今日は大学の近くある小学校の2年生たちが「虫を取ってすみかをつくる」という授業の一環としてやってきた。
迎えうつは、大学の生物好きの学生たちだ。
幼少ホモサピエンスの行動を見ていて私はいつも思うのだ。
小学校までの子どもたちの”生き物好き”は、まさに、このころまでにこそ必要な、将来の生存・繁殖を有利にする脳の生得的欲求だと。
それは、幼児が、言語の発達につながるように周囲の”言葉”に強い関心を示したり、あるいは、親子の精神的なつながりを求め、親とかかわろうとするのと同様な、将来の生存・繁殖を有利にする脳の生得的欲求だと思うのだ。
そしてこれらの欲求や知識の蓄積を中心的に司る脳内の領域もおおよそわかっている。(言語に関する領域はブローカー野やウェルニッケ野であるが)生き物への関心や知識を担う領域は大脳側頭葉の上側頭溝と側部紡錘状回である。
もしわれわれ大人ホモサピエンスが、幼少ホモサピエンスにこういった体験を十分与えなかったとしたら、それは、(例えば”言語”のように)本来活性化されるはずの、ホモサピエンスとしての大きな要素が閉じられたままで育ち生きていくことを意味している。