最近、ヒトの極身近な場所に、特に恐がることもなく侵入して、餌などを食べている“小鳥”をよく目にするようになった。
今日は、その中から、イソヒヨドリとハクセキレイの話をしたい。
というのも、今日は、図書館とコンビニで、連続して、これらの愛すべき侵入者たちに出会ったからである(つまり私は、今日、図書館に行って、その後コンビニに行ったということだ)。
図書館とは、鳥取県の県立中央図書館である。そこに、ある本を借りに行ったのだが、人もよく通る図書館の庭の芝生の上で、雄のイソヒヨドリが餌をついばんでいたのだ。
へーっ、こんなところにイソヒヨドリが。
私は、私のすぐ近くで、土に嘴を差し込み、餌をくわえて食べているイソヒヨドリみ見とれてしばし立ちつくしていた。
そのうち、私の後ろから、私より少しご年配の男性が早足で私を追い越していったのだが、その勢いに驚いてか、イソヒヨドリは、中庭のケヤキの下に飛んでいった。
でもしばらくすると、また、場所に戻ってきて、餌をついばみはじめた。きっと、その場所の土の中には餌がたくさんいるのだろう。
それからイソヒヨドリは、私がじーっと見つめられながらも、気にする様子もなく(ときどき、私と目線が会った)、その場所にい続けていた。
愛らしい小鳥とさりげなくふれあうそんな体験は人間にとってもよいことだと感じながら、私はその場を後にした。
さて、次はコンビにだ。
図書館で用を済ませた私は、何を買うためだったか忘れたのだが、図書館の近くのコンビにに行った。
そこで、また見たのだ。
小さな、白を基調にした体に、黒の帽子とネクタイ、そして何よりクリッとしたつぶらな目の、愛らしい小鳥が、人が行き来するコンビニ店の前で、いそいそ歩いているのを。ハクセキレイだ。
車から降りてきた若い男性をよけるようしながら、自転車を止めようとする年配の女性から距離をとって、それでもハクセキレイは店の前から離れようとしない。
なんだか、“けなげ”だ。
「頑張ってるねー」と声をかけたくなるというものだ。
動物行動学的に言うと、これらの小鳥はきっと、学習能力が特に優れているに違いない。
もちろん日本での先輩は、ドバトやカラスだが、どうしてどうして、これらの小鳥も、安全な場所や物、ホモサピエンスという動物の性質を見切って、さまざまな判断を下しながら、人間居住地の一画に侵入し、生活の一場面として利用しているのだ。
保全生態学の視点から言えば、もちろん、一番は彼らの自然な生息地を守ることだ。でも、人間居住地の中に彼らを迎えて、われわれが大きな被害をうけることなく、彼らの習性に合った居住地のデザインをつくることも、意義ある対策だと思う。
小さな小さなハクセキレイが、気丈にも、私の車の下を、多少の緊張感を漂わせながら、でも堂々と歩いているのを見て、そんなことを考えたのだった。
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