2015/10/30

行方不明だったアオダイショウとSくんの出会い

脱走したアオダイショウと見つめ合うSくん.ヘビの魔法にでもかけられたかのようにとろーーんとした眼差しをしている.

 前回の記事Hさんがゼミ室に置いている飼育容器から、アオダイショウの姿が消えたことはお話しした。

 そして先日、実験の準備をしていた私にSくんから電話がかかってきた。
 「先生、水槽の横にアオダイショウがいるんですけど。」

 怖がっている感じが伝わってきたので(それとこの機を逃すともうアオダイショウは見つからないだろう、という気がしたので)、私は、「すぐ行く!」と返事をして、ゼミ室へと向かった。

 Sくんが指し示す場所に目をやると、確かに、アオダイショウがいた。
 水槽の横に、かわいい顔をぬっとのぞかせていた(下の写真)。



でも、普通の人が突然、この場面に出くわしたら、きっと結構な怖さを感じるだろうなー、と思った。後でSくんが「心臓が止まりそうになるくらいびっくりした」と言ったが、それも納得できる。

私は、その場面にとても感動して写真を撮っていたら、さすがにアオダイショウは水槽の背後に後退し、水槽と壁の狭い隙間を移動しはじめた。

 面白かったのは、水槽の中の魚たちが、最初は驚いて逃げるような行動をとっていたのだが、それから、興味津々で近づいていき、アオダイショウの顔のあたりをじーっと見ていたのだ(下の写真)。



 このあと、私はSくんと協力して、無事アオダイショウを捕獲し、飼育容器に返したのだった。

 Hさんは、今、大阪に行っているが、帰ってきたら、「Sくんにランチをご馳走してあげなさいよ」と言おうと思っている。
 偶然とはいえ、Sくんの行動はそれだけの価値があるのだ。私にはよくわかるのだ。

2015/10/28

ゼミ室の行方不明のアオダイショウ

飼育容器を見つめる学生 その中にアオダイショウはどうもいないらしい

 一昨日頃から、ゼミ室である学生が飼育していたアオダイショウの姿が・・・見えない。飼育容器内にいない・・・ということらしい。
 もちろんゼミ室は廊下に通じている。

 それが何を意味するか、あるいは、これからどんなことが起こりうるか・・・・深くは考えないようにしたい。私は。


追記:見つかりました
行方不明だったアオダイショウとSくんの出会い

2015/10/26

TUES25年度卒業の皆さんへの報告 ヒメイチゴのこと


 TUES25年度卒業の皆さんへ

 卒業して2年が過ぎようとしていますが、皆さんいかがお暮らしですか。
きっと、皆さんのうちの多くの人が激動の2年だったのではないかと拝察します。

 ある意味で、そういう時代なのです。
 
 ところで、皆さんが記念植樹していってくれたヒメイチゴノキ(卒業式の日に、“私が見守っていきますから”と言いました)が、はじめて“イチゴ”をつけました。

 ヒメイチゴの“イチゴ”、はじめて見ました。何故イチゴという名前がついているのかやっと分かったような気がします。

 日々、懸命に生きる皆さんに良いことがありますように!

2015/10/23

廃坑の中を飛ぶコウモリの写真



 ある廃坑で撮った写真である。解説は...邪魔になる。

2015/10/21

カクレミノの流産


 よくない出来事だが、「流産」という現象がある。

 子宮内で、何らかの理由で発生が滞った胚を、母親の体が、それ以上の栄養を与えることをやめて、体外に出してしまう現象である。

 より多くの、繁殖まで育ちうる子どもを多く残すことが、進化の結果、生き残る必要条件だから、流産は、現在生き残っている哺乳類が共通してもつ体の組みなのだ。

 上の写真は、カクレミノだ。
 天狗が、ギザギザの形をした葉っぱを頭にのせて呪文を唱えると、姿が見えなくなることから、この名前(カクレミノ)がついた、と聞いたことがある。

 ところでこのカクレミノをご存知の方は、9月の中旬ごろから、カクレミノが、下の写真のような、熟していない実のようなものをたくさん地面に落とすのを知っておられるだろうか。

 これは、流産の植物版とでもいえる現象なのである。
 つまり、成長が思わしくない胚(めしべの中の子ども)に栄養を与えるのをやめ、切り捨てているのだ。その結果、力強く成長している胚が残るというわけだ。

生きるということは、死も含んだ営みなのだと私は思っている。


2015/10/18

スズメバチの巣の構造


 上の写真は、スズメバチ(おそらくコスズメバチだと思う)の巣の外見と内部の状態を撮ったものである。
 今回の話題とは関係ないが、左隅に写っている肌色の棒状のものは、私の手首である(でも、なかなか魅力的な手首である)。

 スズメバチは、春から秋まで働きどおしでこの巣をつくり、子供を育て、秋の終わりに誕生した新女王バチとオスバチを残して、働きバチはみんな死んでしまう。
 見事につくりあげられた巣も、もう使われることはない。新女王バチは巣を離れ、樹皮の下や枯葉の下などで越冬するのである。

 下の写真は、巣を覆う一枚ずつの“鱗”であるが、その色違いの層の数が、


 
 働きバチが、枯れ木の木部繊維をかじって運んだ回数を示している。

 たまに、スズメバチが使い終わった巣を、スズメ(こちらは鳥類である)が利用することがある。
 以前、それを見つけた学生のIくんが私に教えてくれた。
「先生、スズメがスズメバチの巣を使っています」。

2015/10/16

「苦境に立った時どう切り抜けるか」2人のラガーマンの答え


 先日、日本中を沸かせたラグビー日本代表が凱旋した。

 NHKの番組のニュースウオッチ9は、ヘッドコ-チのエディー・ジョーンズ氏、リーダーのリーチ・マイケル氏、五郎丸氏の3人をスタジオに招いてインタビューをしていた。

 私が興味深く感じたのは、インタビューの中で、キャスターの「逆境に立ったときどのように克服するか教えてください」という質問に対するマイケル氏と五郎丸氏の答えの違いだった。

 簡単に(意訳して)言えば、マイケル氏は「その時よりもっと悪い時を想像し(それよりはましだ、と考えて)気持ちを切り替えて頑張る」、五郎丸氏は「どんなときでも、そのときできる100%を出して前に進む」という答えだった。ある意味で2つの答えは“対照的”と言えなくもない。

 私は、おそらく誰しも、その時の状態に応じて両者を使い分けているのだろうと思ったが(私もそうだ)、あえて問われたときに両氏が、それぞれ、そのように答えたところに、両者の性格が表れているような気がしたのだ。

 ちなみに、私は、リーチ・マイケル氏の人となりに、今まで以上に惹きつけられた。

2015/10/13

蛾を追って外に締め出されてしまった私の話


 ガラス戸の向こうにあるのが私の荷物.ガラス戸の中央あたりに見える薄茶色のものが蛾(ヤママユガ)

 先日、朝10:00から大学で大切な会議があった。
 私は、何事もなければ余裕で間に合う、9:20ごろに大学に着いたのだが、入り口で“何事”かがあって、大変な目にあったのだ。

 それは休日だったので、外から中に入るとき、自動ドアを開けるために登録されたカードが必要だった。

 “何事”というのは次のようなことだった。

 カードでドアを開けて中に入ったのだが、入り口付近にはたくさんの蛾(ヤママユガ)が死んでおちていた。建物のドアに引き寄せられてやってきたものの、そこは不毛の土地であり、そこで飛び回り力尽きて死んだのだ。

 こんなにたくさんのヤママユガの死体を見たのは五、六年ぶりだ

 私は少し記録しておこうと写真を撮りはじめたのだが、そのうち、それらの蛾の多くが雌であることに気がつき(雌は触覚が細く、雄は触覚がシダの葉のように広がっているのだ。雌の体から出るフェロモンをキャッチするためだ)、念のために雌と雄の数を数えはじめたのだ。

 雌の触覚は細い!

 すると、全部死んでいると思っていた蛾のうちの特に黄色っぽい一匹が、ゾンビのように起き上がって、私の前をぴょんぴょん飛んで(さーっとではない。短い間隔でぴょんぴょん飛んで)、ドアのほうへ向ったのだ。

 そうなると、私は自分でもどうしようもない(たぶんイヌのような性質が私の脳の中には存在するのかもしれない)。反射的にその後を追ったのだ。
その際、荷物とカードを中に置いたままゾンビ蛾を追いかけて外に出てしまった(内から外へ出るにはカードは要らない)。

 そとで、動かなくなった蛾をまじまじと観察し(雌だった)、気が済んで中に入ろうとしたとき、私に目に飛び込んできたのが、冒頭の写真の光景である。

 カードは中にある。携帯電話も中にある。休日なので、中にはだれーーも歩いていない。会議の時間は迫っている。

 さてどーしたものか(ここだけの話だが、私にはこういうことは結構よくある)。

 私がどうやってその場を切り抜けたか、あるいは、なすすべなく沈没したか。その結末はまたのお楽しみ、ということで。

2015/10/12

ヤギに手を振るのは私だけじゃなかった!


  朝、出勤して、ヤギの放牧地の横を車で通り過ぎたら、1年生のヤギ部、KさんとHさんが、ヤギ小屋の掃除などを終えてひきあげるところにちょうど出くわした。

 放牧場の出入り口をまさに出ようとしていて、私が声をかけようとして車を止めたが、二人とも私には気づかず、戸を締める間際に、ヤギたちに手を振っていた。

 私は、「ああーっ、ヤギに手を振るのは私だけじゃなかったのだ」と思い、嬉しかった。
 つまり、KさんやHさんが、ヤギたちについて、私と似たような気持ちをもっているということが嬉しかったのだ。

 おかげで、嬉しい気持ちで大学での一日をスタートできた。

 下のような写真のヤギたちと過ごした後は、手を振ったり、別れの言葉を掛けてやったりしたくなるよなー、やっぱし。


2015/10/09

ノーベル医学生理学賞と大学のヤギ「メイ」


 先日の、大村さんのノーベル医学生理学賞には感動した。

 私も生物学を専門にしているが分野はかなり違う。でも、その育ちや、(テレビの映像を通して伝わってくる)お人柄などに共感や尊敬の念を感じた人は多かったのではないだろうか。私もその一人である。

 ところで、私が勤務する公立鳥取環境大学にある学生サークル・ヤギ部の「メイ」と呼ばれているヤギは、体が細い。

 獣医さんに調べてもらったところ、体内に寄生虫が多く、それも一因だろうと言われた。
 
 さっそく私は、メイに、寄生虫駆除の薬を与えている。
 
 それが、大村さんのノーベル医学生理学賞にどんな関係があるんだ?ですって。
いやそれがおおありなのだ。

つまり、こういうことだ。

 大村さんのノーベル賞受賞につながった、ある細菌が生産する抗寄生虫物質「エバーメクチン」こそ、まさに私が、メイに与えている物質なのだ。

 新聞で「エバーメクチン」という物質名を聞いて、ピンときた。
 大学で確認したらやはりそうだった。
なにやら大村さんの受賞が身近に感じられた。

2015/10/08

やっぱりコウモリも七味唐辛子は辛いんだ!



 私は今、ユビナガコウモリというコウモリを対象に、七味唐辛子を使った実験を行っている。
 笑ってはいけない。「ユビナガコウモリはどれくらい視覚で物の認知をしているか」という、とても価値のある実験なのだ。

 私が考え付いた素晴らしい実験方法なので(発表までは)詳しく言えないが、目的は、「ユビナガコウモリはどれくらい“視覚で”物の認知をしているか?」という、おそらくこれまでだれも学術的に調べたことがない問題を探ることだ。

 実験では、ユビナガコウモリの学習を利用する!(専門家なら、この一文で実験のおおかたの形態を描き出すだろう。すでに私の実験はかなり進んでいる)。
 コウモリたちには餌として主に、ミールワームを与えているのだが(彼らはとても喜んでミールワームを食べる)、ある条件では、七味唐辛子をまぶしたミールワームが与えられる。そして、その条件が視覚刺激と結びついており、その視覚刺激が認知できれば、彼らは、その視覚刺激を嫌がるようになると予想されるのだ。
 
 ところで、実験に先立っては、「コウモリも七味唐辛子を、辛い!と感じるのかどうか」を確認しておく必要があった。
「そりゃあ、七味唐辛子はどんな動物だって辛いと感じるに決まっている」と思われるかもしれないが(私も、自分で実験に使う七味唐辛子をなめてみて、そう思った)、それは安易過ぎるというものだ。それは、悪い意味での「常識」に過ぎない。科学は常識から疑わなければならないのだ。確かめる必要がある。

 選ばれた個体は、コウちゃんと呼ばれている元気な雄だ。
 口先に、七味唐辛子をまぶしたミールワームを近づけると、なんとコウちゃんは、それにとびつき、もぐもぐと美味しそうに食べるではないか。
 私は、「コウモリでは、辛さを感じる受容体が発達していないのかもしれない。これもまた発見だ!」とワクワクしながら経過に注目した。
 はたして、しばらくするとコウちゃんは、急に首を激しくふりはじめ、ペッペッとばかりに、半分は食べてしまった“七味唐辛子をまぶしたミールワーム”を、唐辛子の粉とともに吐き出したのだ。

やっぱりコウモリも七味唐辛子は辛いんだ!

私はこれなら、やはり、実験に七味唐辛子が使える、と納得したのだった。
コウちゃんのその後?
大丈夫だ。コウちゃんはその後、体調を壊すこともなく、元気に実験に協力してくれている。

 もちろん実験が終わったらコウちゃんも、実験に協力してくれた他のコウモリたちも、ねぐらの洞窟へ戻してやる。最後の餌をあげてから“さよなら”するのだが、結構、寂しいのだ。

 

2015/10/06

これはムササビの仕業に違いない!



先日、芦津渓谷の森にニホンモモンガの調査にYくんと行った。
大学の野外の大きなケージに放す実験用の個体を捕獲することも今日の目的の一つだった(目的は達成された)。


巣箱をチェックしていたとき、上の写真のような、巣箱の穴を大きくしようとしたと推察される動物の痕跡を目にした。


私はそれはムササビの仕業に違いないと思った。
理由は;

1.もとの穴の大きさよりもっと大きい入り口を求めるのは、モモンガより大きな樹上性のげっ歯類である。

2.穴を大きくしようとして、これだけ力強く板をかじることができる樹上性のげっ歯類は、ムササビ以外に思いつかない。


さらに、私は以前、その調査区で、ムササビの頭骨を拾ったことがある。
 下の左の写真はそのときの写真だ。
 これがなぜムササビの頭骨といえるかと言うと、・・・右側の写真を見ていただきたい。
 3つ並んだ頭骨のうち、一番左がシベリアシマリスのもの、真ん中の頭骨がニホンモモンガのものだ。モモンガの頭骨は、ずんぐりしていて、鼻先が短い。木から木へと滑空するげっ歯類には、そのほうが都合がよいのだ。
 そして、一番右の頭骨は、モモンガを一回り大きくしたムササビの頭骨ということになるのだ。


 そして、上の写真だ。
 きっとムササビが、よい巣になるかもしれないと考え、自分が入れるようにと穴を一生懸命に齧ったのだろう。
でもムササビは途中で気づいたのではないだろうか。
仮に、自分が入ることができたとしても、その巣は小さすぎる!と。



2015/10/04

これも食虫文化


 最近、FAO(国際連合食料農業機関)は、世界の食糧問題への対策として、「食虫」文化の復活を提唱している(つまり、昆虫などの虫類を積極的に食料のメニューに取り入れていくことを世界中の人々に呼びかけているというわけだ)。

 日本には昔から、ハチの子やイナゴなどを食べる食文化はあったが、それらが食料全体の中に占める割合はけっして多くはない(極わずかだ)。

 ところで、上の写真は、かつて養蚕大国でった群馬県の、ある会社が生産している、カイコ(および桑の葉っぱ)のチョコレートだ。

 あるとき、私の研究室のドアがノックされ、某Hさんが入ってきた。
 そしてこのチョコレートを、「先生、これ、すっごくないっすか」と言って一つくれたのだ。

 もちろん私は驚き、そのチョコレートを作った人たちのアイデアに感心し、写真を撮ったのだ。
さて、後で分かったのだが、このお菓子をHさんが手に入れた背景にはちょっといい話があった。
 ゼミには、昆虫が大好きな(そしていろいろなところに昆虫の採集にも行き、学術的な知識も豊富な)某Mくんがいる。

 Hさんは、ネットか何かで、カイコ・チョコのことを知り、Mくんの大学院合格の祝いとして何とか手に入らないものかと考え、ちょうど群馬に行くことになっていた、Hさんの友だちに、買ってきてくれるように頼んだのだという。

なかなかいい話ではないか。

 下の写真は、ゼミ室でカイコ・チョコを受け取り、それなりに笑顔を見せているMくんである(私が、ブログのネタにさせて、と無理を言って撮らせてもらった)。


 ちなみに、Mくんの後ろで何かを夢中で読んでいるように見えるのは、ニホンジカの“くくり罠“のことを卒業研究でやっている九鬼くんである。

 このような、カイコ・チョコが育む、人と人との交流も、FAOが提唱する「食虫文化」とはまた違った意味での“食虫文化”と言ってもよいかもしれない。

2015/10/02

ズバリ!私の研究室


逃げも隠れもしない。これ(上の写真)が私の研究室の様子だ。

学長からは、(私の部屋は)散らかった部屋の教員の5本の指に入る、と言われている。でも、何人かの教員や事務の方々は、研究者のニオイがするわくわくする部屋ですね、と(どう考えても無理なお世辞とは思われない感じで)言われるのだ。

 今日も今年の4月に着任されて、はじめて私の研究室を訪ねられた先生が、「この雰囲気、いいですねー。いかにも研究者、という感じがして素敵です。私もこんな部屋にしたいです」と言われたのだ(私は涙が出そうになった)。

 そんなこともあって急に強気になり、今日は、ブログに写真まで載せた、というわけだ。

 でも・・・・私の部屋を褒めてくださる方たちは、この部屋ではときどきコウモリがはばたき、本当に極々とてもまれではあるけれども、ヘビが床を這うことをご存知だろうか。

・・・・・・。

2015/10/01

「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」と「ヤギの呪い」


昨日の新聞記事で、「大リーグの名門カブスには、“ヤギの呪い”がかかっている、と言われている」ということを知った。1945年のワールドシリーズで、カブスファンの一人、サイアニス氏が、ペットのヤギをつれて、カブスの本拠地の球場に入ろうとしての係員に止められたのだそうだ。そしてそのとき氏が叫んだ。

「ヤギを入れるまでおまえ達はワールドシリーズで二度と勝てないだろう」

それから、名門カブスは優勝から遠ざかっているという。


上の写真を見ていただきたい。
記事を読んだとき私は思ったのだ。どうして(実際にはとてもナイスガイの)ヤギが、いったい、どうして呪いをかけるというのだ、と。


でもまー、なにかよくないことや悔しい結果が続くとき“○×の呪い”と言ったり、半分は心底そう感じたりすることはヒトにはよくあることだ。


日本でも、阪神が優勝から遠ざかって久しくなったとき、“(道頓堀に捨てられた)カーネルおじさんの呪い”というフレーズが誕生した。


さて、私がこの手の話で興味をもつのは、最近、アメリカのベリング・ジェシー氏が書いて、日本でも(少し)話題になった「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」(化学同人)のなかで主張された内容を思い出させてくれるからである。


氏の主張は、次のようなものである。


ヒト(ホモサピエンス)という動物で、他の動物と比べて特に発達している特性は、「他個体の心を読もうとする意欲と能力」である。


進化心理学とよばれる分野で提唱され、認知科学や脳科学も含めたさまざまな分野での実証的な研究の成果にも支持され、現在、その主張は広く認められる説になっている。


ベリング・ジェシー氏の主張は、その説を基盤にして、ヒトは「他人がどう思うか」という点にとても敏感で、その敏感さが、常に誰かの目を意識する心理につながり、その“誰か”を“神”として考えるようになった、というものである。
 「なぜヒトは宗教や神を感じるのか」についての理論や著述はたくさんあるが、ベリング・ジェシー氏の主張は、頭一つ、二つ、三つ、抜けているのである。


“ヤギの呪い”も“カーネルおじさんの呪い”も、自分(たち)に向けられた他個体の目を意識するがゆえに、生まれる心理だと私は思ったわけだ。もちろん、そのような命名のなかには、一種のお祭り騒ぎとして楽しもうという気持ちが含まれていることはあるだろうが、自分の心理を深く見つめてみると、心の片隅には、真剣にそれを信じてしまう自分もいることを我々は認めざるを得ない。

こういった難しいことも私は考えることがあるのだ。

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