから。それに大学の野外ケージではヒマワリというそれはそれはおいしい魔法の食べ物も食べられるし。


モモンガエコツアーに参加してくれたIさんが撮ってくれた写真


”軽い”教授と学生の会話


ゼミ室にある海産水槽の中で、海藻をバリバリ食べるヤドカリを見ながら、教授と学生が話している。教授がつぶやく。・・・・「わー、すごいわー」

動画の声が聞けない方のために、以下に会話をそのまま記してみよう。

教授:  「ヤドカリってさー」・・・・この出だしの言葉から、かなり”軽い”教授であることがわかる。
「(ヤドカリってさー)自分の殻の大きさををどういうふうに認知すると思う?」

学生: 「(貝殻のなかに)入る時ですか」

”軽い”教授:「いや、選ぶとき」、「自分の殻を選ぶとき」

学生: 「だいたいあれなんじゃないですか・・・」

ここで動画は終わっている。

この後、”軽い”教授と学生との間でどんな会話がなされたのかは、あえて書かない。

しかし、「ヤドカリが自分の体に合った貝殻をどのようにして選ぶのか」について、”軽い”教授は、別な学生の卒業研究で、従来の説を変える実に興味深い事実を見出しつつあるのだった。

そして、この”軽い”教授、ちょっとした学生との触れ合いのなかにも、学生に考えさせるという教育的配慮を忘れていない。・・・・いずれにせよ、ただものではない。

本当は、ちょっともったいぶって自慢したかっただけかもしれない。

すべては闇の中。ヤドカリは殻の中。

2016/05/17

困ったときはヤギの写真.困ってない時もヤギの写真

ヤギのよい写真をお見せしたい(上の2枚の写真)。

今日、3枚目の写真のような光景を、研究棟の3階から見た。

最近は世間では、ネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコと言っているが、3枚目の写真を見ると、ヤギヤギヤギくらいは言ってもよいのではないか。

4枚目の写真を見たまえ。風車とヤギ放牧地はネコにはまねのできない味(爽やかさ、というか、神々しさというか)を出しているではないか。ヤギヤギヤギヤギヤギくらいは言ってもいいかもしれない。







2016/05/16

東京オリンピックエンブレムを背負ったヤドカリ


今日は、長くは書かない。ずばり、東京オリンピックエンブレムを背負ったヤドカリ・・・・だ。

下の写真をご覧あれ。

ちなみにこのヤドカリはオカヤドカリで、まだ小さい個体である。

私はこの子を「トウエンちゃん」と呼ぶことにした(今、決めた)。

東京オリンピック。賛否両論、承知の上での提案である。ここはひとつ前向きに生きましょう。
生態系の保全(野生生物への関心の向上)にもつながる、「東京オリンピックエンブレムの動物がを見つけた!」発信サイトをつくってはどうだろうか。

私には無理なので、どなたかそんなサイトをつくってはいただけないでしょうか。




2016/05/15

芦津モモンガエコツアーをやりました

Yさんが撮ってくれた写真.後ろの人物は私


4月2日にチラシをこのブログに掲載した芦津モモンガエコツーを、昨日と今日、行った。

まずは参加者の皆さん(12名)に、心から感謝である。

天気は快晴だったが、その快晴さ以上に、皆さんと気持ちの良い活動ができた。

モモンガたちも、とてもよく協力(?)してくれた。同じ巣箱の中に2匹入っていたり、3匹入っていたり・・・・・とてもかわいい姿を見せてくれた。
なかには、われわれが近づくと、巣箱から顔を出してくれたモモンガもいた。

私がハシゴに上って上から撮った写真.巣箱には、2匹のモモンガが入っていた

地元の方々も畑から取り立ての野菜で美味しい食事をつくってくださり、いろいろ楽しい交流ができた(私は、お返しというわけではないが、私がつくったミニ地球を差し上げた)。

以下、お世話になった動物たち.

もちろんまずは8匹のニホンモモンガ、アカハライモリ、トノサマガエルとアマガエル(両カエルともYくんが胃を反転させて食べているものを無断で調べさせてもらった)、タカハヤ(大変申し訳なかったが・・・食べさせてもらった)、タゴガエル(声と卵)、シジュウカラ(巣と卵)、シカ(声)、ヤスデ、トビムシ、その他たくさんの土壌動物(ミニ地球の住人になってもらった)

モモンガの森でつくったミニ地球

2016/05/13

「脱ニート 完全マニュアル」という本



最近、読んだ本の中で最高にうなった(つまりその深さに感心した)のは「脱ニート 完全マニュアル」という本だ。

専門学校を卒業して6年間ほどニートをしていた著者が、その6年間の中で学んだこと、努力したこと、そして具体的にどう考え、どう行動すれば幸せに近づけるかが、よく整理され、実行可能な内容として書かれている。6年間という時間は、それがなかったら気付くことはなかったであろう、幸せに近づいたり離れたりすることにかかわる”盲点”をたくさん知らせてくれている。

ニートの状態にいる人の心理がどんななのか(人によっても違いはあるとは思うが)、よく理解できたし、「他人を悪く言ういうことは、”人の悪いところを見つけるという癖につながり”、それは自分に向けられ、自分を否定しエネルギーを奪い、幸せになる状態から遠ざかる」などの、心から「いいね」をクリックしたいような指摘にたくさん出会った。
本当にいろいろなことを教えられた気がした。

いっぽうでこの本は、ヒトという動物のさまざまな生物学的特性や、ヒトという動物で特に発達している「自分の行動や心理を理解して、自分を、望む方向へ導いていく」という特性の好ましい使い方を、とてもよく表していると思った。ホモサピエンスの特性によく合致していると思った。

ところで、「それで、上の写真は、どうしたのか?脱ニート完全マニュアルという本とどういう関係があるのか?」と、ここまで読まれた方は思われるかもしれない。

上の写真は、昨日、講義から研究室に帰った私の目に飛び込んできた光景である。ドアに貼ってあるモモンガの写真が問題なのではない。ドアの鍵穴に刺された、モミジの枝と、それにくっついている三角形の構造物が重要なのだ。

誰か学生が、そうしてくれたのだ。

こういう出来事に、こういうことをしてくれた学生に、素直に大いに感謝すること(誰かは分からないけれどありがとう!嬉しかったです)。
「脱ニート 完全マニュアル」はそいうった気持ちをしっかり自覚することの大切さを、深いところで教えてくれるのである。
もちろん、落ち込むような出来事に出会った時の心の持ち方にもとても深いヒントをくれる。
こういった生き方のHow to本の中でも、傑出した本の一つではないかと思ったのである。

ちなみに、写真の中の””三角形の構造物”のアップを下に載せておく。これはコアシナガバチの巣だね。






2016/05/10

ナガレドジョウの棲む谷で


すくった網に入っていたナガレホトケドジョウ(左下)と巨大なサワガニ(右上)

先日、ゼミ生のIさんとナガレホトケドジョウ(環境省レッドリストの最上位に指定されている)の調査に行ってきた。

とても気持ちの良い日で、斜面を走る谷川の、小さな小さな溜まりとそれらをつなぐ細流に心も和んだ。
おすそ分けに動画もアップした。
水の表面に円形の模様が生まれ、流れ消えてゆく。そんな水玉の動きに、私自身、はじめて気がついた。




調査でも気持ちの良いデータが取れた。
産卵をひかえたと思われる大きな体の雌が、谷の上にのみ集中して見られたのだ。
私は、個人的には、産卵は谷の上流で行われるのではないかとにらんでいる。

Iさんはナガレホトケドジョウの腹の模様(下にその、個体ごとに異なる腹の模様の写真を上げておきました)で個体識別をしているので、各々の個体が谷川を、どんな移動をしているのか、産卵に伴ってどんな移動をするのか、追跡することができるのだ(ただし、そのためには結構な努力が必要だが)。

姿を見ることはなかなかできない雄のタゴガエルにも会え、なかなか心地よい午後になった。








2016/05/09

子ギツネたちのお出迎え


キツネが、ヤギの放牧地の隅っこ(斜面になりススキなども生えて見にくくなっているところ)に巣をつくったらしい。巣といっても、16年前、大学が整地される時、埋められた太いパイプの中を利用しているのだ。そして子どもを出産したらしい。

そのことを最初に気付いたのはOくんとMさんで、Mさんは、小林には内緒にしておこう(自分たちだけで楽しもう)ということにしたらしい。

今日、Oくんが教えてくれた。

でも、キツネたち、とくに子ギツネたちは正直だ。自分たちから私に、僕ら(私たち)元気に大きくなっているよと、教えに来てくれた。

夜、車でその場所のそばを通っていたら、2匹の小さいキツネが車の前に現れ、私が降りてついていくと、パイプの巣穴の前で待っていてくれたのだ。「ここが家なんだ。どう立派な家でしょ。おじさんンも入っておいでよ」とばかりに、ずっと巣穴の前で私のほうを見つめてくれていたのだ。

私が、「写真いいかい?」とたずねるとと、「うん、いいよ!」とばかりに、上の写真のようなポーズをとってくれたのだ。

Mさん、・・・・・、あのね。

求めよ、さらば、適切な産卵場所が見つかるだろう


昨日の夜、大学の北側の森(そこにモモンガの野外ケージがあるのだ)に行くと、以前、学生たちと一緒につくったレンガの池にカエルの気配を感じた。

近寄っていくと、レンガの池のちょど縁のところに2匹の♀のモリアオガエルがいた。これから卵を産む場所を決め、そこでケロケロ鳴くと、その鳴き声にひかれて周囲からたくさんの♂が集まってくるのだ。

卵は、水場に張り出した枝などに、球形の泡の”池”をつくり、その中に産むのである。その球形の池の中でオタマジャクシまで育ち、雨が続いたある日、下の本物の池に落ちていく。実にうまい仕掛けになっている!

と、何気なく池の底(水がまだ一部にしか溜まっていなかった)を見ると、何と大きな♀と、その横に小さな♂(モリアオガエルでは、♂は♀の半分以下の大きさなのだ)が、並んで座っているではないか。

これは興味深い写真が撮れた(下の写真)、と満足して帰ろうとすると、♀のほうがレンガの”内壁”を登りはじめ、頂上近くまで登りついたら、上の写真のように、「いい産卵場所が欲しい」とでも叫ぶかのように、手を中空に伸ばしたのだ。

なんと心に響く写真ではないか。

私はさらに満足して帰路につくと、途中にある田中池(以前このブログでも紹介したが、卒業生の田中Tくんがカスミサンショウウオのために地面を掘ってつくったビオトープ的再生地だ)に、なんとすでに、モリアオガエルの産卵塊(球形の泡の池)があったのだ。
気の早いモリアオガエルが生んだの違いない。

人間社会でいろんな出来事が起きる中、野生生物たちは、たゆまず淡々と各々の生を進めているのだ。

10年近く前、学生たちと一緒につくったレンガの池.中から貞子さんが出てこられたら結構怖いと思う

モリアオガエルの♀(右)と♂(左)

田中池の上部に産み付けられたモリアオガエルの卵塊




2016/05/07

懸命に生きるカナヘビに子守唄

これは先日、本当にあった話である。

私の家の庭先の畑に、カナヘビが、地面に体を横たえて休んでいた。
そのお腹の具合から(写真をご覧いただきたい。けっして満腹ではない。腹部のシワがそれを示している)、空腹を抱えて餌を探し回り、一時、疲れた体を休めていることがうかがえた。

私は、思わず、私のとっておきの子守唄を口ずさみながら(子守唄といっても既存の子守唄ではない。その時その時に、それぞれの動物に合わせてささやくように、多少のメロディーをつけて声をかけるのである)、カナヘビに近づいて行った。
日々の厳しい生活の中で、ほっとする機会をもった同じ仲間としての共感がそうさせたのである。

するとどうだろう。
カナヘビは、少しずつ目を閉じはじめ、最後は、気持ちよさそうに、寝入るように完全に目を閉じたではないか。

ああ、私の即興の子守唄にそんな力があったとは。
私は自分の力に感動し、静かにその場を立ち去ったのだった。

ちなみに、最後にカナヘビの尾を確認すると(一番下の写真)、思った通り何度か切れて苦労して再生している状況が確認された。
しばしば庭に来て寝そべっているあのネコが怪しい。

でもネコも私も含めて、みんな懸命に生きているのだ。命の本質がそこにある。かりに力尽きても、それはけっして単なる無様な死ではないのだ。私は人生に、改めてそういう意味付けをしたのだった。

ジャーーーン


 

ウシの研究?面白そうじゃん!


ゼミ生のHくんは、卒業研究で”ウシ”!の行動をやりたいという。

ウシ? ウシ!

そう、ウシ・・・・なのだ。

そういうわけで、休日、大学の近くの、放牧されたウシ!が観察できるところを、Hくんと一緒に車で回っている。

上の写真は、先日訪れた牧場の中に見えたジャージー牛の姿である。

でもこの牛は、研究の対象にはならない。

ある程度広い場所で、複数の個体が自由に行動しているような場所を見つけなくてはならないのだ。

そして何よりも、近づいて観察やデータ取りができることを、牧場主の方から許可してもらえるようなところでなければならないのだ。

幸い、ジャージー牛のすぐそばには、下の写真のような「ある程度広い場所で、複数の個体が自由に行動しているような場所」があり、和牛がのどかに、思い思いに過ごしていた。
そして、牧場主の方が大変好意的にわれわれの希望を受け入れてくださり、もし研究をやられるのなら、どうぞ、と言ってくださったのだ。

もちろん、衛生面で、ウシに被害が出ないような慎重な行動をとらなければならない。
でも、その牧場は、研究対象の候補地になるね、と車の中で話しながら大学へと帰ってきたのだっ

ウシの行動に関する研究は、これまでにたくさんある。
でもそれらのほとんどは、畜産学からの研究で、ウシの効率的な管理のために、という視点からの行動の研究だ。
純粋に動物行動学的な見地に立てば、きっと新しいテーマはいろいろあるに違いない。

いや、ウシ・・・・・いいね!いいよ。



あなたにはヤギが見つめるヒバリが見えますか?



あなたにはヤギが見つめるヒバリが見えますか?

ヤギの目線をずーーーっと進めていくと、その先に、ちょこんとヒバリがいる。

でもこのヒバリは、単に、ちょこんとそこにいるわけではない。
私の推理では、その近くに巣があり、このヒバリは親鳥として、白い怪物の挙動を監視しているのだ。私くらいの動物学者になると、ヒバリの顔や姿勢の表情でそういったことがわかるのだ。ただし、それが当たっているかどうかは、また別問題だ。

前々回のヤギの写真が好評だったので、今回もヤギ様のお力を・・・というわけで、深まる春の一コマを切り取った写真をネタにさせていただいた(イヤ、自慢だが、こういった写真を撮るのは難しいのだ。動物の写真を撮る方なら分かっていただけると思う)。

ヒバリのほうを見るヤギの眼差しが優しそう。

再びダンゴムシのルーティンと未知の植物.自然は意外性に満ちている


ダンゴムシのルーティンは続いている(そりゃそうだろ、だからルーティンと呼ぶのだ)。
上の写真の右上あたりに正座して瞑想しているようなダンゴムシが見える。

さて、目を左に移すと(ソンナオオゲサナ)、そこに何か、白い球とその上に突き出した黄緑色のループ状の構造物が見えないだろうか(ミエルニキマットルジャロガ)。

はたしてこれが何者か。皆さんはお分かりになるだろうか。
えっ、お分かりにならない!
そうでしょう、そうでしょう。私にも分からないのだ。

突然、姿を現したのだ。

植物であることには間違いない。そして下側の白い球が栄養を貯めた子葉(大豆の、われわれが食べる部分と同じもの)であることも確かだろう。

でも、この植物が一体何者なのか。そしてミニ地球が誕生してかなりの年月が経った今になって出現してきたのか・・・わからないのだ。

心なしか、ダンゴムシにも動揺の色が見えたりして。

この、赤道付近に突然現れた巨大植物、今後、どんな姿に変化し、ダンゴムシを含めたミニ地球の生態系にどんな影響を与えるのだろうか。

ちなみに、下の写真は、別なミニ地球で、地球誕生後2か月ほどして突然現れたハチ(寄生蜂の一種)である(この方の餌はミニ地球には存在しないので、地球から出ていただいて、宇宙空間に解き放してあげた)。

たとえそれがミニ地球であっても、自然は、何が起きるかわからない。自然を散策するときの大きな大きな楽しみの一つはこれなのだ。

自然は意外性に満ちている(その面白さを全く欠いて、ただただ技術だけに頼ってさなれた研究よりも、意外性から出発した創造性を含んだ研究をずっと高く評価する)。


2016/05/04

ネタに困ったときにはヤギの写真


別にネタに困ったわけではないが、ヤギの写真(2枚)。

どちらもいい色が出てるではないか。もちろん、構図には細心の心配りがなされている。

写真を見ていた思うのだが、なぜ日本に渡ってきたヤギは白色なのだろうか。
見つけやすくて管理しやすかったのだろうか。

本当のところは分からないが、その白色のおかげで、色合いのよい写真が撮れる。
シロクマじゃああるまいし、ちょっと人工過ぎると思うこともあるが、そのぶん、行動が家畜っぽくなくて(野生動物っぽくて)、動物と接することの楽しさを体験させてくれる。

最近、ネコブームだけど、里山のシンボル、つまり、自然との共生のシンボルであるヤギがブームになってくれれば、自然環境について考える機会も増えるのではないだろうか。

上の写真のような風景が鳥取駅に出現したら、私は、多くの人が、「いいなー、この里山のヤギの風景!」と感じてくれると思うのだ。

問題は、糞の処理も含めた管理だろう。でも私には秘策がある。ITも利用するのだ。
ああ、「ITと里山の県、鳥取・・・ヤギもおりんさるよ」

ナンチャッテ

花はなぜ美しいのか



少し硬い話だ。でもヒトについて理解を深めるためには重要な話だ。

以下の説は、4割は従来から(現在も)動物行動学者たちが言っていることであり、6割は私のオリジナルだ。

“美しい”という感情は、ヒトの脳が、対象をうまく把握した(何なのかがよく分かった)ときに生じる感覚である。そして、その対象が、自分の生存・繁殖にとって利益になる可能性があると思った(たいていは無意識に)ときその“美しさ”感情はより強く感じられる。

少し具体的に。

①色:
色の情報処理に重要な働きをする脳内の視床では、目から入った色の情報は青、緑、黄、赤(いわゆる4原色!)それぞれに一端まとめあげられ、大脳へと送られる。だから、原色だけ、あるいは原色の組み合わせ(真っ青な空、真っ赤な服、一面真黄色のヒマワリの花畑、黒い背景の中に浮き上がる鮮やかな赤や黄色や緑の花火・・・・)は美しい。
②空間や音:
対称やバランス、リズムといった秩序・規則あるものは美しい。
③行為:
一貫していること(一貫した信念に基づいたぶれない生き方、一貫した他人への援助、いわゆる美談、悪さえも一貫した秩序に貫かれているときは、悪の美学とも呼ばれる)は美しい。
③理論:
一見複雑そうな対象・現象をシンプルな原理や数式で見切ったとき、美しい理論、美しい数式などと呼ぶ。

そして、上のような「ヒトの脳が、対象をうまく把握した(何なのかがよく分かった)とき」に加え、「その対象が、自分の生存・繁殖にとって利益になる可能性があると思った(たいていは無意識に)ときその“美しさ”感情はより強く感じられる」。以下、具体例。

A 美談:
一貫して他人を助ける行為・・・それが自分に向けられたら、自分の生存・繁殖にとって利益になる可能性がある。

B 異性の外見(のみ):
たとえば顔のパーツの並びが、左右対称、バランス、黄金比などに合致し(以上、顔の把握がうまくいくこと)、かつ、若さや健康さの指標であるぱっちりした目、肌の張などがあれば(以上、そういった異性と番をつくれたら自分の繁殖に有利)、“美しさ”感情はより強く感じられる。  
   
C 茶道や華道における作法:
 順序なども重視され、秩序だった進行(以上、作法の把握がしやすい)に加え、相手への思いやりの心(それが向けられた自分にとしては生存・繁殖に有利と感じる)が込められた作法が美しいとされる。

 さて、そして「花」だ。
 原色、あるいは原色が組み合わさった色、秩序だった形状(対称、円、バランスなど)・・・以上が「把握がうまくいくこと」につながる」。そして、花があるということは、それはやがて、自分(ホモサピエンス)が食することができる実ができる可能性を示している、また、その地は自分の餌を育む豊かな土地であることを示す。
 だから我々ホモサピエンスは、花を、「美しい」と感じるのだ。

問題は、以上の「美しい」説をいかにして検証するか、ということだ。

ちなみに、美しさが「対象の把握の成功」だとすると、芸術は「対象についての新しい認識、あるいは、認識の向上」と捉えればよいと私は思っている。絵画芸術の進展を考えてみよう。・・・・印象派の出現・・・・キュビズム(立体主義)の出現・・・・!

さて、3月の山で私が出会った、揺れるモクレンの花(下の動画)を見ながら、美しさと芸術について考えてみたい気分。

この、揺れるモクレンの花について、「へーっ、こんな見方ができるのだ」という見方を提示できたら(俳句、短歌、詩、絵画、音楽・・・)、それは芸術だ。
「芸術は爆発だ!」と岡本太郎氏は言った。そう、芸術は爆発であり驚きだ!

(いつものことながら)何の話だっけ?



2016/05/03

海辺の住宅地のネコとカラス


上の写真は、今年の4月半ば、7鳥取港の近くの海辺の人家脇で見た光景だ。
ネコとカラスの、緩くて、でも何かしら緊張した距離感がいいではないか。
2匹ともいろんな記憶を背負って懸命に生きていることは確かだ。

私は森や海や里山や里海や、そして大都会が(結局どんなところでも)好きだ。さまざまな野生生物や里地生物、そしてホモサピエンスが見えるからだ。

大仰に聞こえるかもしれないが、私はそれらの生物を、進化の産物として見つめる。それぞれの形や動きの意味を問いながら見つめていると、どこでもとびっきりのフィールド地になるのだ。

いっぽうで私は、そんなフィールド地の生物を見ながら私自身の中に湧き起こる心理や感情にも目を向ける。自我のなせる業だ。私自身の脳も進化の産物なら、湧き起こる心理や感情もまた意味があるのだ。

日本では、最近、ネコがブームだ。もちろんさまざまな要因が重なり合ってその現象は生まれているのだろう。でもその要素の中に、進化の産物としてのホモサピエンスの脳に備わっている次のような性質が関係していることは確かだと思う。

・同種(ヒト)の幼児を可愛いと感じる性質
・適度に相手の心を読み取り、心を通わせることに快を感じる性質
・ヒト以外の動物の習性に関心をもつ性質
・生命の存在を身近に感じることに快を感じる性質

ここからは私の切なる思いだ。

ネコが好きなら分かっていただけると思う。自然の中で生きるさまざまな動物も、習性の差こそあれ、ネコと同じように懸命に生きている。地球の中で一番大切なのはもちろん人間だ。でもそのうえで、身近や、そして身遠な野生動物のことに、できる範囲で気を配り、可能な範囲で我慢することも大切なことであり、それは自分の幸せにつながることにもなるのだ。

ナンチャッテ、と言いたいところだが、今日は言いません。