2016/10/31

今、ゼミ室で起こっていること.その2


もう1週間以上前、ゼミ室で飼育されていたヘビが逃げたらしいのだが(けっして私が飼育していたわけではない。一時的にMくんがセミ室で飼っていたのだ。私はMくんには気の毒だが心の中で、ごしゅうしょうさま・・・と手を合わせていた)、なんとそのヘビが見つかったらしいのだ。

一階と二階の踊り場の間にいたというのだからよっぽど踊りがしたかったのだろう。そういえばヘビーダンスというのがあったなー。いやあれはベリーダンスか。

何よりも生物学的には、「あんたは水、どうしてたの?」と聞いてみたい。

下の写真の右の人がヘビの飼い主のMくん、左の人がヘビを見つけたSくん。Sくんは以前も、Hさんがゼミ室で飼育していて脱走したヘビを発見したのだ。Sくんはヘビが嫌いなのにヘビたちはSくんが好きらしい。

そういう気持ちでSくんの顔を見ていたら、なんだかヘビが好みそうな顔に見えてきた。

いや、よかった。よかった。



2016/10/30

ニホンモモンガのシッポは最後にちょろっと入っていく?




ニホンモモンガのシッポは最後にちょろっと入っていく!

タイトルの意味、分からなかった方も、写真をみればおわかりだろう。

ああ、なんと愛らしきかな、このシッポ.

区長さんからの生物部へのお礼.首にヘビを回されて盛り上がりました.


山から帰ってきて帰宅の途につきかけたら、大学の近くの地域の区長さんから電話がかかってきた。

なんでも、「今日は学生さんたちがヘビを首に回したりしてとても盛り上げていただきました。ありがとうございました」といったような話だった。

最初「はっ?!」と思ったが、聡明で頭の回転が速く、人格者であり記憶力抜群の私は、すぐに事の正体を理解した。

ヘビを首に回したということは、生物部のWくんたちの仕業以外には考えられない。
区長さんからの電話ということは地域で何かイベントがあり、それに生物部が参加したということに違いない。そして、どういうつながりになったのか(一応は生物部の顧問になっているが)、区長さんは小林に電話しよう、と思われたのだろう。

私はすぐに「ああそうですか。それはご丁寧にありがとうございます」、続けて「ヘビを怖がられた方もおられたんじゃあありませんか」と返した。
すると「まー、多少はそういうこともありましたが」(やっぱりあったんだ。そりゃあそうだろう)、「若い人の元気さが溢れていて盛り上がりました」・・・ということだった。ヘビを首に巻かれたらそりゃあ誰だってテンションあがるだろー。(深い意味を考えなければ)盛り上がりもするだろう。

だけどとにかく区長さんは、正真正銘のお礼を言ってこられたのだ。かなり喜ばれたのだ。

もちろんヘビ以外の動物も(中には私がちょっともろ手を上げて喜べない珍しい外来種も)連れていかれただろうが、いろいろいっても生物部の部員たちの姿勢は立派だと思ったのだ。前向きで健やかなのだ。

私まで少しうれしくなったのだった。

私のイマソラ.厳密にはサッキソラ


インスタグラムのイマソラに共感する。

私は今日午後、ゼミ生のNくんと、昼過ぎに大学を出発して、ニホンモモンガの巣箱を設置しに行ってきた。ヒダリソラは出発前の大学の玄関で見たイマソラ。ミギソラは巣箱を木の上に設置して梯子を下っているとき見たイマソラだ。

巣箱の設置作業は、木の場所にもよるが、見た目より、あるいは話し口より、結構きつい。
息が切れる。脚がガクガクする。でもそんなことを八年間ほど続けてきた。特に最初のころは若さにもものをいわせて必死にやってきた。雨のなかでもやってきた。ニホンモモンガの習性を知りたいという気持ちゆえだ。

いろんなことがあり、いまもいろんなことが起こっている。
今日はニホンモモンガの調査をはじめたころのひたむきさを思い出し、イマソラになった。

2016/10/29

コハルはもういない



写真は、コハルが死ぬ5日前の写真だ。それから5日後、コハルは死んだ。1週間前のことだ。

急に体調が悪くなったことはブログに書けたのに、死んだことはなぜか書けなかった。

考えてみれば不思議な話だ。

コハルとは10年以上触れ合ってきた。
われわれは、生きている間に、さまざまな出来事を体験し、膨大な文章や映画のように、ノンフィクションドラマを脳の中に記録しながら生きている。その映像の中の一場面でコハルは、私を見ると近寄ってきて、ズボンに角の付け根をこすりつけてくる。角の付け根がかゆいからだ。私はそのままにさせておき、もう一本の角の付け根をかいてやる。

今という瞬間も刻まれている脳の中の記録が人生そのものなのに、いなくなるとどうして・・・。



2016/10/25

今、ゼミ室で起こっていること


先日から、ゼミ生のLINEに参加している。

日々、ゼミ生たちの活動の一端が垣間見れる。

目下のところ、話題は、ゼミ室の飼育容器から消えたシマヘビのことらしい。シマヘビが脱走したらしいのだ。どうも名前は「しまちゃん」というらしい(なんと安易なネーミング!)。

それは大変だ。早く見つけてやらないと「しまちゃん」が脱水で死んでしまう。
私が見つけてやろう。私ならできる!

そう思ってゼミ室へ行ったみたが、ゼミ室を見て思った。こりゃだめだ。




2016/10/23

この生き物は一体何物?!(動画あり)


この生物が一体何者かについては諸説ある。

ヤマネ、モモンガ、ロリス、ヒトカゲ、新種の哺乳類・・・。

いずれにしろこれだけ目が大きいということは多分夜行性だろう。
そして生活の中で穴を利用する動物だろう。

動画も添付しよう。
皆さんの推察を是非。


黒和牛のようなネコとホルシュタインのようなネコ




ゼミ生のHくんの卒業研究の下調べに、八頭郡のとある牧場に行った。

黒い和牛と、黒白が混じったホルシュタインがいたのだが、面白かったのは、黒和牛のような黒いネコと、ホルシュタインのような黒白が混じったネコもいたことだ。

さらに、木の向こうから、そーーーと顔を出すネコ(下の写真)や、人の目のような目をした牛など、Hくんと一緒に笑ってしまった。



ヤギ専用着物?いやいや、”貼れるホッカイロ”が付いた私の古着



「コハルが座ったままで震えている」というヤギ部のMさんからのLINEがあった。

私はこのところずっと心配していたコハルの状態に「これはただ事ではない」と思い、急いで大学まで行った。片手に”貼れるホッカイロ”と、反対の片手に私の紺色の古着(ジャケット)を持って。
途中、スーパーで白菜も買った。

コハルとは10年以上の付き合いだ。私なりにコハルのことは知っている。

白菜を食べさせ、ホッカイロを貼った古着を”着せて”やった(袖を腹に巻いて結べばちょっとしたヤギ専用の着物だ)。

しばらくすると小屋から外へ出てそれまでにはなかった力強い足取りで歩き出した。
他のヤギたちが「あんただけいいなーー」みたいな感じで近づいていた。

来年の春までは無理な気がする。

部員たちはホッカイロを貼りかえる当番まで決めて、懸命に回復させようとしている。奇跡が起こるかもしれない。

2016/10/22

鳥取に地震が.そのとき私は.


私が住む鳥取県で昨日、地震があった。

私は講義をしていた。揺れがだんだん大きくなり天井の電灯もきしむような音がしはじめたので、「机の下に入れ」と言った。半分ほどの学生が机の下に入った。

私も教壇の下に入ろうとしたら揺れがおさまってきた。



研究室へ戻ってみたら、電波受信器にとまらせていた、私のお気に入りの、金属の美しい蝶が床に倒れていた(上の写真)。


家に帰ってみると、私の部屋の、私のお気に入りの魚のオブジェがピカソの絵葉書の上で倒れていた(上の写真)。

私のお気に入りの動物たちが、部屋の皆を代表して倒れてくれたということだろうか。

PCを開いたら、ありがたいことにいろいろな人から心配するメールが届いていた。電話もあった。
メールの中には、この人、誰だったかなーと、思い出せない人もいた。

今後1週間は警戒態勢が必要だという。

何十年に一度くらい、来るか来ないかといった大きな災害に対してそれほど不安にならない心理を、動物行動学的、あるいは進化心理学的には「適応的楽観心理」と呼ぶ。狩猟採集の生活の中では、目前に感じるいろいろな潜在的危険要素全部に敏感に反応していたら精神的に衰弱してしまうから、適度に楽観的くらいが生存・繁殖には有利だった、という推察が根底にある。

でも現在は、人工的な危険も含め災害の予知の精度が科学によって桁違いに上昇し、かつ災害の規模も大きなものが増えてきた、という理由で、われわれは、いわば本能的「適応的楽観心理」を理性的に制御する必要があるのだろう。

それともう一つ感じるのは、災害への予防と、自然生態系を基盤に置いた持続可能な社会の構築は方向を一にするものだ、という認識である。


2016/10/18

講義室までついてきた黄色い蝶


今日、午後に生物学概論という授業があったので、教材をカゴに入れて渡り廊下を講義室に向かっていた。

するとどこからともなく黄色い蝶が舞い降りてきて、私が持っているカゴにとまった。

当然モンキチョウだと思ったのだが、翅に典型的な白い小点がないことと季節が季節だけに、私が知らない種類の蝶の可能性もあると思い写真を撮った。

カメラを向けると逃げるかと思ったがそんな様子もなく、結局、講義室までそのままカゴにくっついてやってきた。それが上の写真である。

講義中も蝶は、時おり翅をばたつかせはしたが飛び立つことはなく講義が終わるまでカゴにとまっていた。

そもそももう飛べないのかと思ったら、ほとんどの学生が講義室から出て行った後、それを待っていたかのようにぱっと飛び立ち周辺を飛びはじめた。




やがて、講義室のスクリーンに降り立ったので、私が両手をチューリップのように閉じて中に蝶を閉じ込め、そのまま外へ出て逃がしてやった。


逃がす前に顔をまじまじと見たら結構かわいい顔をしていた。

君の本当の正体は?
君の名は?



2016/10/16

モモンガの森のミニ地球 鹿児島へ行く


モモンガショップへ「モモンガの森のミニ地球」の注文が来た。

私が一生懸命作っていたものの中から一つを送った(上の写真は送ったものとは違います)。

そしたら今日、受付のメールサイトから次のような、ミニ地球を受け取られた方からのメッセージが転送されていた。

「昨日、ミニ地球が届きました。箱から取り出したら、ダンゴムシが元気いっぱいに葉っぱの上を歩いていました。思わず、「よく鹿児島まで来たねえ」と声をかけました。大事にしたいと思います・・・・」 

こういう出来事って、こういう気持ちって、今の世の中でとても大切じゃあないかな、ーーー と今さらながらに思うのである。


ちなみに、ダンゴムシはオカダンゴムシという世界中に広がっている種類なので、いわゆる国内外来種には該当しません。




大きな洞窟の中にコウモリが棲んでいる.これってとてもワクワクすることだろ.


上の写真は、先日行った洞窟の中から外を撮ったものだ。思わず入ってみたくなる素敵な洞窟だ。

そしてその洞窟の中に、コウモリたちが棲んでいるのだ(下の写真のコウモリはユビナガコウモリ)。

これって、ワクワクすることじゃない。
何度体験しても幸せを感じる瞬間だ。

ノーベル文学賞を受賞したボブディランの「風に吹かれて」の中の一文、「答えは風の中」はもちろん「答えは洞窟の中」も包含する一文なのだ。

霊長類ロリスのような●●●●


掃除のために、実験用の●●●●の飼育容器を開けて杉の丸太を引き上げたところ、三匹の●●●●がくっついていた。

哺乳類が好きな人なら眠っているロリスとかメガネザルを想起されるのではないだろうか。

コウモリにとっても本格的な冬眠の季節が近づいてきた。
冬眠中の洞窟性コウモリは観察がしやすい。視点が大切だ。アイデアが重要だ。コウモリたちの世界をより深く知るための発想が。

それはかれらの棲み処に立って感じて・・・・そんな時間に頭に舞い降りる出来事なのだ。
あー、冬よ。ほどほどに寒く、まーまー暖かく、雪は少なめ、降った後は快晴、甘さ控えめで切れがある、そんな冬が私は好きだ。(ウッソピョーーンホントウハサムイフユモアツイナツモキライダ)

ちなみに、最近(2015年)、ロリスの中に、冬眠する種(ピグミースローロリス)がいることが確認された。ますます上の写真がロリスに見えてくる。



2016/10/14

ミゾソバのピンクの花の中のアマガエル


昨日、ゼミ生のKさんと河川敷のカエルを採集しに行った。

ミゾソバのピンクの花の中のアマガエル、印象的だったな。

でもこの後このアマガエルは採捕され、大学に持ち帰られ、Kさんによって胃を反転させられるのだ(死ぬことはない。元の場所に返される)。

どんな大きさの何を食べているかが調べられ、河川敷でのカエルの生活、河川敷の生物の生きる場所としての重要性が明らかになるにちがいない。

ちなみに、写真の上のほうに写っている土手を、自転車に乗った青年が行くのがお分かりになるだろうか。

河川敷はなかなかカエルたちとヒトたちの人生だねー。

ニホンモモンガとの対話 その5

「おい、モンちゃん、中で何しているの? ちょっとだけでいいから出ておいで。」

「そんじゃあ、こんだけ」・・・・みたいな

2016/10/13

カラスの番の絆はこのようにして強められる


上の写真は、ハシボソガラスの番が、互いの絆を強めるときによく行う行動である。
左側のメスが、オスに対して、「ヒナが親に餌をねだる」ような動作をするのである。

親子の関係は、遺伝的なつながりのない番相手よりも生物学的には深い関係にある。その親子の間の絆を利用して、番の絆も強めようという戦略である。

このような戦略はカラス以外でも、いろいろな種の哺乳類や、その一種であるヒトでも使われる。
女性が、特に甘えるような声で”番オス”に何かを頼んだり、男性が”番メス”の頭を優しく撫でてあげたりする行動である。

だからどうした? と聞かれると困るのだが、われわれの年齢になると、こういう場面を見ると、人生の時の流れをしみじみと感じるのだ(特に深い意味は、・・・少しある)。

ちなみに写真のカラスは鳥取環境大学のキャンパスのカラスたちである。
寒くなりかけたこんな季節に・・・・そうですか。カラスたちも絆を保つことに努力しているのだ。

2016/10/10

海岸に集う海の蝶


今日、海に行ってみた。

上の写真はそこで出会った「海岸に集う海の蝶」である。

実際には蝶ではなくカメノテという種類の甲殻類(カニやエビの仲間)だ。外観が亀の手のように見えるからそう呼ばれる。
なにやら、セスジアカチョウとでも名付けたいような蝶が集まって塩分を吸っている光景に見える。


下の写真は、別な意味で蝶を思わせる美しい二枚貝だ。あなたならこの”蝶”にどんな名前をつけるだろうか。

ポケモンGOもいいがリアルモンGOはもっといい。


瞳孔の形についての研究、不十分だと思う.ヘビが嫌いな人は見ないほうがいいです。




昨日、大学の近くの日当たりのよい谷あいでマムシを見つけた。下の写真がそれである。もちろん捕まえたから写真が撮れたのだ。

顔(ヘビのだ)をまじまじと見ていたら、(いつも生物についてあふれんばかりの好奇心が実際あふれている)私の脳に一つの思いが湧いてきた。それが「瞳孔の形についての研究、不十分だ」というものだ。


ちなみに、よい機会なので申し上げておきたいのだが、私はヘビの研究者ではない。
ただし、「小型哺乳類によるヘビに対する防衛行動」をライフワーク的研究の一つだと思っている。学生時代に発見して10年近くかかわったシベリアシマリスの対ヘビ行動(その過程で10種類以上の小型哺乳類の対ヘビ行動を調べた)は私にとって、いろいろな意味で忘れられない研究だ。

確かに、勢い余ってヒトやヤギのヘビに対する行動も調べたことがある(やっぱりヘビが好きなのかも・・・・イヤイヤ、けっしてしてそんなことはない。先日もアオダイショウに鶏肉を手から与えていたらそのアオダイショウが何を思ったのか、鶏肉を飲み込み、そのあと、鶏肉から連続して続いていた私の手を飲み込もうとしはじめた。マジ冗談ではない)。

ヘビは人の脳に強い記憶を残すようで(脳内にはヘビの認知に専用の回路がある)、私がシベリアシマリスの対ヘビ行動の話をすると、それを聞いていた人は、後で、「ヘビの研究、面白かったです」などと言われる。シマリスの研究だろが!と心の中で叫ぶのである。

さて目の網膜に光を取り入れる取り入れ口「瞳孔」は、少なくとも哺乳類では、草食動物(たとえばヤギ)では横長で肉食動物(例えばネコ)では縦長であることが最近は大々的な研究でほぼ立証されている。草食動物では視野が広いほうが捕食者の発見が早くでき有利だというのが、まー、基本的な理由である。
一方、肉食の爬虫類に関しても同様な認識が定着しており、たいていの解説書でヘビの目の瞳孔は縦長と記されている。

でも、これはヘビを愛好する(私は違う)方なら常識だろうが、縦長の瞳孔のヘビもいるし、そうではない(円形とか楕円形など)ヘビもいる。

一番上の写真の写真のマムシの目を見ていただきたい。マムシはもちろん毒蛇である。
瞳孔はほとんど閉じているが明らかに縦長である。
一方、その下のヘビは、この写真の場面の後、私の手を飲み込もうとすることになるアオダイショウである。
瞳孔は?・・・・けっして縦長ではない。
マムシもアオダイショウも肉食で、どちらも昼間も夜も活動する。ちなみにガラガラヘビの瞳孔はマムシと同じく縦長である。
ヘビでは、ひょっとすると毒を使うかどうかが瞳孔の形に関係があるのかもしれない。

瞳孔の形についての研究、不十分だと思う.


2016/10/09

スナヤツメ・・・リアルモンGO


さて、今年も3か月ほど残すばかりとなり、クリスマスが音をたてて迫ってきた。

わたし的にはこれからの時期は、スナヤツメの成体が川をさかのぼりはじめる”スナヤツメ遡上の季節”である。

3年ほどの幼生の時期(下の写真は孵化後1年未満の、長さ4センチ程度の幼生である。水底の砂の中から出ることはなく、目も皮下に埋もれて見えない)を過ごして変態(魚なのに変態するのだ)を生き抜いて長さ20センチ近くなった成体が、来年の春の繁殖のために川を上り、小川に入り、産卵に適した水場を探すのだ。

冒頭の写真、7つの鰓と、本物のきりっとした目、銀色の体。
スナヤツメの成体が網に入ると私はその姿に畏敬の念さえ感じる。ツキノワグマの親子などとは異なる命の輝きがあるのだ。



ポケモンGOの次は、少しだけの装備(水に入る長靴やたも網)も必要だが、リアルモンとのふれあいGOしてはどうか。

新しい体験と出会えますよ。


2016/10/08

脳内の視覚領域の進化的適応を体験しよう(ブログをPCで見ないと体験できません)

次のようにしてください。

まず、下の4色が円を作る図の中央の+を約30秒間、じっと見つめて下さい。
その後、目をその下の白地の真ん中に+がある図の+をじっと見つめて下さい。そしたら何かが見えてくるはずです。











どうでしたか?

では次です。

下の向こうへと続く道に、黒い人間が立っている絵を見てください(その絵の下の絵はまだけっして見ないでください)。
そして後ろ(向こうのほう)に立っている人は手前に立っている人の約何倍か、予想してみてください。

予想したら今度は、一番下の絵を見て下さい。
何倍かわかりましたか。分かったでしょう。









「4色の丸の図形を見て白い場所を見たとき元の色と補色にあたる色がそこに見えてくる」という現象と「遠近の手前側と向こう側の人とで物差しで測れば同じなのに向こうにいる人のほうが大きく見える」という現象はどちらも”錯覚”と呼ばれますが、脳内の視覚領域の進化的適応という点から言うと、後者の現象は進化的に適応しており、前者の現象は進化的に適応していない、ということができます。

なぜ後者は適応しているのか?

考えてみてください。自分の前を通り過ぎて向こうへ遠ざかっていく人が、網膜上に物差しで測った大きさになると脳が認識したら、人の身長はやたらに大きくなったり小さくなったりすることになります。そうなったら外界はもうむちゃくちゃになります。
人の大きさに関する脳内の資格領域では、「向こうに遠ざかる人は、網膜上の物差し長さでは小さくなるのだけれど、実際の大きさは変わっているのではない(おなじ大きさである)」と認識するようにプログラムがあるのです。それがあって初めて我々は、日常の生活において”まとも”に外界が認知できるのです。プログラムがその働くと、向こうにいる人の網膜上の物差し長さが目の前の物差し長さと同じだとしたら、向こうにいる人はかなり大きい、という認識が生まれるのです。現実にそういう場面があったら、実際、向こうの人は巨人なのです。

前者の錯覚についてはそれが起こる理由は、長くなるのでここでは説明しませんが、こういう場合は、人本来の狩猟採集生活においてはありえないことなので、脳内にはそれを修正するようなプログラムはないのです。必要なかったからです。

なぜか今日は「です・ます」調になりました。
今日の話、うまく伝わったらよいのですが。






Mさんの逆襲






Mさんは、卒業研究でツキノワグマをテーマにしていたが(罠にかかった個体は見たことがあったが)、まだ一度も野生のツキノワグマを見たことがなかった。

実は私も自然の中のツキノワグマは見たことがなかった。だからときどき、「自然のツキノワグマ見たいね」と話していた。「クマ出没注意」という看板、あれは、われわれには、「クマがいるかもしれない。期待してね」と読めた。

ところが、3か月ほど前、ニホンモモンガの巣箱を設置しに行ったとき私は、ツキノワグマの立派な成獣を見た。感動した。そして大学に帰って数日後、Mさんに会ったので、「ツキノワグマを研究するのなら最低限、一度くらいは野生の個体と会うくらいのことは経験しておかないとね。まー、基本でしょ」と言っておいた。
Mさんは私の豹変ぶりに最初唖然としていたが、驚きと悔しさが入り混じったなんともいえない顔で立ちすくんでいた(人間不信になったかもしれない)。

昨日、Mさんが、最近追っているカワネズミでちょっとうれしいことがあったらしく、研究室で話をしていたら、帰り際に、ニヤッとして、「ツキノワグマの親子をみましたよ。やっぱり親子は違います」と言った。もちろん計算ずくだ。それから本当に研究室を去るまで、このセリフを5回は言った。6回だっ多かもしれない。

私は次は、何としても・・・・、何としても・・・・、もう、ツキノワグマと出会って、その体に触れるくらいのことを、あるいは親グマの前で子グマを抱き合かけて歩き回るくらいのことをしなければならないだろう。

自分が蒔いた種とはいえ、私は今追い詰められている。

2016/10/06

夏に変態したアカハライモリの幼体(マジ小さーーい)は今どうしてる?


アカハライモリの母親は春から初夏にかけて水中で産卵し、孵化した子どもは晩春から夏にかけて変態する(カエルで言えば、オタマジャクシが変態して子ガエルになる)。

さて、変態した子イモリは今どこにいて何を食べているのだろうか。

「ハイ、分かる人?」

上の写真を見ていただきたい。
かれらは、水場の近くの陸地の、石や枯葉の下にそっと身を潜めており、夜になると餌を求めて周辺を歩き回る。

体の格好は親と同じだが、とにかく小さーいーー。その小さい体でつぶらな瞳が、これまた可愛いーーー。

でも食べているものを聞いたら気持ちを変えるかもしれない。
土壌の中にいるトビムシやダニやワラジムシだ。糞を調べるとそういうことがわかるのだ。



どうか気持ちを変えないでいただきたい。
懸命に生きるとはそういうことなのだ。
ちなみに彼らは、水に入ることなく3~4年間の長い陸上生活を続け、成熟してからやっと水に入って繁殖活動をはじめる。
偶然見つかる場合は別として、意図して幼体を見つけることはとても大変だ。見つけた時は宝物でも発見した時のような感動があり、その小さな体に秘められた命と、これから生き抜いていかなければならない彼らの宿命に愛おしさがこみ上げる。

最近、心と体が弱っているので、今日もしみじみとまとめてみた。





夏に変態したアカハライモリの幼体は今どうしてる?


アカハライモリの母親は春から初夏にかけて水中で産卵し、孵化した子どもは晩春から夏にかけて変態する(カエルで言えば、オタマジャクシが変態して子ガエルになる)。

さて、変態した子イモリは今どこにいて何を食べているのだろうか。

「ハイ、分かる人?」

上の写真を見ていただきたい。
かれらは、水場の近くの陸地の、石や枯葉の下にそっと身を潜めており、夜になると餌を求めて周辺を歩き回る。

体の格好は親と同じだが、とにかく小さーいぞーー。その小さい体でつぶらな瞳が、これまた可愛いぞーーー。

でも食べているものを聞いたら気持ちを変えるかもしれない。
土壌の中にいるトビムシやダニやワラジムシだ。糞を調べるとそういうことがわかるのだ。



どうか気持ちを変えないでいただきたい。
懸命に生きるとはそういうことなのだ。


最近、心と体が弱っているので、今日もしみじみとまとめてみた。





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