私の家の(借家だが)庭には、隣の家との境界付近に、センダンの木がある。現在、高さが4mほどだが、枝が、水平に、どんどん伸びてくれる。
それでいて、枝は、少しの力ですぐきっぱりと折れてくれる。太い枝でも、実に潔く折れてくれるのだ。
隣の家の庭に枝が侵入してはいけないので、ときどき塀の上に登って枝を折るのだが、快く作業が進む。私は心の中で、「ありがとうね」と言いながら、ときには、かなり太くなった枝を(鋸も使いながら)折る。
そういえば、妻は、枝が、家に伸びている電線に触れると、強風のとき電線が痛むかもしれないから枝を何とかして、と言う。
そんなときも私は、センダンに、「妻が言うから許してね」という気持ちで、枝を折る。センダンの枝は何も言わず、快くパキッと折れて、落下していってくれる。手間がかからない(今、思ったのだが、妻にとって私は、センダンの枝のような状態なのかもしれない。「家に伸びている電線に触れると、強風のとき電線が痛むかもしれないから枝を何とかして」と言われれば、口応えせず、ハイハイと快く実行する。出勤時に「手紙を投函してきて」と言われれば、ハイハイと快く実行する・・・)。
それだけではない。
センダンの枝は、隣の家との境界から、こちら側の庭へと、(電線には引っかからないように)長ーーい、かつ、水平に広がった枝を伸ばしてくれているので、その下は、とても気持ちのよーーい木陰になる。
実際、葉が茂った季節、私は、その木陰の下に椅子を置いて、読書に耽ることもある。
そしてそして、葉が落ちているときも、センダンの木は大切な役目を果たしてくれる。
それは、干し竿の役目だ。ただの干し竿ではない。見るからに、自然がおおらかに提供してくれる、とてもおしゃれな干し竿なのだ。
私は、最初に、葉を落としたその枝を見たとき、何かを干したくて干したくて仕方なかった。
上の写真は、先日、二人の学生と鳥取県の中部の山に行ったとき、学生に貸してあげたカッパを、センダンの枝に干したところである。
雨が激しくなり、私がもっていたカッパを提供したのだ。
土で汚れたカッパを、そのまま家にもってかえり、庭の水道で洗い、センダンの干し竿にお世話になったのだ。
センダンの木よ、ありがとう!これからもよろしく。
私もセンダンの木の枝のようでありたい(宮沢賢治のような気分になってきた)。
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