上の写真は、私が学生たち(今年卒業した二人のYくん、元気でやってる?)と一緒にコウモリ調査のために入った洞窟の中で出会ったハクビシンである。
私は、場所のせいもあるかもしれないが、見上げた洞窟の天井近い部分の棚にいたこのハクビシンが何やら神々しく見えた。野生の美しさを感じた。
でも本当に残念なのは、近年このハクビシンが増え、住居に侵入して被害を与えたり、在来種を捕食したりする現象が増加していることである。
話は変わるが、最近、科学ジャーナリスト フレッド・ピアス氏によって書かれた本の邦訳書「外来種は本当に悪者か?:新しい野生 THE NEW WILD」(草思社)がよく読まれているという。
本書の主張の骨子は、「これまで(保全)生態学者は外来種をとにかく”悪”としてみなしてきたが、世界の様々な場所を見ると、外来種が生態系を元気にしたり、生物多様性を豊かにしている場合もある。外来種は必ずしも”悪”ではなく、自然にとって”善”にもなる、という新しい見方をすべきではないか」ということだと思う。
私もざっと読んでみた。そして共感する部分もいろいろあるが、率直に言うと、悲しいな、と感じた。(内容に対して)ちょっとした憤りも感じた。
この本は、実に丁寧に文献や現地が調査された労作だと思う。しかし本質的なところで間違っていると思った。それは次のような理由からである。
外来種を人(一般の人や研究者)が問題にするのは大きく分けて次の2点からだ。
(1) その外来種が作物に被害を与えたり、毒などにより人に危害を加える。(2)人が生存するうえで不可欠な地球内部の大気や河川・海、土壌などの状態を維持してくれている、在来種同士のつながり(長年の進化の過程で形成された生態系)に被害を与える。
保全生態学で重視するのは特に (2) のほうである。
ほとんどの保全生態学者は、「とにかく外来種だったら悪いのだ」とはけっして言わない、思わない。保全生態学は「人ができるだけ健やかに生存できる状態や、それを維持するための具体策を研究する学問である。外来種であっても、その状態にとって害にはならない種や、場合によってはその状態の維持にプラスになる種があれば、駆除すべきとは言わない。
(1) については、そういう作用をもつ生物は、外来種であろうが在来種(たとえばシカやイノシシ)であろうがそれとは無関係に駆除すべきと考えられている。(ある程度は分けてやっても仕方ないのではないかといった)我慢すべきレベルが人によって異なっていることはあろうが、駆除についてはもちろんやむを得ないだろう。ただし、同時に、(その原因は人がつくっているのだが)個体数の過剰な増加や、居住地への侵入を抑え、(2) の状態も維持できるような対策も模索されている。
(1)や(2)に共通していることは、「人ができるだけ健やかに生存できる状態や、それを維持する」ことを目指している、ということである。
これは環境問題を考えるうえでとても大切なことだ。この”目指している”ことを聞いて違和感を覚える人も、特に生物好きの人のなかにはおられるかもしれない。でもここから目をそらしてはいけない。その点を自分はどう考えるのか。
「外来種は本当に悪者か?」の骨子、「これまで(保全)生態学者は外来種をとにかく”悪”としてみなしてきたが、世界の様々な場所を見ると、外来種が生態系を元気にしたり、生物多様性を豊かにしている場合もある。外来種は必ずしも”悪”ではなく、自然にとって”善”にもなる、という新しい見方をすべきではないか」は、次の点で間違っている。①これまで(保全)生態学者は外来種をとにかく”悪”としてみなしてきた・・・のではない。②「外来種が生態系を元気にしたり、生物多様性を豊かにしている場合もある」という点で、元気にするとはどういうことか、生物多様性の本質的な意味に関して認識が間違っている。③最終的に自然そのものがわれわれが一番大事なのではない。目指さなければならないことは「人が健やかに生きられる環境の維持」なのである。そして、そのために、野生生物のつながりがつくりだす健全な生態系が不可欠なのである。
私はハクビシンが人や生態系に与える害について十分には知らない。家屋への被害については、私だったらもう少し寛大に対応できるのになーとは思うが(それは私が動物が大好きだからだ。それは個人によって異なる)、生態系への被害については、個体数が増えすぎると無視できない状況をもたらす可能性が高い(もうそうなっている?)と思う。
いずれにせよ、生きる上ではわれわれは物事に優先順位をつけて選択しなければならない。
ハクビシンの命・・・それはもちろん大切だ。でも「人が健やかに生きられる環境の維持」はもっと大切だ。大切なことを皆々満たすことは、時間とエネルギーにおいてできないことだ。そもそもそれらが矛盾する場合にはどちらかを優先させなければならないのだ。