今年のノーベル文学賞を受賞したのはフランスのモディアノ氏であった。私は、氏の小説を読んだことはない。でも、新聞や雑誌で、氏についての記事を読んで動物行動学の視点から感じることがあったので是非、お話ししたい。
“動物行動学の視点から感じること”というのは、氏の小説の多くが、「自己の喪失」と表現できる内容と深くかかわっているということである。「自己喪失」は「自己アイデンティティー(自分とは何者か。他者との関係は?)の喪失」と言ってもよいだろう。
私は、常々、エンターテイメント性が高い小説だけでなく、いわゆる芸術性の高い小説でも、そこには、ヒト本来の、動物としての特性が色濃く現れていると感じている。ちなみに、「ヒトの動物性」と書くと、なにかヒトのネガティブな面を指しているように感じられる方もおられるかもしれないが、動物行動学ではそんな意味は全くない。「ヒトの動物性」を追及することは、愛も憎しみも、正義も悪も、価値観という心理も、その生物学的意味に着目して理解しようとする、人間を真剣に理解しようとするうえで欠かせない作業なのだ。そして、その「ヒトの動物としての特性」とは、狩猟採集生活(ホモサピエンス史の9割以上は狩猟採集生活だった)の中での生存・繁殖に有利な特性ということになる。
たとえば、“警察”が小説の舞台になりやすいのは、それが、ヒトの生死、愛や憎しみ、獲物の追跡、といった、猟採集生活の中での生存・繁殖に深くかかわる出来事をダイレクトに見せられる場だからではないだろうか。それと同様に、家族や人々の絆の中で生じる葛藤は、ヒトの生存・繁殖に深く関わる出来事である。
さて、そういった、狩猟採集生活の中での生存・繁殖に深くかかわる重要なテーマとして、先に述べた「自己アイデンティティー」があるのだ。
「自己アイデンティティー」を動物行動学の視点からひも解くと、次のようになる。
自己アイデンティティーとは: 「自分の血縁者(父母、祖父母、兄弟姉妹など)の認知」や「自分が暮らしている地域での人々のネットワークの特性、外界の自然や事物の特性の理解」
「生物の体や脳の構造(行動や心理も)どのような方向に進化するのか」という問いへの答えとして、現在、最も確からしいと考えられている仮説は、「生物の中に含まれる遺伝子をより多く残せるような体や脳の構造に進化する(そういう生物を設計した遺伝子がより多く増える)」である。
だとしたら、自分と同じ遺伝子をより多くもっている血縁者に特別な関心を示す(そして手助けする)心理は、必然的な進化の産物ということになるのだ。
また、自分が生きている部族や地域の中で、何世代にもわたって、その効用が実証されてきた、人間同士の付き合い方、自然のとらえ方を覚えようとする脳の性質も、必然的な進化の産物なのである。
現在、われわれが生きている、いわゆる文明の時代を考えてみよう。それは狩猟採集時代と比較すれば、まばたきするほどの長さの期間である。しかし、その中でわれわれは、生活の場となる環境を大きく変え、家族の崩壊や都市への移入などを引き起こし、狩猟採集時代には当たり前だった「自分の血縁者の認知」や「地域の伝統的文化との接触や継承」を達成しがたいものしている。
その状況が、人間の精神に深い傷、埋めがたい空白を与える場合も多いに違いない。
モディアノ氏が、現代社会という環境の中で失われやすい「自己アイデンティティーの喪失」にこだわったのも、“必然的な進化の産物としての心理”と無関係ではないと思うのだ。
それは一人の小説家が生涯をかけて問い続けるに足るホモサピエンスをめぐるテーマなのだと思うのである。