2015/10/01

「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」と「ヤギの呪い」


昨日の新聞記事で、「大リーグの名門カブスには、“ヤギの呪い”がかかっている、と言われている」ということを知った。1945年のワールドシリーズで、カブスファンの一人、サイアニス氏が、ペットのヤギをつれて、カブスの本拠地の球場に入ろうとしての係員に止められたのだそうだ。そしてそのとき氏が叫んだ。

「ヤギを入れるまでおまえ達はワールドシリーズで二度と勝てないだろう」

それから、名門カブスは優勝から遠ざかっているという。


上の写真を見ていただきたい。
記事を読んだとき私は思ったのだ。どうして(実際にはとてもナイスガイの)ヤギが、いったい、どうして呪いをかけるというのだ、と。


でもまー、なにかよくないことや悔しい結果が続くとき“○×の呪い”と言ったり、半分は心底そう感じたりすることはヒトにはよくあることだ。


日本でも、阪神が優勝から遠ざかって久しくなったとき、“(道頓堀に捨てられた)カーネルおじさんの呪い”というフレーズが誕生した。


さて、私がこの手の話で興味をもつのは、最近、アメリカのベリング・ジェシー氏が書いて、日本でも(少し)話題になった「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」(化学同人)のなかで主張された内容を思い出させてくれるからである。


氏の主張は、次のようなものである。


ヒト(ホモサピエンス)という動物で、他の動物と比べて特に発達している特性は、「他個体の心を読もうとする意欲と能力」である。


進化心理学とよばれる分野で提唱され、認知科学や脳科学も含めたさまざまな分野での実証的な研究の成果にも支持され、現在、その主張は広く認められる説になっている。


ベリング・ジェシー氏の主張は、その説を基盤にして、ヒトは「他人がどう思うか」という点にとても敏感で、その敏感さが、常に誰かの目を意識する心理につながり、その“誰か”を“神”として考えるようになった、というものである。
 「なぜヒトは宗教や神を感じるのか」についての理論や著述はたくさんあるが、ベリング・ジェシー氏の主張は、頭一つ、二つ、三つ、抜けているのである。


“ヤギの呪い”も“カーネルおじさんの呪い”も、自分(たち)に向けられた他個体の目を意識するがゆえに、生まれる心理だと私は思ったわけだ。もちろん、そのような命名のなかには、一種のお祭り騒ぎとして楽しもうという気持ちが含まれていることはあるだろうが、自分の心理を深く見つめてみると、心の片隅には、真剣にそれを信じてしまう自分もいることを我々は認めざるを得ない。

こういった難しいことも私は考えることがあるのだ。

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