2015/01/31

冬の山の木の葉たち(一部、種子も)


先日の雪の日の翌日、大学の近くの林を歩いた。

 雪の上には、さまざまな木の葉(一部、種子)が、白いキャンパスに描かれた油絵のように横たわっていた。

 私は、その色合いや形に魅せられた。もちろんそれだけでも充分だろう。ただただ美しいし、愉快だし、心は癒され、心は元気づけられる。

 でも、生物学が肌に(正確には、脳に)染み付いている私は、その色合いや形をつくっている生物の戦略にも思いが走るのだ。

 茶色なコナラの葉の成分を栄養にしながら、成長する真菌の“黒いシミ”の戦略に。
 
白や茶色の風景の中に、種子を青色の果肉で被い、鳥に食べさせることによって、遠くへ運ばせるヒサカキの戦略を。

 種子を小さく軽くして翼を持たせ、遠くまで飛ばせよつとするモミジの戦略を。

 優れた研究者は、優れた詩人の言葉に魅せられ、優れた詩人は、優れた研究者の解説に耳をそばだてる、と私が大好きな動物行動学者は書いている。私はその言葉に強く共感するのだ。

ちょっと今日は格好つけすぎた。
でもホント、雪上の木の葉(一部、種子)はいいよな。


オシマイ

2015/01/30

大学に棲み付いているカラスに告ぐ。早く私を覚えなさい!

「ねー、君、いいじゃないか」「イヤよ、ダメダメ」などどやり取りしているのだろうか。  以前、大学の近くの道路で私が保護したカラス

 数年前から、大学に4羽ほどのカラス(ハシボソガラス)が棲みついている。
 
 私が顧問をしているTUES村部の小屋でよく休息している。
 部で育てているトウモロコシなどを食べたり、愛をささやきあったりしている。結構、大学生活(?)をエンジョイしているようだ。

 私はカラスが大好きだ。その、飛翔も含めた柔軟な動作といい、その奥深い思考に基づいた行動といい、動物行動学者としては、魅力たっぷりの動物だ。

 大学で出あったときには、いつも声をかけているのだが、なかなか私を覚えていないようだ。
 最近の研究では、カラス(ハシボソガラス)は、人の顔をよく覚えて、その人物との関係に応じて行動を変えることが知られている
 ならば、私のことも早く覚えて「オイオイ、アイツだぞ。アイツはいつも話しかけてきて、言ってることは分からないけど危険はなさそうだ。」みたいな、フレンドリーな対応をしてほしいものだ。

 君らが休息している小屋も、実質的には、半分は私が建てたものだし、君らがときどきちょっかいを出しているヤギたちも、七分の一は私が育てているようなものだ。
 
大学に棲み付いているカラスに告ぐ。早く私を覚えなさーい!


2015/01/29

冬を生き抜く鳥


20150129

 昨日までこの時期にしては穏やかな日が続いていたが、今日からしばらくは、寒気が急に強まるという。鳥取では雪も降るらしい。
 そんな話を聞くと思い出すことがある。

冬は鳥たちにとっても厳しい季節だ。雪が、彼らの餌を覆い隠す。わずかに、ナンテンやヒサカキ、サルスベリ、アオキなどの実が、白い雪の中で鮮やかに赤や紫の顔を出すところへは、たくさんのヒヨドリが集まり争いが起こることもある。わずかな餌を巡って、生き残る争いなのだ。
 とくに急に気温が下がったときなど、鳥たちにも危険が増す。

 数年前の冬の日、学生が、電話で、「大学のキャンパスで鳥がケンカして動けなくなっています」と連絡をしてきた。やはり、急に気温が下がった日だった。
 ちょうどデスクワークに疲れていたときだったので、これ幸い(理由ができた)とばかりに、その場所へとんでいった。大学の建物の壁を覆うツタの実の下だった。雪が一面を覆っていた。
 
 ヒヨドリだった。学生の話だと「他の鳥に馬乗りになられ(鳥が馬乗りとは!)、嘴でつつかれていた」ということだった。学生が近寄ったら、馬乗りになっていた鳥は、逃げていったという。
雪の中に、一羽のヒヨドリが横たわっていた。頭をひどくつつかれたようで、皮膚が見え、血も見えた。

私が近寄ると、顔をこちらに向け、直後逃げるような動作を示すが、思うように体が動かない、といった様子だった。飢えと寒さと、激しい攻撃で、神経系がうまく作動しなかったのかもしれない。
私は、この寒さの中、ほおって置かないほうがよいだろうと判断し、研究室につれて帰った。

私は少し考え、コーヒー用のミルクを湯に溶かして与えることにした。スポイトで口から少しずつ流し込んだ。ヒヨドリは最初、首を振って嫌がったが、やがて、多少こぼしつつも、積極的に飲むようになった。喉も渇いていたに違いない。

それからの数日間、飼育カゴの中に与えたミカンも自分からつついて食べるようになり、着実に元気になっていった。
カゴの外に出して、飛翔の様子も見たが、部屋の中を器用に、力強く飛び回り、机や本棚の上に着地しリラックスした様子で羽づくろいなどをしていた。私がつかむと、元気に指に噛み付いてきた。

いつまでも飼っておくわけにもいかない。野鳥は飼育も難しく、突然体調を崩すこともある。春にはまだ一ヶ月近くあったが、野生の中で自力で生きるほうにかけるべきだ。
横たわっていた場所に連れて行き、放してやった。晴天の日で、青と白と緑の世界へ羽ばたいていった。

言い忘れたが、頭の負傷は、毛に埋もれて見えなくなっていた。
野生の中で生き抜くことの厳しいさを改めて思ったのだった。

2015/01/26

モリアオガエルの雄は頑張った!





数年前、私が学生たちと一緒に、キャンパスの周辺の森に、レンガとセメントでつくった池に、次の年にはもう、モリアオガエルがやってきた。
私は、“キャンパスの周辺の森”でモリアオガエルに出会ったことは、それまで一度もなかった。

少なくとも、レンガ池の周囲、半径50mには、水場はない。かれらはどこに棲んでいて、どこから、どうやって、池を見つけてやってきたのだろうか。
そもそも、かれらは、繁殖期以外は、樹上で生活しているので、その生息地に足を踏み入れても、出会うことはなかなかないのだ。手足の先端のよく発達した吸盤を巧みに使って、樹上生活を続けるのだ。

ある初夏の夜、森にあるモモンガの野外ケージから帰る途中、レンガ池で、コロ、コロ、コロ、コロという声を聞いた。

もちろんそれがモリアオガエルの雄の求愛コールであることはすぐ分かった。
なんとも、気持ちのよい声である。私は引き付けられるように、近づいていった。
ライトを向けると逃げるか、と思ったが、雄は逃げなかった。雌に向けて、一生懸命なのだろう。ハイ、写真1枚ね。

頑張る雄の隣で、私も雌を待った。「早くくればいいね」みたいな気持ちで。それに、雌に対する雄の行動も見たかったし。
でも、20分経っても、30分たっても、雌は来ない。
雄は鳴き続けた。私は、「じゃ、頑張ってね」と、頑張る友人を後に残して森を出て行った。

そして次の日。ちゃーんと、レンガ池の水の上の笹の葉には、モリアオガエルの卵塊が2つ、産み付けられていた。雌が、少なくとも2匹もやってきたのだ。
雄は、きっと徹夜で鳴き続けたのだろう。

卵塊の表面は乾燥して、水分を含んだ泡の中で、卵は孵り、オタナジャクシは雨を待つ。雨が降ると、卵塊の表面は破れ、オタマジャクシたちは、下の水場に落ちていく。うまくできているよな。

レンガ池も生態系の一部に取り込んでもらったということだ。



さて、ここで問題です!



上の写真に写っている愛すべき動物たちは、上右から順に、アカネズミ、ニホンモモンガ、シベリアシマリス、キクガシラコウモリである。すべて、私が研究して論文に書いたことがある動物である。シベリアシマリス以外は、まー、夜行性である。アカネズミは地上性、シベリアシマリスは半地上性(半樹上性)、ニホンモモンガは樹上性、キクガシラコウモリは空中性とでも言えるだろうか。

さて、ここで問題です!
これらの動物たちの中で、3匹には備わっているが、1匹には備わっていないものを2つあげて欲しい。

・・・・・サービスだ。一つは私が言おう。
一つは、長い鼻髭。アカネズミ、ニホンモモンガ、シベリアシマリスには備わっているが、キクガシラコウモリには・・・鼻髭が、まったくと言ってよいほど、無い!のである。前3者がそれを持っているのは、彼らが、地面や樹の、(顔がギリギリ入るほどの)穴を利用することと関係があるだろう。キクガシラコウモリは、(顔がギリギリ入るほどの)穴なご利用しない。

そして、もう一つは、・・・・
大サービスだ。もう一つは、超音波が感受できる耳だ!
超音波が感受できる耳の特徴は、①薄いこと(少なくとも血管などは透けて見える)、②輪紋のような模様がある。

キクガシラコウモリと、アカネズミと、そしてニホンモモンガは、そんな耳をもっているのだ。つまり、この3種の動物は超音波を発し、超音波を受信できるのだ。

私は、この“超音波が感受できる耳の法則”をもう20年以上も前から主張しており、8年前に、ニホンモモンガにはじめて出会ったとき、「ニホンモモンガは超音波をコミュニケーションに使っていると予言した。
そして数ヶ月前、超音波を、周波数を下げて、ヒトの耳にも聞える音に変換する装置を使って、ニホンモモンガが超音波を発していることを確認した。

ここまで述べてきたような種類による違いはなぜ(進化的に)生じてきたのか。
かなり説得力のある仮説がご披露できるのだが、・・・・それはまたの機会に、ということで。


オヤスミナサイ

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