2016/07/31

お嬢さん、この辺は物騒ですよ


大学の裏の入り口(大学への裏口入学のことではない)の自動ドア付近には、夜には光に引かれて、いろいろな昆虫がやってくる。

昨日は、カブトムシの雌が来られていた。

私は、こんなところにいると、出入りする人間に踏まれてしまう危険もあるから、「いい子だね。でもここは人が通るから危ないよ。ちょっと向こうへ行こうか」と肩に触れようとした。

するとカブトムシのお嬢さんは、「何するの、さわらないでよ!あっちにいって。あっちにってよ」みたいな不機嫌な反応をされた(下の動画)。

このカブトムシのお嬢さんは、ヒトに対する信頼感のようなものをもってはおられないのだろうか。アタリマエジャ、ソンナモン、モットルハズガナイジャロガ!

いやいや、右肩に触れようとしたのが悪かったのかもしれない。左肩からいくべきだったのだろうか。





えーっ、何があったの?・・・モモンガの災難


これは、同一巣内に同居(単独性齧歯類では極めてまれな習性)するニホンモモンガが、内部で互いにどのような過ごし方をしているかについての情報を提供してくれる世界初の映像だと思われる。イヤ、ホントニ。

特に今回は、巣内同居しているモモンガたちが、突然巣の一部に穴が開いた(私が開けたのだが)という突発的な出来事にどう反応するかについても興味深い知見を提供してくれている。

このような日々の出来事が学術的な研究の大きなヒントにもなり、とても重要なのだ。これは私のポリシーだ。

そういうことで、モモンガさんたちよ。ユルシテネ。



2016/07/30

ヤドカリからウシまで


昨日、セミの研究発表会を行った。そしてそのあと、「お疲れさん」会をやった。

学生が研究している対象動物は、ヤドカリからはじまり、クラゲ、ナガレホトケドジョウ、ブルーギル、モモンガ、コウモリ、イヌ、ネコ、ヒト、ヤギ、ウシ(!)・・・と様々だ(基本的に本人がやりたい動物を尊重している。どうせ苦労をするなら好きな動物でやるほうがいいと思うからである)。
私も途中でいろいろとサポートしてきているのだが、学生たちが中間状況を発表し私が研究の全体像や方向性等について改めてアドバイスする。もちろん他の学生もいろいろ質問する。

ちなみに、ずっと前の卒業生たちから、「小林は発表の批評のときは人が変わる」と言われてきた。結構厳しいことを歯に衣を着せぬ口調で言うからだろう。でも、それには理由があるのだ。一つ目は、それが学生にとって為になると考えるから。二つ目は、学生たちがそれぞれの動物でそれなりの成果を出すことを期待するから。三つ目は、まー、なんとなく。

学生たちにとっては大変な災難だ。
でも私は、いろいろな動物の面白い成果(私が指導していることもあってどれも結構面白いのだ。新知見として学会誌に発表すべきものもある)が聞けてとても楽しい。

まーそういうことでゼミ学生の皆さん、頑張ってね。




ヤギコ、テーブルから降りろ!


大学で、研究室を、新しくできた実験研究棟に引っ越さなければならなくなりいろいろと資料の整理をしていたら、もう10数年以上も前に撮った写真(紙に印刷したもの)が出てきた。

学生たちと一緒に、地域の子どもたちを集めて、ヤギを取り込んだ自然環境教室の準備をしていた時の一場面だ。

伝説のヤギ「ヤギコ」もやんちゃな時期で、学生の服を噛んでひっぱたり、写真のように、学生が用意したテーブルに乗りかかってみたり・・・・。

写真では、学生のFくんが「ヤギゴ、何やってんだ。テーブルから降りろ!」みたいなことを叫んでいるのだ。

もちろん、そんなことで行動を変えるようなヤギコではない。

私も若かった。脳もキレキレで、一度聞いたことは忘れることなど・・・・・実は、そのころから記憶力に、ちょっと・・・・。

2016/07/25

オカヤドカリは同志?


昨晩、11時ごろ(いろいろあって遅くなったのだ)、大学の研究室で仕事をはじめたら、私の横の水槽の中で、オカヤドカリが活発に動きはじめた。せっせせっせと。

こんな時は、私はオカヤドカリと触れ合いをもちたいというどうしようもない衝動に駆られてしまう(病気だろうか)。それに、なにやらかれらが同志のように感じられて、いとおしくなるのだ。

手に取って少し会話した後(他人には見られたくない光景である)、水槽にもどし新しい餌を餌場に置いた。
何かしてやらないと気が済まないほど愛らしいのだ。

するとかれらもそれに応えるかのように、餌場にやってきて餌を食べはじめた。

いよいよ仕事は遅くなってしまった。


2016/07/24

ヤギ部親睦会とヤギの名前


先日、ヤギ部の親睦会があった。

Aさんの提案で、一人ずつ自己紹介をした。そしてその中で各自、”推しヤギ”を言うことになった。以下のような具合である。






”推しヤギ”とは、つまり自分が一番好きな(選挙があれは投票する)ヤギということらしい。

”推しヤギ”として一番多く名前があがったヤギは「メイ」だったが、その理由の一つは、1年生の中にまだ全部のヤギの名前を知らない人がいる(メイは有メイ)、ということがあったそうだ。

そこで私は思い出したのだ。以前、部長のNさんとSさんが、1年生にヤギの名前を覚えてもらおうと、名前と特徴などを書いたものを用意していたのを(下の写真)。

私など、ヒトの名前は覚えられないが、ヤギの名前は覚えられるしーー(それはそれで問題だろ)。








2016/07/22

クワン、クワンと鳴くヒキガエル


この凛々しいヒキガエルは、・・・・メスである。

もうすでに産卵が終わっているときに、後ろからオスに乗りかかられたら、下の動画のような反応を示す。

「私はもう産卵、終わってるよ」といったところだろうか。
オスはちゃんと理解して、離れていくという。

ヒキガエルは、カエルの中で私が一番好きなカエルだ。
理由の一つは、カエルなのに、そのどっしりとした動きとその風貌だ。

動画の後で私は、「そうか、もう産卵は終わってるのか。そりゃそうだよな。もう7月だものなー」と謝って飼育水槽にもどしてやったのだ。




2016/07/20

セミの抜け殻とアリのトンネル


昨日、モモンガの野外ケージに行く途中で出会った光景。

上の写真の左上に写っているセミ(おそらくニーニーゼミ)の抜け殻と、右側、タブノキの幹の表面を伝う棒状の構造物。

なかなかいいね。

”タブノキの幹の表面を伝う棒状の構造物”は、アリ(種類はわからない)が、地面から、約20m上の樹冠までつくったアリの道(トンネル)だ。
樹冠にある栄養価の高い組織を地面下の巣の中に運んでいるのだ。下の写真をご覧あれ。結構立派だ。

樹冠ではどんなことが起きているのか?
アリの道の中ではどんなことが起きているのか?
地面下のアリの巣の中ではどんなことが起きているのか?

その出来事の実態は、ほんのほんの一部しかわかっていない。

もちろん、昆虫だけを考えても、このタブノキは他にもたくさんの種類の昆虫に利用されている。

自然は意外性に満ちている。そう、満ちている。

明日は、この光景に出会った直後、また出会ったセミの抜け殻と、ある生物の「2ショット」をご紹介しよう。



2016/07/18

野生のツキノワグマを見ること・・・・まー最低限の基本でしょう


先日、ゼミ生のNくんと山に調査に行ったとき、ツキノワグマに会った。会ったというか車の左側の斜面を林に向かって歩いて行った。
死んだ個体や捕獲された個体は何度か見てきた。でも、野生の中を行く個体に出会ったのは初めてだったのだ。長く願ってきた思いがやっと叶った。うれしかった。

結構な迫力だった。

これまで私は、同僚の先生たちや学生たちと話をしていて、クマのことが話題になったとき、「私なら、突然近距離で出会ってしまったとき、ツキノワグマくらいなら、懐に飛び込んで前肢と牙の攻撃を無効にし、内側から鉈でガツンと。そうやって逃げるね」といった発言をしてきた。同僚のN先生も同意見であり、盛り上がっていた(やはり同僚のK先生は、先のとがった測量用のポールで、距離を取って応戦する、ということだった)。
でも、今回の成獣のツキノワグマを目の当たりにして、これまでの発現は、当分、控えようと思った。

ちなみに、先日(私が野生のツキノワグマに出会ったもっと前)、同僚のS先生が、学生たちの野外調査でも使うことがある地域を車で走っていて、前方にツキノワグマを発見し、写真入りで知らせて下さった。
私は、「いいなーーー。なんでこんなに願い続けている私の前には出てきてくれないの」と思った。でもS先生が言いたかったのは、「ツキノワグマに出会いましたよ!(ウレシイ)」では、けっしてなかった。「学部の先生たちや学生たちに知らせたほうがいいでしょうか」ということだった。教員として立派だ。
私は、心からの思いをいったん横に置いて、S先生の立場に立って、学部の先生方にメールを送った。「先生方、学生たちを連れてそちら方面に行くときは注意しましょう」

もう一つちなみに、ゼミ生のMさんは、卒論でツキノワグマの行動圏について、鳥取県からいただいたGPSデータをって、年齢差、性差との関係を調べた。
Mさんも、私と同じように、心から、そう心から、野生のフリーなツキノワグマを見ることをと願い、山々を歩き回っていたのだがその願いは実現していなかった。
「一回は会いたいよな」と、よく話していた。

私がツキノワグマに出会ってから数日後、Mさんに廊下で会ったので、言っておいた。
「ツキノワグマを研究するのなら、最低限、一度くらいは野生の個体と会うくらいのことは体験しておかないとな。まー、基本でしょ」

Mさんは最初、私の変貌ぶりに唖然としていたが、そのあと、たぶんいろいろな思いを込めて(!)悔しがっていた。同時に人間不信になったにちがいない。
Mさん、冗談、冗談。冗談だよ。

2016/07/17

コウモリの母の思い、子の思い



以前、キクガシラコウモリが毎年繁殖するある洞窟で撮った上の写真の意味がいままでよくわからなかった。

それがやっと分かった!

上の母親(体が薄茶色)が、ある目的をもって、下の子ども(体が白い)を、その足をもってぶら下げているのだ(キクガシラコウモリの母子の相互作用を執念で調べたある研究者の論文のなかにその記述を見つけた)。

母親はこの状態で子どもをブランコのようにゆらゆら揺らすのだそうだ(野生状態での母子の相互作用をとらえたとても貴重な写真ということだ)。

その目的?
それは、母親が子どもに、「ほら自分の力で羽ばたいて飛びなさい。別れの時よ!」と伝えているのだ。子は母の体にしがみつこうとするが、あきらめて、羽ばたくのだそうだ。

親はどんな気持ちなのだろうか。子はどんな気持ちなのだろうか。

2016/07/16

新バージョン モモンガ・ミニ地球



新バージョンの、モモンガ・ミニ地球(ほぼ完全密閉)だ。

どの辺がモモンガか?
一つ目はモモンガの森で作ったこと、二つ目は、地球の中にモモンガが実際に巣材として使っていた巣材の玉があること、三つ目は、地球を支えている杉の円盤にモモンガの顔の焼き印があること。

癒されながら生態系の勉強にもなります。
新グッズとしてモモンガショップで売っています。


ヤギの脱走


ゼミ生のMaくんと実験室でヤドカリの実験をしていたら、ヤギ部でゼミ生のSくんから電話がかかってきた。
ヤギのアズキとコムギが柵から外へ出ているという。

アズキについては全くの想定内だ。
アズキは他のヤギにはまねできない技術を身につけて、柵の、上から4段目の隙間をすり抜けるのだ。
上の写真はその柵抜けの一場面だ。
わかりにくいと思うので下に動画をのせた。ご覧になればわかると思う。



これは問題だが、一頭なら、群れから離れて単独になることをひどく嫌がるヤギの特性からして、柵から遠くへ移動することはない。まー、許容範囲だ。

ところが、Sくんの話では、今回はコムギまで外に出ているという。
コムギがついにアズキの技をマスターしたのかもしれない。

2頭となると話は別だ。単独ではないので、2頭連れだって結構遠くまで行くことがある。そうしたら事務局などからも何とかしてほしいという話が私に来るに違いない。

これは困った、と思っていたら、また電話があり、何と高齢で体の大きなクルミまで外に出ているという。

これはいよいよ困った。

「Maくんとの実験があと20分で終わるからそうしたら行く」と返事し、実験を続けた。

するとまた、Sくんから電話があり、キナコとクルミが出た場所がわかりました。一番下の、木の柵が壊れていました、とのことだった。

私は安心した。キナコとクルミはアズキの技をマスターしたわけではなかったのだ。
それなら、その壊れた柵の部分を直せばコムギ以外は外に出ることはない。

そして私は20分ほとして実験が終わり、Sくんのところに行ってみた。ヤギ部のMoさんも来ていて、ヤギたちの脱走は最初Moさんが見つけ、LINEで部員に伝えということだった。

下の写真は、壊れた柵の場所を、近くにあったものを利用して直したところだ。
Sくんも、熱い!疲れた!を連発しながら、Moさんともども一緒によくやってくれた。



小さな事件や大きな事件を一つ一つ解決しながらヤギ部は持続している。それは人生と同じことだろう。一つ一つ、目の前のことを淡々とできるだけ丁寧に片付けていくのが基本だろう。

修復が終わって放牧場を去るとき振り返ると、風車とトチノキとヤギ小屋がいい感じで並んでいた。




2016/07/15

Oくんが釣ってきた大きなナマズ


Oくんが、ナマズを釣ってゼミ室の水槽に入れています、と教えてくれたので見に行った。

でかーーいナマズだった。

水槽に入れられて気分が悪くなったのか、食べていたものを吐き出していた。
写真のナマズの下に見えるだろうか。たくさんの、ドジョウが、そして数匹のカエルが水底に横たわっていた。

その大きな口で、丸呑みしたのだろう。食べ物の表面に外傷は見えなかった。

こんなナマズを見たとき人はどんなことを思うのだろうか。

共通しているのは「生きている動物がいる!」という最初の認識だろう。
そして、童話の中の擬人的な”ナマズさん”を感じる人もいるだろうし、鳥獣をも食べる魚といった”未知の巨大生物”ふうの感覚で眺める人もいるだろう。
食べたらおいしそうとか、それを生かした経済的な対象として見る人もいるかもしれない。

私は、地球上の一野生動物として、太いヒゲや食べていた餌なども含めたその形態や行動の意味を淡々と考える。この作業が結構楽しくて深いんだよね。

2016/07/13

モモンガ・ガラスコップ 第2作目


体調がすぐれず、我慢の日々だ。

気晴らしに、モモンガ・ガラスコップ第2作目を作ってみた(上の写真)。

第1作目は、机の前で、だんだん古参の作品と馴染んできた(下の写真)。

まー、いろいろありますわ。


2016/07/10

電光石火で餌を食べるヒキガエル


先日、ゼミ生のNくんとモモンガ調査に行ったとき、路上で出会ったたくさんのヒキガエル(それについてはこのブログでも書いた)・・・その中の、特大の一匹は、今、大学の飼育室にいる。

生物部のWくんやTくんが、大学の「まちなかキャンパス」の里山生物園の企画として”生物カフェ”や”鳥取のカエル8種勢ぞろい”展をやる予定なので、私も協力しよう、というわけだ(※前者は8月14日、後者は8月19-23日の日程で行われる)。

ところで飼育しているこのヒキガエル、餌の食い方が半端ない。

電光石火でミールワームを平らげる。

動画をどうぞ。


子コウモリの成長


「子どものコウモリはどうですか?」とよく聞かれる。

そう、洞窟の地面に落ちていてIさんが見つけたあのコウモリの赤ん坊のことである。

おかげさまで、ヒトのミルクをしっかり飲みながら大きくなっている。
でも、その世話たるや・・・・・もう倒れそう。

ヒミズのガラスコップ


以前、ガラスコップにミニグラインダーでモモンガを描いて、みなさんに見てもらった。

「いいね」をたくさんもらったので、第二作目に挑戦してみた。
挑戦とは言っても、気軽な楽しい(でも勝負になる部分は結構集中した)作業だった。かかった時間はけっして長くなかったが。

私は作品の評価についてはナルシストなので、生物学的にも、アートとしても、いいガラスコップヒミズを生み出せたと喜んだ。コップをもっていろんな角度から眺め、だんだんとヒミズと話ができるようになった。

いつの日か、ガラスコップ動物も含めて、自分で作ったいろいろな素材の動物たちを展示・販売したい。
展示ショップの名は、そう、静かな動物たち、にしようか。

2016/07/06

ヤドカリが入っている巻貝を選別する方法



昨日、浦富の海岸に行ってきた(最近、よくコバヤシは野外にいっとるな。暇なんじゃないか、とは決して決して思わないでいただきたい。ひとえに学生たちのためにものすごい努力をして少しの時間を捻出して行っているのだ。まー稀には自分だけのために行くこともあるが・・・)。

ホンヤドカリの調査と実験のために行ってきた。

ところで、皆さんは、下の写真のように、ヤドカリが入った巻貝(刺激を受けるとヤドカリは貝の中に完全に入ってしまうのだ)と、空の巻貝とが混ざっているとき、両者をどうやって選別されるだろうか。

一つ一つ入り口を見ていくのは時間がかかる。
私はもっとエレガントで、生物学的な方法を使っている。
その方法は、一番下の動画を見ていただければお分かりになると思う。



2016/07/05

やーっ、ケラちゃん!



昨日の夜だ。
もう9時は回っていた。

帰宅する車の中で、大学で、毎日の日課の、あることを忘れてきたことに気が付いた。疲れていたせいだろう。

実験中のモモンガに餌をやることだ。

すでに自宅近くまで戻っていたが、引き返した。

すると、何が幸いするかわからない。大学の建物に入ったら、廊下を、ケラ(通称オケラ)が歩いているではないか。

私は子どものころからケラが大好きで、幼いころは、「ケラはモグラに近い哺乳類かもしれない」などと思いながらよく飼ったものだ。

ケラの産卵用の巣は、これがまた素晴らしく、土の中に卵型の空間を作り、その中に卵を産み、孵った子どもに餌を運ぶ。

でも最近はケラに会うことはほとんどなく、会いたいなーと思っていたのだ。そんなときの出会いだった。いや、モモンガの餌やりも時には忘れてみるものだ。

私は餌やりを済ませ、ケラを小さな飼育用に入れ、外に出た。
外の、キャンパス内の道路に面した、落ち葉がたまった斜面で、ガサガサ地面を掻いて土を容器に入れたのだ。もちろんあたりは暗かった。手元も暗かった。

車に乗り込んで少し走り信号で止まった時、ケラちゃんどうしてるかなーと思いながら室内ライトをつけて容器を目の前に持ち上げてびっくりした。
なんと、大きなミミズが壁面に接して動いているではないか。私は、容器を車の窓から放り投げようかと思った(私は大きなミミズ恐怖症なのだ)。

でも、わたしももう大人である。そんなことをしたらケラちゃんもどうなるかわからない。思いとどまり、我慢して家まで帰った(立派!!)。

家に帰って、庭の畑にミミズを放してやったのだ(こういうのを”大人の振る舞い”と言うのだろう)。

皆さん、不用意にケラを飼おうとしてはいけない。その魅力に取りつかれたら、いつ大ミミズと遭遇するか分からない。








虫を取る幼少ホモサピエンスをサポートする学生たち





今日は大学の近くある小学校の2年生たちが「虫を取ってすみかをつくる」という授業の一環としてやってきた。
迎えうつは、大学の生物好きの学生たちだ。

幼少ホモサピエンスの行動を見ていて私はいつも思うのだ。

小学校までの子どもたちの”生き物好き”は、まさに、このころまでにこそ必要な、将来の生存・繁殖を有利にする脳の生得的欲求だと。

それは、幼児が、言語の発達につながるように周囲の”言葉”に強い関心を示したり、あるいは、親子の精神的なつながりを求め、親とかかわろうとするのと同様な、将来の生存・繁殖を有利にする脳の生得的欲求だと思うのだ。

そしてこれらの欲求や知識の蓄積を中心的に司る脳内の領域もおおよそわかっている。(言語に関する領域はブローカー野やウェルニッケ野であるが)生き物への関心や知識を担う領域は大脳側頭葉の上側頭溝と側部紡錘状回である。

もしわれわれ大人ホモサピエンスが、幼少ホモサピエンスにこういった体験を十分与えなかったとしたら、それは、(例えば”言語”のように)本来活性化されるはずの、ホモサピエンスとしての大きな要素が閉じられたままで育ち生きていくことを意味している。


2016/07/03

ヒキガエルさんよ。私は決してカエルを車でヒキません



今日、ゼミ生のNくんと芦津を経由して沖ノ山を越え、若桜の森に行ってきた。ニホンモモンガの調査だ。

車は、濃霧と小雨の中を進んだが、芦津渓谷の山中から、若桜の森までの約10キロの間で、道路を渡ろうとする16匹以上のヒキガエルに出会った。

おそらくそういう(つまり移動の)季節なのだろうと思いながら、決してヒキガエルと見落としてひいたりしないように集中した(もし車でひいたら、それこそヒキガエルになってしまう。うまい!座布団1枚)。

車からは、カエルは下のような状態で見えるので、それを見落とさないためにはかなりな検出力を必要とする。


ちなみに、アカハライモリも2匹、発見した。

アカハライモリになると、いよいよ小さく、色も道路に似ているのでそれを見つけるには心の目を使わなければならない。
それまでの経験と、鋭敏な感性と、そして思いやりが必要なのだ。

下の写真が、道路を渡っているアカハライモリを見つけたときの窓からの光景、その下の写真が、近寄って行って「ここを横切るときはエリマキトカゲのように猛スピードで駆け抜けないといけないよ」と諭しているところだ。


今日は、シカはもちろんだが、ツキノワグマにも出会った。

いい一日だった。



人がウメボシを口から出すように、巻貝を吐き出したイソギンチャク


私は、切り立ったような海岸はそれほどでもないが、潮だまりができるような平板な海岸は、森に劣らず大好きだ。理由の一つは、潮だまりで、その閉じられた宇宙の中で生きる様々な生物を見渡すことができるからである。生態系の中で起こる生物の営みの発見の宝庫である。

一番上の写真は、そんな潮だまりの中で見つけた、あるイソギンチャクの姿である。”口”の部分にのっている巻貝は、中身がないことから考えて、イソギンチャクの餌になったのでは、と考えるのが自然である。

さて、実験である。
私は、別の潮だまりの、少し大きめのイソギンチャクの”口”に、イボニシ(巻貝)をそっとのせてみた(この子どものような無邪気な好奇心をどうか許したまえ)。

その結果が下の動画である。
子どもの好奇心は、深く満たされたのだった。あーっ、面白かった。
イボニシも無事だったし。


2016/07/02

キクガシラコウモリの子ども、 麒麟獅子だった!?



キクガシラコウモリの子どもを見た人は、よく「あら、豚みたい」という。確かにそういう気もするが、私は、ずっと「いや、これは何かに似ている。何だっけ」と思いつづけてきた。やっとわかった。麒麟獅子だ(ローカルな話で恐縮だが)

告白します。私はコウモリの赤ん坊をお腹の中に入れて講義をしました。


あなたは、キクガシラコウモリの生後約3日の子どもを、お腹の中(胃の中ではない。シャツと皮膚の間)に入れて講義をされたことはあるだろうか。
(最近、ワンパターンになっていて恐縮だが)私は・・・・ある。・・・・あるのだ。


水曜日の午前、ゼミの学生2人と一緒に山の中腹の洞窟に行った。

進んでいくと、Iさんが、地面に落ちているキクガシラコウモリの子どもを見つけた!
持ち上げてみると生後2日か3日の乳獣だった(私はわかるのだ。キクガシラコウモリの出産に立ち会ったこともあるのだ)。
体は冷たく、ほっておくと間もなく死んでしまうことは明らかだったので(もちろん親が近くに居て・・・ということはコウモリではありえない)、大学に連れて帰った。

研究室では、ヒトのミルクの元を湯に溶かして子どもに(ヒトの子ではなく、キクガシラコウモリの子である)与えた。ヒトのミルクがいいことはわかっていた(私くらいになると全部知っているのだ)。赤ん坊コウモリは、私が手で、その体全体を包むように掴んでいるときは泣き止んだが、手から放すと体を揺らしながら、最後の力を振り絞るように大きな声で鳴いた。
それを続けると長くはもたない、と思ったので、私はずっと手に、その小さな体を(とはいっても母親の体重の3分の1以上はあり、ヒトで言えば、20kgの赤ん坊ということになる)握って仕事をしていたのだが、その日は午後一番に講義があった。

さて、みなさんだったらどうします?

赤ん坊を握ったまま講義は出来ない。
仕方がないから赤ん坊を腹の中に入れて講義をしたのだ。正確には、赤ん坊を手袋に入れて、それを腹の中に入れたのだが、講義の進行とともに、赤ん坊は手袋からはい出し、・・・・・・。

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