今回は「経済の発展」とは何か、について書いてみた。
最近、「経済の発展」をキーワードにしたさまざまな議論が交わされている。しかし、そもそも「経済の発展」とは何なのか、あまりはっきりとした答えには出会わない。だから、とりあえず自分で考えてみた。結構いけてると思う。
人間にとって「経済活動」、「経済の発展」とは、何か。
原因は人間の、“快さ”を求める欲求である(ちなみに、その欲求は、狩猟採集という人間本来の生活環境のもとでは、自分の生存や繁殖を有利な状況を生み出すものであった)。
衣・食・住などについて、より大きな快さを求める欲求に基づき、個々人が、自然物に働きかける。人類史の初期の段階なら、自分の筋肉のエネルギーや、水や石が落下するときに発生するエネルギー、枯れ木を燃やして発生するエネルギーなどによって、自然物(植物や動物、鉱物など)を、元のものより“快さ”増したものをつくりだす。たとえば、寒さを防ぐ衣類は植物の繊維や動物の毛皮にエネルギーを加え、加工してつくられる。自分や家族の食べものになる肉は、自然界を勝手に行き来する動物を、狩りなどに伴うエネルギーを使い、自由にいつでも食べられる形に変えてつくられる。
人類の初期には、それらの加工品は、物々交換という形で手に入れていた。やがて、貨幣が生まれ、貨幣をはさんで加工品と加工品とが交換されるようになった(経済現象を生物学的に理解するときには、この貨幣は省略して考えたほうがいい。要は、加工品と加工品の交換である)。
人間は、事物の変化の因果関係を緻密、かつ大規模に推察する能力をはじめとする“情報処理能力”をもっている。その能力によって、自然の中に存在するエネルギーを利用する方法を学習や継承によって改良する。また、エネルギーを利用して自然物をより効果的に変化させる道具・機械をつくった。そうして、自然物を変化させる活動は徐々に加速した。
膨大なエネルギーを生み出す石油・石炭の発見は、その加速にさらに拍車をかけ、衣食住などに関して、より大きな“快さ”を与える加工品をつくりだしていった。
映画やコンサートといった“快さ”を感じさせてくれる刺激発生品もそうである。医療品や薬などのような、“不快さ”を減少させてくれるものも、結局は、“快さ”発生品である。
エネルギーを使って自然物を変化させ“快さ”発生品をつくり、“快さ”発生品を取引して、私たちは生きているのである。それが経済活動である。一見、複雑に見えても、起こっていることは全く単純なのである。
一方、経済が発展しているという状態というのは、「人間が、“快さ”発生品を貨幣で買い取る作業が順調に進み、その“快さ”発生品をつくりだした人に貨幣が渡り、その人も“快さ”発生品をしっかり買う ― そのサイクルが順調に、少しずつ勢いを増しながら進行している(その結果、自然物に働きかけての“快さ”発生品の生産スピードは増えていく)」という状態である。
ではなぜ、少しずつ勢いを増すのか。それは、エネルギーの消費が増えたり、エネルギーの利用効率がよくなって、より多くの“快さ”発生品がつくられるようになるからである。人間の、“快さ”を求める欲求は限りがないのである。そしてもう一つ、経済を発展させた国が、企業が、人が、より多くの力を獲得し(いわゆる国際競争力を増し)、その力を使って経済発展を目指すからである。
例外もあるが、発展によって得られた力は軍事力の拡大にも使われる。国が、経済の発展を求める理由に一つでもある。
ちなみに、少なくとも化石燃料の消費を基盤にした経済の発展は、地域や地球の環境を悪化させ、人類の生存を脅かす状態をもたらす。でも競争は止められない。それが、いわゆる環境問題の本質でもあるのだ。いわゆる“コモンズの悲劇”の拡大版である。そして私は、ささやかながら、この問題に対する対抗手段に関して、思考や提案や実践を行っている。たとえば、「人間の自然認知特性とコモンズの悲劇 -動物行動学から見た環境教育 」(ふくろう出版)や「先生、モモンガの風呂に入ってください 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」(築地書館)など、それを紹介した実にいい本だ。だから冒頭に表紙を載せた、というわけだ。