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2017/11/09

水路の床から頑張って伸びてきたケヤキの子。それを切らなかった地域の人。いいね。


2017/10/06

カゴノキ(鹿子の木)の巨木! 鹿の子どもの背中の斑点に似ているところから付けられた名だ。


2017/03/02

今日、大学の森で見つけた不思議な木株:どんな人生(木生)を送ってきたのか、問いかける私だった。


2016/06/22

私の死亡宣告をはねのけて大輪を割かせたネムノキ


みなさんは上の写真を覚えておられるだろうか。4月16日のブログで私に、「16年間のネムノキ」と表され完全死亡宣告を受けたネムノキだ。

枝の先に命の兆しはなく、”緑”のニオイも全くなく、曲げればぽろぽろと折れた、どう見ても、死の世界におられる木だったのだ。

それがだ、一週間ほどたってから芽を出し!、あれよあれよという間に緑が木を被い、そして下の写真のような、絢爛たる大輪の渦をまき散らしながら立ったのである。

あーっ、哀しみと覚悟の名ブログ「16年間のネムノキ」はいったいどうなるのだろうか。



平成25年度卒業生諸君・・・ヒメイチゴノキは元気ですよ


鳥取環境大学25年度卒業生のみんなが残していってくれたヒメイチゴノキ、虫に食べられたり強風で枝が折れたりしながらも、我慢強く成長し、今日確認したら私の身長と同じくらいになっていた。

うれしいことに実をつけ、その実のそばの葉をミノムシに貸して、なかなか自然界にも貢献している。

「私が見守るから」と、このブログに書いてから、近くを通るときはいつも様子を見てきた。
卒業生のみんなもいろいろなことを経験して、進路変更したり、改めて道を模索したりしている人もいるだろうけど、経験した分は成長の糧になっていると信じよう。

私はここのところ、大きい失敗や小さい失敗、もう失敗の連続だ。

私がまだ若かったころ日本を代表する動物写真家だった(日本の動物写真家のパイオニアといってもいい)田中光常さんは、ある本で、「失敗、失敗、また失敗」と書かれていた。

当時の私は、よくこの言葉を思い出したものだ。

ヒメイチゴノキもそんなふうにしてゆっくりゆっくり大きくなってきたのだろうと思うのだ。
どうかみなさんも。




2016/04/18

十六年間のネムノキ


写真の木は、鳥取環境大学が創立された2001年に、キャンパス内に生えていたネムノキである。いや、正確に言えば「ネムノキだった」である。

今年になり、芽を出すのを待っていたのだが、結局芽を出さなかった。

枯れていたのだ。

当時(2001年)はまだ私の身長にも満たない幼木で、でもきれいな花を少しだけ咲かせて・・・、妙な愛着をもってそれからずっと見続けてきた。
ネムノキの寿命は短い(2030年)と言われるが、それでもちょっと早すぎるのだ。

写真では、夜の空にネムノキの白い気がのぼっているかのように見える。根元の草たちが見送っているかのように見える。

16年の付き合いを思い、私も今日の夜、見送ったのだ。

2016/01/01

コウモリは洞窟の中でなぜ体を寄せ合うのか?


明けましておめでとうございます。
本年はサル年です。皆さんにとって、よい一年でありますようにお祈りしています。

ところで皆さんは、サルコウモリというコウモリをご存じだろうか。
おそらくご存じないと思う。そういうコウモリは存在しないからだ(今後、絶対発見されないとは言えないが)。

上の写真は、私が昨年の終わりに(ゼミの学生たちの卒論の指導の合間を縫って)行ってきたキクガシラコウモリとユビナガコウモリ(両種は日本に実在する)が冬眠する洞窟で見つけたサルスベリ、ではなくムラサキシキブである(実際、両者の実はよく似ているのだ)。
洞窟の入り口で 暖冬のせいか、まだ鮮やかな紫色を表面にたたえたままで私を迎えてくれたのだ。野生の美、とでもいうのだろうか。凛とした美しさが目に染みたのである。

そしてその下の写真が、洞窟の入り口だ。どうですか、皆さんも心から中を見てみたい と思われるでしょう。

私はこの洞窟に、ある明確な目的をもってやって来た。
その目的の内容については今は言えない。
でもヒントくらいはまあいいだろう、と思うので、ヒントになる写真を下にお見せする。
けっして、コウモリ(ユビナガコウモリ)を串刺しにしているわけではない。

体を寄せ合ったコウモリたちの塊の内部の温度を計っているのだ。
写真を見て皆さんは思われるかもしれない。「内部は外より温度がかなり高いに違いない」と。
まー、流れからいうとそうだろう。

しかし、・・・・・結果はそうではないのだ!


その結果とは、そしてその結果がなぜ重要なのか、またお話しする日がくるだろう。

2015/11/03

ヒメイチゴの完成体


たびたび同じネタで恐縮だが、先日「TUES25年度卒業生の皆さんへの報告 ヒメイチゴのこと」と題した記事を書き、その中で、“実”の写真をご紹介した。

しかしそれから10日ほどして、その実は「完成体」ではないことがわかった。
 上の写真を見ていただきたい(左が10日ほど前。右が昨日)。

 “実”は鮮やかな真っ赤になった。
 ヒメイチゴ・・・・これがそうなのだ!

人生は長い、早々と物事について、そして自分の力などについて決めつけてはいけないのだ。
私にだってまだまだ隠れた力が眠っているかもしれない。なにも結果が現れなくても、時には後退ばかりしているように感じても、日々をそのとき可能なやり方で動き続けようと思うのである。

ひょっとしたらヒメイチゴの“実”は、もっと色を変えるかもしれない(水玉模様になったりして)。

そしたらまたご報告します。

2015/10/26

TUES25年度卒業の皆さんへの報告 ヒメイチゴのこと


 TUES25年度卒業の皆さんへ

 卒業して2年が過ぎようとしていますが、皆さんいかがお暮らしですか。
きっと、皆さんのうちの多くの人が激動の2年だったのではないかと拝察します。

 ある意味で、そういう時代なのです。
 
 ところで、皆さんが記念植樹していってくれたヒメイチゴノキ(卒業式の日に、“私が見守っていきますから”と言いました)が、はじめて“イチゴ”をつけました。

 ヒメイチゴの“イチゴ”、はじめて見ました。何故イチゴという名前がついているのかやっと分かったような気がします。

 日々、懸命に生きる皆さんに良いことがありますように!

2015/04/14

シダレザクラ改め、コゲラザクラ!?




 大学の中庭のシダレザクラが見事な花を咲かせた。
 見るからにシダレザクラーーーという感じだ(ドンナカンジジャ)。

 そして、先日、学生のIさんが、研究室を訪ねてくれて、私が「へーっ」と言う事実を教えてくれた。

 なんと、先にお話したシダレザクラの幹に、キツツキが巣をつくっている(!)というのだ。
 幹に開けられた入り口から出ていく鳥を何回か見た、というのだ。

 Iさんは、その鳥が幹の表面を嘴でたたくのも見ているらしく、鳥は“キツツキ”だと判断したのだろう。

 私は、Iさんの話や大学のシダレザクラに巣をつくったという状況等から考えて、キツツキの種類は「コガラ」だと判断した(後で私も観察してその推察が正しかったのを確認した)。

 大学キャンパスの中央のシダレザクラにコゲラが巣をつくった。
 すばらしい話ではないか。

 さて、大学内でのコゲラとの最初の出会いは、もう6年ほど前になる。
 コガラが私のゼミの教室に入ってきたのだ。やはり春だった。

 おーっ、キツツキが入ってきたか!助けてやって、ちょっと観察させてもらって、逃がししてやろう。
 学生たちと網をもってやさしく部屋の隅に移動させ、めでたく捕獲した。

 コゲラはとても愛らしく、足の構造とか(木の表面を移動しやすい特別な構造になっている)、嘴の形態、翼の構造など皆で見た後、Yくんが、ゼミ室の窓から放してやった。
 その瞬間をとらえたのが、下の写真である(連写など使っていない。瞬間の勝負だ。スバラシイ)。もちろん写真を撮ったのは、わ・た・し、である。

 そして今回、いよいよコゲラが校内の木、それもシダレザクラに巣をつくったというわけである(今、思いついたのだが、そのシダレザクラを、私は、コゲラザクラと呼ぶことにしよう)。

 あーっつ、これからの出来事が楽しみだ。


2015/03/24

コナラの赤ん坊と甲虫の幼虫とアカネズミと



今日は、早春の里山で出合う「アカネズミ」と「コナラ」と「甲虫の幼虫」の話をしたい。
 
 とは言っても、彼らの姿をガチで見るのではない。互いにつながり合ったその痕跡を見るのである。

 大学を囲む里山では、雪が溶けた地面のそこかしこに、アカネズミがコナラの堅果(ドングリ)を食べた痕跡が見つかる。中身を被っていた殻や、殻をむいたけれども、結局、食べなかった中身・・・そんなものが集まった痕跡(場所)である。

 下の写真は、ある痕跡(場所)の中で見つけた、「アカネズミ」と「コナラ」と「甲虫の幼虫」の密やかなつながりを示すコナラの赤ん坊である。

 皆さん、ご存じだっただろうか。コナラのドングリの中身というのは、コナラの赤ん坊の葉っぱ(子葉)だったことを。

 葉っぱの中に母親がくれた栄養がいっぱい詰まって半球になり、その半球状の二枚の葉っぱが合わさって、丸いドングリの中身になるのだ。
 アカネズミは、この栄養が詰め込まれた、この葉っぱを齧って食べるのだ。

写真の中で、半球状の葉っぱは開き、左右それぞれの葉を支える葉柄が出合うところに、新しい芽が出はじめている(*の矢印の先だ)。

そして葉っぱの真ん中には、内側が黒ずんだ穴が見える。
きっと、左右の葉っぱがまだ閉じて、丸いドングリだった頃、中身に産み付けられていた甲虫の卵から孵化した幼虫が、内側から葉っぱを食べていったのだろう。


やがて、成長した幼虫は、ドングリから外へ出るため、外へとつながる一本の道を掘っていき、めでたく#の矢印の先に開口した穴から外へ出ていったと思われる。
アカネズミがせっかく剥いたドングリの中身を食べなかったのは、中が虫に食べられていることを見抜いたからかもしれない。

 こんな動物や植物のつながりを、われわれは生態系と呼ぶ。(サイゴ、バッチリキマッタナ)

2015/03/10

センダンは実によい木だ 枝が早く伸びて、気持ちよい木陰を作ってくれるし、しゃれた干し竿としても実によく働いてくれる



私の家の(借家だが)庭には、隣の家との境界付近に、センダンの木がある。現在、高さが4mほどだが、枝が、水平に、どんどん伸びてくれる。
 それでいて、枝は、少しの力ですぐきっぱりと折れてくれる。太い枝でも、実に潔く折れてくれるのだ。

 隣の家の庭に枝が侵入してはいけないので、ときどき塀の上に登って枝を折るのだが、快く作業が進む。私は心の中で、「ありがとうね」と言いながら、ときには、かなり太くなった枝を(鋸も使いながら)折る。
 
 そういえば、妻は、枝が、家に伸びている電線に触れると、強風のとき電線が痛むかもしれないから枝を何とかして、と言う。
 そんなときも私は、センダンに、「妻が言うから許してね」という気持ちで、枝を折る。センダンの枝は何も言わず、快くパキッと折れて、落下していってくれる。手間がかからない(今、思ったのだが、妻にとって私は、センダンの枝のような状態なのかもしれない。「家に伸びている電線に触れると、強風のとき電線が痛むかもしれないから枝を何とかして」と言われれば、口応えせず、ハイハイと快く実行する。出勤時に「手紙を投函してきて」と言われれば、ハイハイと快く実行する・・・)。

 それだけではない。
 センダンの枝は、隣の家との境界から、こちら側の庭へと、(電線には引っかからないように)長ーーい、かつ、水平に広がった枝を伸ばしてくれているので、その下は、とても気持ちのよーーい木陰になる。
 実際、葉が茂った季節、私は、その木陰の下に椅子を置いて、読書に耽ることもある。

 そしてそして、葉が落ちているときも、センダンの木は大切な役目を果たしてくれる。
 それは、干し竿の役目だ。ただの干し竿ではない。見るからに、自然がおおらかに提供してくれる、とてもおしゃれな干し竿なのだ。
 私は、最初に、葉を落としたその枝を見たとき、何かを干したくて干したくて仕方なかった。

 上の写真は、先日、二人の学生と鳥取県の中部の山に行ったとき、学生に貸してあげたカッパを、センダンの枝に干したところである。
 雨が激しくなり、私がもっていたカッパを提供したのだ。
 土で汚れたカッパを、そのまま家にもってかえり、庭の水道で洗い、センダンの干し竿にお世話になったのだ。

 センダンの木よ、ありがとう!これからもよろしく。

私もセンダンの木の枝のようでありたい(宮沢賢治のような気分になってきた)。

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