先日、出張で、岡山に行った。
岡山駅に隣接したセンターで大学の説明をしてきたのだ。
出番の時間がくるまで、センターの近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、書き物の仕事をしたり、外の光景を眺めたりした。
一番窓際の席に座ったので、窓から、センターへとつながる通路を行き来する人達の姿がよく見えた。
私は、そんな時間が大好きだ。
それぞれの人達がいろんな思いを胸に秘めて歩いているのだろうなーというセンチメンタルな感覚と、そして一方で、行き交う人々を、ホモサピエンスというかなり興味深い野生動物として見つめる感覚が混ざり合って、頭の中で人間動物行動学がまわりだすのだ。
ホモサピエンスの生態の特性の一つは、なんと言っても、人工の建造物の多さと、その中での生活活動だろうだろう。
でもそれは、たとえば、ビーバーが、幅1kmにもおよぶ木と土のダムをつくり、その中に組み立てた巣を利用しながら生活するのと本質的には違いはない。
ビーバーの場合がそうであるように、ホモサピエンスの人工物の増築や経済活動なども、その背後には、ホモサピエンスに特有な脳が動いてそれらの方向性を決めているのである。そこには、科学の世界で言う法則や原理があるのだ。
もちろん、ホモサピエンスの行動の法則性は、その生身の動作やしぐさなどにも貫かれている。
喜怒哀楽の表情や二足歩行などもそうである。
胸に(正確には“脳”に)秘めた思いの種類も、思いの動き方にも、ホモサピエンスならではの法則性がある。
その法則性の根底は、ホモサピエンスに限らず、今生きている生物について、「それぞれの生物の形態や行動、心理は、それぞれの生物特有の生活環境のもとでの生存・繁殖を有利にする」という、進化理論から見た原理である。
そうでなけれそれぞれの生物は、世代を重ねて、地球上に生存し続けることはできないではないか。
なぜショルダーバックをもつホモサピエンスには女性が多いのか。
なぜホモサピエンスは、建造物として、開けた空間を好むのか。
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たいていの問いに対する答えは、「それぞれの生物の形態や行動、心理は、それぞれの生物特有の生活環境のもとでの生存・繁殖を有利にする」という進化的原理の中にある。
そのような原理を念頭に置きながら人々の動作や思いに頭をめぐらしていると、時は過ぎ、出番の時間に慌てて気づくのだ。