2014.12.30
報道によると、12月19日、アルゼンチンの裁判所で、「オランウータンにも人間と同等の、自由を享受する権利がある」とする判決が下されたという。
ブエノスアイレスの動物園にいる28歳の「サントラ」と呼ばれるオランウータンについての判決だ。
サントラは、ドイツの動物園で生まれ、1994年にアルゼンチンの動物園に移され、その後、ずっと動物園で飼育されてきた。そんな中、動物保護団体が、動物園での飼育を、不適当な環境での監禁生活だと主張し、他のオランウータンと適切な場所で暮らす権利を認めるべきだと訴えていた。
今回の判決で、アルゼンチンや世界での、オランウータンの扱いが大きく変わるわけではないだろう。しかし、社会にある程度のインパクトを与える可能性はあるし、また、我々もいろいろと考えさせられるでき事だったと思う。
ちなみに、今回は、ヒト(ホモサピエンス)に近縁なヒトニザル科の霊長類であるオランウータンが対象だったが、「ヒト以外の動物に、基本的人権に近い権利が認められるのかどうか」については、これまでさまざまな分野で議論がなされてきた。
たとえば、環境問題における“自然環境の保全”という分野で。
なぜ野生生物を保護しなければならないのか、という問いに対して現在、主に2種類の答えがある。
一方は、環境倫理学という学問が主張する答え:「野生生物にも、地球に生きる生命として、ヒトと同様に、生存する権利があるから」である。
もう一方は、「ヒトは、野生生物の活動がつくりだす“生態系”があってこそ生きられる。そしてその生態系は、それを構成する野生生物の種類が多いほど強固で豊かである。野生生物を保護しなければならないのはヒト自身が生きていくためである」という答えだ。
私は、後者の立場に立つ。ただし、極個人的な心情として前者も強く感じる。
話は変わるが、私が勤務する大学(鳥取環境大学)は、鳥取駅のすぐ近くに「まちなかキャンパス」と名づけたサテライトキャンパスを開いている。そして、私は、学生といっしょに、「まちなかキャンパス」の中に、「ミニ里山生物園」という、生き物と触れ合える場所をつくった。だれでもいつでも見学できる。
水辺の構造を、そこに棲むカエルやアカハライモリ、各種の魚、エビ、カニなどと一緒に、そのまま再現したのだ。
また、里山の生物に関係するテーマで、学生を中心に参加者をつのり、体験も交えた話し合いをする「ミニ里山生物園特別企画」も催している。
先日行った企画では、「罠にかかった動物の痛みをどう考えるか?」というーマで、意見交換をしたり、シカの後肢を解体し調理して食べたりした。
今、ヒトの居住地に出没し、作物などに被害を与えているシカやイノシシが、全国的に大きな問題になっている。そんな中、狩猟してその肉を食べるという行為が、被害の軽減のみならず、生態系のことや我々ヒト自身のこと(たとえば、ヒトは他の動物を狩って食べて生きる動物だという当たり前の事実)を、より深く知る意味でも大切なのではないか、という意見もある。
私は、その意見はまったく正しいと思う。
ただし、一方で、次のような事実もある。
「シカやイノシシの肉を、食べられる肉にするためには、殺す前後で、体内から血をしっかり出してしまう(“血抜き”とよばれる)必要がある。血抜きは、罠にかかった動物の心臓が動いている間に喉などを切るのが有効だ。」
そこで企画のテーマ「罠にかかった動物の痛みをどう考えるか?」である。
私の極個人的心情では、動物の痛み、苦しみを出来るだけ少なくしてやることが、肉をより美味しくすることより優先する。
でもそうなると肉が売れず、狩猟する人の増加が進まないというジレンマもあるという。
なかなか難しい問題だ。