20150121
上:鳥取砂丘のスナガ二.キリットした顔は潮の心地よさと生きる気高さのようなものを感じさせてくれる.下:私が研究室で飼育していたスナガ二たち。自分で掘った穴にもぐり込む様子が間近で見えた.
日本の海の砂浜には、スナガ二という愛すべき蟹がいる。
砂浜に、直径数センチ、深さ20~40センチの穴を掘る。そこをねぐらにして、砂に打ち上げられた海藻や動物の死骸、川から流れてきた家庭由来の有機物などを食してくれる。環境学では、彼らの働きを、浄化作用と呼ぶ。
ある時、彼らのことを間近で見てみたいと思い、2匹のスナガ二を、砂を敷いた透明プラスチックの容器に入れて、机の上に置いていた。
ある朝、大学に出勤したら、プラスチック容器の蓋が開いていた(私が閉め忘れて帰ったのだろう)。中にスナガ二の姿はなかった。
研究室の中を一応は探してみたが、彼らの習性を知る私には、見つけることはほぼ不可能であることは分かっていた。
研究室の中には無数と言っていいほどの隙間があるのだ。
切ない思いで午前中を過ごし、、そして昼休み。
廊下を歩いていたら、清掃員の方が後ろから声をかけて下さった。
「あそこの階段に蟹がいましたよ。先生とこの蟹じゃあないですか。」
急いで行ってみると、階段の中央あたりのステップの隅に、なんと、スナガ二が2匹身を寄せ合うようにうずくまっているではないか。体は埃まみれだったが死んではいなかった。
きっと夜の間にでも、私が閉め忘れたところから容器を抜け出し、研究室のドアの下から出て廊下を歩き回り、乾燥と疲労で、階段の隅にへたりこんだ・・・・といったところだろう。
研究室につれて帰り水をかけてやった。2匹とも元気だった。
そんなスナガ二を見ながら、私は思ったのだ(その思いは“疑問”として今でも頭に漂っている)。
なぜ、あの2匹は、一緒にいたのだろうか?
スナガ二が群れをつくる習性をもつことなど聞いたこともない(少なくとも、私が砂浜で観察しているナガ二には、そんな習性は、無い)。
それぞれ単独行動をしたのだが、たまたま同じ場所にたどり着いた、ということなのだろうか。
いや。その確率はかなり低い。
となると、2匹が、「こっちだ、こっちだ」とかなんとかコミニュケーションをとりあって、一緒に行動したとでもいうのだろうか。
「もう無理、もう動けない」、「それなら私も付き合うわ」とかなんとか信号を交し合って、階段の隅にへたばった、とでもいうのだろうか。
今もその謎は解けてはいない。