私が担当した大学でのある講座に、学生時代に工学部で、生物の生理機構について研究され現在は高校の生物の先生をされている方が参加されていた。
チャーミングな女性で、だからというわけではないが、その方が、私が書いた本が面白い理由(私が書いた本を読んでくださっていたのだ)をしゃべられるのを聞いていて、私は改めて、動物行動学の奥深さ、面白さを認識することになった(あまりにも間近過ぎると当たり前になってその存在の貴重さがわからなる・・・それは確かにあることだ)。
私が“改めて”感じたのは次のようなことだった。
私も含めて、多くの人は、生命の歴史、自分が今存在することの意味・・・そんなことを科学の物語で考えることに魅力を感じるものなのだ。
動物行動学は、私が大好きな動物と、その息づかいさえ感じられるほどの近さでふれあうこともOKとしてくれ、さらに、そうして分析した結果を「生命の歴史、ヒトの来た道を示す科学の物語としてまとめあげよ」と要求する学問なのだ。
そんな学問に、多感な学生時代に出会え、今続けていられることを感謝したのだ。
ただし、一方で、私はいつも思うことがあるのだ。
それは、私の人生は、病気的な体の状態との闘いだったなー、と。
それは、程度の差こそあれ誰でもそうなのだろうが、虚弱な私は、容易に調子を崩して動きを止める頭と体を、何度、どんなに恨めしく思ったことか。
病気は人を卑屈にもするし、深くもする。
私もいずれの影響も被った気がするが、でもいずれにせよ、生物や動物行動学によってとても救われたことは確かだと思うのだ。