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2016/12/31

2017年の最後の午後はコウモリの越冬地で。ユビナガコウモリはそこで越冬と繁殖の両方を行う!


ユビナガコウモリについて、どうしても確かめておきたいことがあったので、車で片道約2時間の場所(人工洞窟)に行ってきた。

「ユビナガコウモリは、越冬場所と繁殖場所とを変える」というのがこれまでの見解だ。しかし、鳥取県で少なくとも2例、場所を変えないと思われる場所が見つかっている。
今日行った場所は3例目なる可能性があるところだ。

左側の写真の、洞窟の出口に立つ人間が私である。右側の写真は、確認できたユビナガコウモリのコロニーである。
みんな塊になって冬の寒さに立ち向かっている。500匹近くいた。

こうして、2017年の最後の午後を過ごしたのである。

よい最後の午後だった。

皆さん、よいお年を。

ハツカネズミのチビ太郎、チーズをパクつく。そうか、美味しいか


暮れもおそ迫ったある日、卒業論文指導チュウ(この洒落分かってもらえる?)に、私の研究室に入ってきた(その経路は全くの謎だ)ハツカネズミの子どものチビ太郎、私があげたチーズがとても気に入ったらしく、美味しそうに食べはじめた。

昔、「トムとジェリー」というネズミとネコのアニメ(アメリカでつくられたもの)があったが、その中で、ネズミの好物はチーズということになっていた。でもチビ太郎ほどチーズを喜んで食べたげっ歯類に私はこれまで出会ったことがない。

まあいい。しっかり食べて、旅立ちの春に向けて大きくなり、体力をつけておくのだよ。

間違いなく今年生まれのチビ太郎は、これから、私の家で、生まれて初めての除夜の音を聞くことになる。




「語り合う」シリーズ:その3 ネコたちが語り合う、オカヤドカリたちが語り合う。語り合うって素晴らしい。なんか絵本のようになってきた。


海岸近くのブッシュで出会った、きっと語り合っている(ように思える)ネコたち。

私の研究室の飼育容器の中で、岩のてっぺんに登って語り合う(ように見える)オカヤダカリたち。

オカヤドカリの行動は実際、生物学的に興味深い。
ネコたちの行動は、・・・・まー、誰でもよく見るものだ。

でも、彼らの間でどんな情報のやり取りがなされているのか? 生きていくうえで、どんな役割があるのか? こんな場面でいつも考えていると、それは彼らの科学的な理解の深化につながる。

「語り合う」シリーズ、次はあなたの番かもしれない(イミワカランシ)。

海辺の蝶、蝶のように舞うロッキー(それはモハメドアリーだろが)、海、きれいだったなー


海辺に行ってきた。

波と雲が絶妙な色合いで、きれいだった。

砂浜に、海の蝶をつくった。どうだ!

蝶と言えば、近くを、タイトルマッチを控えて猛練習に励むロッキーのような方がレトリーバーと一緒に走っておられた。いつまでもいつまでも。

あっ、間違えた。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言ったのは、若き日のモハメドアリ、当時のカシアスクレイだった。ロッキーではなかった。

まー、そんな小さなことはどうでもいい。

私は美しい海辺で、貝で蝶を創造したのだ。詩のように美しい出来事。

その後、車に乗って研究室に行き、講義のシラバスに頭を悩ませたのだ。ああ、人生とは詩のようには生きられないなー。アタリマエジャ。




チビネズミのチビ太郎(今、名前を付けた)、ちゃんとしなさい!ちゃんと(何をちゃんとするのか私にもわからないけど)。そういえば、なんか、ポケモンのオタチに似ている



どこから、どのようにしてやってきたのか、不思議でならないチビのネズミのチビ太郎(今、名前を付けた)、机で仕事をしていてふっと目を上げると、私を見ているではないか。

そんなことしていていいの。子ども時代は、成長にとって大切だぞ。もっとちゃんとしなさい!ちゃんと(何をちゃんとするのか私にもわからないけど)。

そういえば、なんか、ポケモンのオタチに似ている気がする。
腹には円形の模様があったりして。


ガラスのモモンガ・ミニ地球はもう春? スミレの葉が開き、なんと蟻が出てきたのだ! そして、ある女性宇宙科学者の言葉


研究室のガラスのモモンガ・ミニ地球には、一足早く、もう春が来たのだろうか。

スミレの葉が開きはじめ、なんと、どこにいたのか、小さなアリの弥太郎くん(今、名前をつけた)が北極付近を歩きはじめた(写真の左上の小さなアリの姿がお分かりになるだろうか)。

もちろんシンボルツリーのスギはどっしりと変わりなく、その根元で、ニホンモモンガの巣材の玉が、コケに支えられて健やかに座っている。

ああ、地球よ・・・・・・ ナンチャッテ

先日、世界の知性がプレゼンをするTED(ネットで見られます)というイベントの中で、名前は忘れたが、アメリカのある女性宇宙科学者が、「うーーん」とうならさせる(私を)発言をしていた。

「火星を人類が住めるような星にするよりも、今の地球を健康に維持していくほうがはるかに簡単だ。」

つまり、今、破壊が進んでいる地球を守ることができないような人類が、どうして火星を、人が住める星にできようか、ということだ。


2016/12/30

チビ助、あなた一体、どこから入ってきたの?! 信じられない!生物にはいつでも心を開いている私の心の入口を通って入ってきたのかもしれない,ナンチャッテ。 しゃなーい、春までだぞ!


数日前、ゼミ学生と卒業研究の面談をしていたら、研究室の片隅を、ササッーと動く影をみた。

その未確認生物が入ったと思われる”カゴ”を調べてみたら、ハツカネズミの子どもとおもわれるチビ助が紙の下にうずくまっていた。ゼミ生のAさん、「可愛いーーー!」

そりゃあそうだな。私もそう思った。

でも一体、どこから入ってきたのだろう。ドアからはおろか、通気口も含めて、入れるところはないはずだ。

しいて言えば、動物にはいつでも心を開いている私の心の入口を通って入ってきたのかもしれない。ナンチャッテ。

 しゃなーい、春までだぞ!


2016/12/29

やっと私の言葉が現実になった!? 誰一匹として柵から外には出ていない。これからはずっと。多分


柵をくぐり抜けて外に出る子ヤギのことで通報があると、「もう少し時間がたって体が大きくなったらもう外へは出られませんから」と言い続けて早、1年と4か月、その間、何度私のメンツは丸つぶれになったか。

それが最近はどうだ。
だれーーも外へは出ていないではないか。

そう、私の言葉の勝利がいよいよやってきたのだ。

でも、安心はできない。こんなときに、「おじさん、出たよ。簡単だったよ」みたいに、平気な顔をして外に立っているのが、あいつなのだ(柵から顔だけ出してこっちを向いている君!君のことだ)。愛すべきヤギさんよ。もうこのへんでお願いよ。

2016/12/25

雪が降ったモモンガの森で雪でできたオニドリルを見た。別バージョン進化型スノーオニドリルみたいな・・・


昨日、意を決してモモンガの森に出かけた。

車で到達できるかどうかは五分上は白く見えた。


上の写真が、モモンガの森「その1」に入るとき、いつも車を止める場所である。
積雪のなか、なんとか到達できたのだ。雪を踏みしめて歩くモモンガの森はとても気持ちよかった。

しかし、帰りはちょっと大変だった。

重機(キャタピラで動くパワーショベル)が前を、ゆっくりゆっくりゆっくり進んだからだ。
雪のなか、それは仕方ないだろう。
でも、私が後ろにいるんですけどーー。

雪道でもあり、車をかわすだけの広場もなく、私の車は重機の後を、トボトボと、山を下りて行ったのだった。

オオドリルがうらやましかった。






ちょっと迫力ある隧道。私は果敢に入っていった。いましたよ。もちろんコウモリが!


一昨日、夜に、デスクワークに疲れちゃって、衝動的に、ある人から「子どものころ中でコウモリを見た」と聞いていた隧道(意味が分からなければググってみて)に行ってきた。大学から車で5,6分のところ。

中も外も真っ暗だし、ちょっと考えたが、もちろん好奇心のほうが勝つにきまっている。

中は、数百メートルくらいの長さがあり、2/3ほど進んで、いったんは諦めた。これだけ見ていないのだから、こりゃおらんわ・・・みたいな。


でも、そこからが私の真骨頂。しっつっこいのだ。
帰る途中に、反対側から入ってみた。
そしたら、2匹のコウモリが私のほうへ飛んできて、私を導くかのように引っ返して、奥へと飛んで行った。

私は、導かれるままに進み、下の写真の光景に出会ったのだ。

いや、うれしかったねー。
コウモリに関する知見が溜まっていく感覚もうれしいしね。

Mくんとヤドカリを見に行ってきた。いや、冬のホンヤドカリの暮らしぶりはよく知られていないと思う。はーー、こんな風に暮らしているのか。


別にここは、フランスではない。

向こうにはためく旗は漂流した浮きについていた、いわば漂流ゴミだ。でも偶然とはいえ、様になっている。

ところで、ホンヤドカリは、みんな元気に活動していた。
海の近くの潮だまりのほうが水温は高く、ヤドカリはそっちに多かった。

下の写真のように、おしゃれな巻貝を背負って、動いているのだ。
活動の仕方にある特徴があったのだが、それはまー、秘密ということで。

一番下の写真は、小さなウニである。
ホンヤドカリにしろ、ウニにしろ、石や巻貝の表面についた藻類、細菌類にしろ、命の輝きを感じるではないか。










工事で出てくる土の仮置き場。結構困るのだ。講義棟建築中の大学で敷地内に土が置かれているのだが、小さな木が守られていた。工事の人、結構優しいね。



タイトル通りです。

以前は、柵から外に出るヤギのことで謝った部員に、「大丈夫です。僕たちの友達ですから」と言ってくれたりして、・・・・いや、優しくて、立派だ。

洋風アオサギと和風アオサギ。これ本当に道路の両側に同時にいたのだ


大学の近くの道路で、洋風の家の屋根の上に、文字通り、風見鳥のようにしてとまっていたアオサギを見た。

写真を撮ってやろうと、車を道路わきに止めたら、道路の反対側の、今度は和風の家の上に、同じようなポジションでアオサギがとまっていた。

アオサギにも、洋風、和風、好みが7あったりして。

いや、面白かった。






大学の中の風景 その7: 枠はやはり魅せる、ノダ。 


冬の大学の中の風景

枠はやはり魅せる、ノダ。




動物の進化の多くは「海から陸へ」と起こってきた。ポケモンは、さてどうか?


環境学部の数人の先生たちと、大学近くの山に行ってきた。

大学林として利用できないか? 地域の人たちと一緒に「里山資本主義」的に利用できないか?・・・みたいなことを現地で考えた。




上のような場所もあって、ここには来年の2月ごろには、きっと、カスミサンショウウオが産卵するだろう、と私は思った。

道を整備して、小屋を建てて、キノコを育てる。炭焼き・窯焼きをして、木の上に展望台もつくる。・・・地域の子どもたちと一緒にいろいろなイベントもできるかもしれない。

ところで、タイトルと写真のポケモンはどうしたか、と、あなたは問われるだろうか。

忘れるところだった。

山を上る途中、私はアプノスが陸上に進化適応して誕生したと思われるような生物に出会った。それは赤い顔と黒い目のようなものを備えたリアル生物だ。

ちなみに、これまで動物の進化の多くは「海から陸へ」と起こってきた。節足動物で言えば、ダンゴムシもワラジムシもそうだ。ハマトビムシもオカヤドカリもそうだ。
陸から海へと進化が起こった例は実に少ないのではないだろうか。例えば、食肉類がアシカやオットセイに、〇×がクジラやイルカに。
ゾウなどは一度海へ移ってまた陸に・・・と考えられている。

さて私は問いたい(ポケモンを生み出す方たちへ)。そして、ポケモンは?

家の近くにある橋の手すりを走る白兎。これまで特に気にならなかったが今日、何やら心に響いた。ひたむきだよね


家の近くに千代川があり、そこに千代大橋がかかっている。

その欄干(?)には、上のような白兎(因幡の白兎をモチーフにしているのだろう)が何匹も走っている。

これまで特に気にしたことはなかったのだが、今日、並走して走ったら何かしら、心に響いてきた。
デザインした作者の心が響いてきたと言えばよいのだろうか。

ひたむきだよね、白兎。

2016/12/24

ヒトはなぜダイヤモンドなどの”光もの”に魅かれるのか? 自然界で光るもの、それはヒトの命に欠かせない「水」だから!?


上の写真は、JR鳥取駅の南口に立っている大国主のみこととウサギである。

でも、それはタイトルの内容には関係ない。「大国主のみこととウサギ」の代わりに「ガメラとギャオス」が立っていてもそれはそれでよい。

私は最近、毎日、通勤途中に、鳥取駅に10分ほど立ち寄って「野生生物としてのホモサピエンスとその動物がつくりだした生息地」を観察しながら歩くことにしている。

ヒトの動物行動学的研究についての新しい、そしてできれば斬新で画期的なアイデアと出会えないか、と思っているのだ。もちろん他力本願ではないが(自分の脳にまかせっきりではないが)、アイデアは、準備しているところに下りてくるのだ。

そういったアイデアとは違うが、上の写真のような光景に出会って、感じたのがタイトルの内容である。

ヒトはなぜダイヤモンドなどの”光もの”に魅かれるのか?(その要因の一つは) 自然界で光るもの、それはヒトの命に欠かせない「水」だから!?

つまり、「水」を、その輝きによって見つけ出し、そこへ到達した個体のほうが生存・繁殖に有利だった。
その脳の遺伝的特性が、”文明化した”時代においても変わらず残っている。
ちなみに、ハトや、孵化したウミガメは、水や、海の存在を、水面の輝きで見つけ出しているという有力な研究結果が報告されている。


2016/12/23

描かれた目の中に白い点があると、なぜ可愛いと感じるのか? 本来、ヒトの目の”黒目”の部分には白い点などないのに


先日、生物学概論かなにかの(なんといい加減な・・・)授業をしていて、動物の絵を描いた。

そのとき改めて思ったのだが、上の写真の左側の 「● ●」に関して、●の中に白い点があるとき(上)、とないとき(下)では、あるときのほうが圧倒的に可愛いと感じる傾向が強いのだ。

私は、すぐさまメモに書き留めて、授業後、その理由として即座に思い付いた仮説を検討してみた。

そう、赤ん坊の顔の写真をググったのである。上の写真の右側が「無料画像」の中にあったものである。

生きている、特に若い(幼い)ヒトの皮膚はみずみずしく、その作用もあって、目も光を反射し、その中に白い点(!)が見えるのだ。

そういうことだ。

ちなみに、こういった簡単なアイデアから、「意識という得体のしれないものの正体はなにか」といった、結構、歴史的に大きな問題まで、私が冴えた頭で(ここで笑ってはいけない。とくにそこの小林ゼミの学生!)、鋭く迫った本がいくつかある。
その中から敢えてお勧めするとしたら・・・・、

「ヒトはなぜ拍手するのか ― 動物行動学から見た人間」、「ヒトの脳にはクセがある ― 動物行動学的人間論」(いずれも新潮社)などかな。

どう、読んでみたくはなりません?

「ロッキー:クリードチャンプを継ぐ男」 ― 人間の脳が外界からの情報(たとえば映画の映像や音声)を取り込んだとき、それは大まかに2つの経路で情報処理される。


私はプロボクシングを見るのが好きだ。(男の子だねーー)


久しぶりに映画(レンタルDVD)を見た。前半の1/3程度だけど。
「ロッキー:クリードチャンプを継ぐ男」という比較的新しい映画だ。あまりにもベタなのでちょっと迷ったが借りてしまった
もう、見る前から、「ほとんどストーリーがわかる」・・・みたいなコテコテの内容であることは分かったが、それでも・・・・借りてしまった。(男の子だねーー)


そして改めて、次のような2つのことを思った。

①映画の中には、その時の自分の状態にも大きく左右されるが、自分を癒してくれたり、元気づけてくれたりする映画もある。

②”見る前から、ほとんどストーリーがわかる”ような映画でも、心が動いてしまう理由は、やっぱり次のようなことだ。(このアイデアはこれまで本などで何度も書いてきたが)

 人間の脳が外界からの情報(たとえば映画の映像や音声)を取り込んだとき、それは大まかに2つの経路で情報処理される。

 一つは扁桃体を中心とした(言葉はよくないが)原始的な脳領域へと直接届いて、感情を沸き立たせる経路。
 もう一つは、大脳を経由して、そこでさまざまな記憶などとも照合され、分析され、原始的な脳を調節するように作用する経路。
(ちなみに、2つとも、人間の健康な生活(生存や繁殖)には不可欠な脳内経路である。)

 そして、いくら”見る前から、ほとんどストーリーがわかる”ような映画であっても、それが前者の経路を通ったとき、後者の経路が「もうわかっていることじゃないか」、「これは商品として作られた架空の話だ」・・・・と分析しても、やっぱりストレートに心を動かすのである。

 これも余談だが、いわゆる「オレオレ詐欺」の幾つかの事例では、電話を受け取った人の脳内では、後者の経路が働いて、いくら「これは嘘の可能性がある」と分析しても、前者の経路が強く働くと後者の経路からの作用を振り切って不安が高ぶり”振り込む”という行動に移る・・・そんなことが起こっていると私は考えている。

 さて、私は、これからも、脳内のこのような二つの経路の作動を被りながら生きていくわけだが、少なくとも「こういった2つの経路がある」という知見をしっかりと意識しながら、例えば、つらくても、苦しくてもがんばろうと思う。

  明日は山へ行くのだ。

2016/12/19

鳥取県智頭町でモモンガ・ラベルのお酒ができていた ― 美味しそうー!!! (私はアルコールは飲めないけど)


もう、タイトルの通りだ。

鳥取県智頭町の諏訪酒造から「ひやおろし」として発売されている。
doi-sayo.com/suwaizumi.html#g

これは冗談だが、蓋を開けるとニホンモモンガの元気な求愛の声が溢れるらしい。

絶対おすすめ。その味を一言で言うならば、「モモンガの顔のように可愛くて、空を飛ぶように爽快で、モモンガの森のように奥深い」。つまり美味しい!!!ということだ。ウソだと思ったら飲んでみてほしい。


2016/12/12

作成途中のガラスのモモンガ・ミニ地球: 中の樹木はもちろん杉の超幼木。そのうモモンガショップに上げられます。



もちろん材料はすべて、モモンガの森の林床の植物と動物です。

えっ?動物がよく見えない。

もちろんです。私にも肉眼では見えません。でも杉や苔の根っこの周囲の土壌中には、トビムシなどの土壌動物が必ずいるはずです。

ミニ地球ですから。


新しいジャンルのナチュラルオブジェ: 新モモンガグッズ モモンガ森の小川の石で作った「ストーンアート・モモンガ」



新しいジャンルのナチュラルオブジェ: 新モモンガグッズ モモンガ森の小川の石で作った「ストーンアート・モモンガ」

これって、プロボクシングとかプロレスの選手が登場するときのアナウンスに似ている。

赤コーナー、アメリカが誇る不屈のボクサー、イタリアの種馬、ロッキー・バルボアーーーー!・・・みたいな。

ストーン・モモンガは、ニホンモモンガが生息する鳥取県智頭町芦津の森を流れる小川で拾った石にマジックでモモンガの絵を描き、モモンガの部分だけ、グラインダーで削ったものである。

私はこの手法を、ストーン・アートと呼んで(今、思いついたのだ)、今後、野生の石と創作力とがコラボして生み出すアートとして確立していきたい・・・みたいな。

実にいろいろなパターンの作品が可能だと思われる。
いかがでしょう。ちなみに上の作品は、機能的にはペーパーウェイトである。

この後、モモンガショップに上げるので見てみて下さい。

2016/12/11

グレよ。ちょっと荒れているが君の故郷の海だ。さあ、力強く旅立て。いや、旅泳げ、かな。


ゼミ室の海産水槽内で我々を楽しませてきてくれた魚(グレ)が大きくなりすぎたので、もとの海に返すことになった。

「グレを返す会」には、主催者発表で約5人のゼミ生が集まり、思い思いの表現でグレとの別れを惜しんだ。
天候は小雨、海は大荒れという、海での別れには最高の天候となり、参加者たちは、大波がしぶきを上げて舞い上がる埠頭をびしょ濡れになりながら走り抜けたり(危ないじゃん!)、グレの帰っていった海を背景に記念写真を撮ったりして、盛り上がっていた。



在チェコ日本大使館でチェコの人々向けに作られれた「日本の自然」の表紙を私のニホンモモンガの写真が飾った。なかなかいいチョイスだ。


以前、在チェコ日本大大使館の広報文化センターのアンドレアさんから届いたメールに書かれていた、チェコの人たち向けの「日本の自然」が完成し、送られてきた。

私が撮ったニホンモモンガの写真が表紙に使われたいた。ちなみにこの表紙は、私の「先生、・・・!」(築地書館)シリーズ第10巻の表紙にも使われたものだ。

アンドレアさんたちもなかなかよいセンスをしていると思った次第である。アンドレアさん(日本語ぺらっぺら)によれば、「ニホンモモンガの写真はとても人気で表紙の写真にもなりました」(他にも、本文の中で私の、野生のなかでのモモンガの写真も使われている)ということだった。

昨年もインドネシアの人から、ニホンモモンガに会いに是非先生のフィールドに行きたい、旨のメールが届いた。

ポケモンの次は、ニホンモモンガだろうか。

2016/12/07

目がチャーミングなゲジとルームシェアリングをはじめた。床に置いた化石の棲み処をベースキャンプに暮らしている


先日、ゲジが研究室の中を力なく歩いていた。「水をやらねば!」そう思った私は、水を浸み込ませたティッシュペーパーをそのそばに置いてやった。

建物の中に入ってきた動物の死因は、ほぼ”乾燥”である。
案の定、ゲジは、ティッシュペーパーにかじりつき数十分も水を吸い続けた。



体を見ると、まず、その可愛い目が印象的で、次に、自慢の多足が、左側だけ、5,6本、取れていた。

なぜか、いつか山で拾って研究室に置いていた化石(石化した木の幹を含んだ岩)からアリが出てきて(化石の中にアリのコロニーがあったのだ)、数か月、ルームシェアリングした思い出が強烈に蘇ってきた。

ゲジに餌と棲み処を!・・・・ 心の声に導かれ、魚用のフレーク餌と、かつて、その中にアリのコロニーがあった化石を棲み処として研究室の床に置いた。
ゲジは気に入ったようで早速、化石の下に入ってじっとしていた。
さー、どんなルームシェア―物語が待っているのか。

あなたは虫嫌い? 人は部分的に変われる。部分的に変わって、未知の世界を知って成長する。・・・私が言っても説得力はないが。




2016/12/05

新しいトンネルが作られているのを見ると、いつも思うのだ.古いトンネルをコウモリにあげて.


鳥取県智頭町の山に行く途中の道で、古いトンネルの横に新しいトンネルが掘られている。

新しいトンネルが作られているのを見ると、いつも思うのだ.古いトンネルをコウモリにあげて、と。

トンネルが短いとコウモリは使わないが、長いトンネルだと、キクガシラコウモリだとか、ユビナガコウモリガ、ねぐらとして使うのだ。そんな例を私はたくさん知っている。

山の中の、昔の坑道(金属を掘り出していた鉱山跡)を洞窟性のコウモリがしばしばねぐらにするが、それは時間とともに、特に入口が埋まってしまい、天然の洞窟も減ってきて・・・・、そういう状態なのだ。

新しいトンネルができたら、古いトンネルはもう使うのをやめ、気前よくコウモリにあげよう。それくらいしてあげないと、してあげないと、・・・・まー、してあげようではないか。

2016/12/04

日曜日の朝の窓のシルエット.その4くらい: 動物たちは静かに輝く


日曜日の朝の窓のシルエット。動物たちは静かに輝く。

タイトルと同じじゃん。そう、何度でも繰り返したいのだ。

2016/12/03

「人は幸せになれるようにデザインされていない」は越えられる. その2



先日、「人は幸せになれるようにデザインされていない」は越えられる・・・という記事を書いたら思った以上に反応があった。

その中に次のようなコメントがあった。
安定して幸せを感じられるように、脳の裏をかくには、具体的にどんな方法があるのですか。

うん、いい質問だ。

例えばだ、われわれの脳は、基本的には”結果”で幸せを感じるようにデザインされている。
試合で勝てた。創作した作品が賞を受賞した。試験で良い点を取った。・・・・

しかし、もし、脳の基本デザインにちょっとした訓練をして(具体的には毎回、そう思うように習慣づけて)、結果を目指した努力(小さくてもいいから)自体に幸せを感じるようにすればどうだろう。
絶えず幸せを感じることができるし、ときどきもともとのデザインに合致した”結果”による幸せも感じることができる。

これも一つの、脳の基本デザインの裏をかく行為だと思うのだ。


柵を抜けてよく外に出るヤギについて、工事の人が言ってくれたのだそうだ.「大丈夫ですよ。僕たちの友達だから」.


今、大学では、ヤギの放牧地のすぐそばで工事が行われている。

アズキというヤギがときどき柵の隙間を抜けて外に出るのだが、部員のNさんが、工事現場に出ているアズキを見つけ、工事の人達に「ご迷惑をかけてすいません」と言ったのだそうだ。

すると若い工事現場の人が言ってくれたのだという。
「いいですよ。僕たちの友達ですから」

アズキは愛されているのだ。


化石ピカチュウの正しい見方 ― こういうふうに見えたのだ.それって私だけ.


昨日、「山の道端で石化したピカチュウに会う.ピカチュウ族祖先の化石か?」というタイトルで投稿したら、「どこがピカチュウですか」という反応にたくさん出会った。

上の”説明”を見ていただいて、どう思われるだろうか。