2015/09/16

私はお茶目・・・なんだろう。本質的に

先日、ある高等学校で、「野生生物の生息地の保全」について授業をしてきた。

 教室には、生徒さんと、顔を知っている先生お二方のほかに、はじめてお顔を拝見する女性の方が座っておられ私の話を聞いておられた。

 今、大きなニュースになっている鬼怒川の堤防決壊の話から入って、少し堅い話になった。

 授業が終わって、駐車場に向かっていると、“はじめてお顔を拝見する女性の方”がにこやかな表情で近寄ってこられて、「私は本校の図書館の司書をしていますが、先生の“先生シリーズ”を楽しみに読んでいます」と言われた。そして、そんな会話の中で、今日の授業は少し堅めで、本の中の語り口とちょと違っていましたが、「“ヒトの男性は言葉で求愛をするけれどアカハライモリの雄は化学物質で愛を語るんです”と言われたところに片鱗を感じました。これなんだ、と思いました」といった意味のことを言われた。

 私は、あー、やはり司書の方って言葉に繊細なんだ、本がお好きなんだ、と尊敬の念をもち、同時に、私の持ち味、私らしさを生かして、生徒の心に学習内容を響かせる、という私本来のスタイルを思い出させていただいた気がした。

 また、そんなことを考えながら帰りの車を運転していると、もう5,6年も前に、ゼミの、ある女性の学生が、盲腸の手術から退院した私の研究室に、ケーキとメッセージを届けてくれたのを思い出した。
 あいにく私は研究室にはおらず、ドアの取っ手に手提げ袋に入れてかけてあった。

 走り書きしたメッセージには、「退院おめでとうございます。また、いつものお茶目な先生でいてください」と書かれてあった。

 そういえば、盲腸で入院するころは、いろいろ仕事などのストレスで、いつも眉間に皺をよせた堅い表情をしていたと思う。その学生は、それも気にかけてくれていたのだと思った。

 そんな出来事も思い出しながら、車の中で、「いろんなところから、いろんな人からいろいろと言われるけれども、私は私のやり方で、こつこつとやればいいのだ」と思ったのだった。
すると、今、ささやかな実験をやっている「コウモリの視覚はどれほどの識別能力があるのか」という画期的な(さっき“ささやか”っていただろうが。ドッチナンジャ)研究に参加してもらっているコウモリの愛くるしくてよく怒る顔が目に浮かんだ。あいつら今どうしているだろうか。

車の左側には、気持ちのよい日本海が広がっていた(ちょっとカッコツケテ書いてみました)。

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