上の写真は、2015年1月、鳥取県の山陰海岸を車で走っていて見た光景である。
私は、はじめ、アザラシか!と思った。でも違っていた。ヒトだった。
そして博学の私は(ウソだけど)、人類をめぐる、ある話を思い出したのだ。それはアクア仮説と呼ばれる、人類の進化的誕生に関わる仮説であった。
その説は人類の誕生のドラマについて次のように主張する。
人類(一般にこのような使い方をする場合の“人類”とは、チンパンジーと近縁な二足歩行の霊長類のことを指す)が、チンパンジーとの共通祖先から分かれて、アフリカの森での生活からサバンナ(湖や林が散在する乾燥した大草原)での生活に移ったとき、まずは、水辺での生活を行った。
湖の水辺の浅瀬で、胸や肩くらいまで水に浸かり、敏感な足の裏で水底の魚介類を探って捕ったり、水中で鳥類や哺乳類を捕ったりしていた(なにせ、水辺は昔も今も生物が豊富である)。
湖の水辺の浅瀬で、胸や肩くらいまで水に浸かり、敏感な足の裏で水底の魚介類を探って捕ったり、水中で鳥類や哺乳類を捕ったりしていた(なにせ、水辺は昔も今も生物が豊富である)。
そんな生活が、現在の人類(ホモサピエンス)の形質の基本を決めた。
- 体毛の喪失(水中生活をする哺乳類は、クジラ類にしろアザラシなどの海獣類にしろ、ジュゴン、マナティにしろ体毛を失っている)。
- 流線型の体(ヒトに近縁な霊長類:チンパンジーやゴリラ、オランウータンなどの体と比べ、ヒトの体は実に特異的だ。つまり水の中での泳ぎを含めた移動にとても適している)。
- 実際の遊泳能力や、生まれたての新生児の“水を怖れない、それどころか水のなかでのリラックスした、振る舞いや心理(こんな霊長類は他にはいない)。
- 哺乳類のなかで、水中生活をする哺乳類を除いては見られない皮下脂肪の厚さ(水中生活をする哺乳類は水中の冷たによる体温の低下を避けるために厚い皮下脂肪をもっている)。
- 直立(水中では、直立のほうが有利だ)。
アクア説で主張される初期人類の水生霊長類が正しければ、こんな感じだったのだろうかと、頭に浮かんだのである。
さて、人類のさまざまな特性の中で、“体毛の喪失”(完全に喪失したわけではない。短い毛は体じゅうに残っている)についてだけ言及しておくと、「なぜ人類は体毛を失ったのか」に対する仮説は、アクア説の他に(というか、アクア説こそ他の仮説より遅く出てきた新参的仮説であり、他の仮説のほうがずっと以前から続いている老舗なのであるが)主に2つある。
1つは、「サバンナでの狩猟採集にむくように、体がより容易に冷えるように体毛を失った」というもの。
この説は以下のような問題点が指摘されている。
サバンナでヒトと同様に狩猟して生きている哺乳類(ライオンやヒョウ、リカオン、チーターなど)で、体毛を失っている動物はいない。また、体温が上がりやすいのは、狩猟を担当する男の側であるはずなのに、体毛の喪失の度合いが高いのは女性のほうである。
もう1つの説は、「ダニやノミなどの外部寄生虫が少しでも体に寄生しにくくするために体毛を失った。特に、同一のねぐらを長期間使うヒトにとって外部寄生虫は無視できない有害な存在であったろうから」というもの。
この説の問題点も、一つ目の説への批判と似ている。ねぐらや巣などをもつ哺乳類は、アナグマやオオカミ、キツネなどたくさんいるのに、体毛を失ったものはいない。
アクア説にもいろいろな問題点はある。たとえば、化石が、人類が誕生するころ水辺だったと考えられる場所で見つかっていない、等である。
なかなか難しい問題だ。私の意見? 私は・・・・、またいつか、お話します。