最近、American Naturalistという雑誌に、次のような記事が掲載された。
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哺乳類の子が助けを求める鳴き声は驚くほどよく似ている
高音の鳴き声が響き渡ると母ジカが駆け寄って子どもを探した。しかし、その音声は、子ジカの鳴き声ではなく、スピーカから出たオットセイの鳴き声だった。
カナダの生物学者リングルとリーデは、母ジカにマーモットやオットセイ、イエネコ、イヌ、ヒトの子どもの泣き声を聞かせ、母ジカが、どの音に対しても、子どもを探すようにスピーカーによってくることを発見した(鳥の声やコヨーテの吠え声には関心を示さなかった)。
著者らは、哺乳類の子が助けを求める鳴き声は、周波数をはじめとして、共通の特徴があると考えている。
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確かに我々(ヒト)も、イヌやネコの仔が泣いている声を聞くと、助けずにはおれないような気分になる。
ところで、皆さんは、ヒトももちろんだが、ヒト以外の哺乳類が勢いよく何かを食べているのを見ると、自分もそれを食べたくなる、といった経験をされたことはないだろうか。
私の経験では、イヌもヤギも鳥も、ある個体が餌を見つけて食べはじめると、他の個体が必ずと言っていいほどそれに気づいて、その個体の傍にやってきて、餌を食べようとする。
ヒトでも、何かを食べているヒトは何やらすぐ目につき(耳にもつき)、気になってしまう、という印象がある。部屋のドアをノックしたとき、あるいは電話したとき、相手が何かを食べていたりすると、いくら隠そうとしても、「あーっ、何か食べているのか」と分かってしまう。
おそらく、だれかが食べているということは、そこに食料がある可能性が高いわけだから、食べる口の動きや音に敏感な脳をもった個体のほうが生き残りやすかったのだろう。
そんな予測を私はしているのだが、はたしてどうだろうか。
私が小学校の低学年くらいのころ、家でイヌを飼っていた。名前はトムといった。
毎日私が餌をやっていたのだが、ある夜、炊き立てのご飯に、味噌汁をかけたものを、トムにもっていってやった。
すると、トムは、それは美味しそうにすごい勢いで食べるではないか。
まだ夕食を食べていなかった私は、トムが食べるのを見たり聞いたりしていて無性に食べたくなって、そっと容器からご飯を取ろうとした。
するとだ。なんと、トムが、ご飯を食べながらの状態で、ウーーーッとうなったのだ。
私ははっとして、横取りをやめ、大人に叱られた子どものような、情けない気持ちになったのだ。ショックだった、といってもいいだろう。
「ショック」の中には、その行為を非難されたという事実と、それから、私は、トムの本当の意味での飼い主(つまりボス)にはなっていなかったのだという(子どもながらの)思いが含まれていたと思う。
今から思うに、小林少年がその行為にいたった背景には、「ヒトももちろんだが、ヒト以外の哺乳類が勢いよく何かを食べているのを見ると、自分もそれを食べたくなる」という、社会性の動物には本能的に備わっている性質が関与していたのではにだろうか。
くどいようだが、「ヒトももちろんだが、ヒト以外の哺乳類が勢いよく何かを食べているのを見ると、自分もそれを食べたくなる」という、社会性の動物には本能的に備わっている性質・・・・、下の動画を見て、その存在に思いを馳せていただきたい。