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2016/05/23

イラストと”ひたむき”と



上の写真は私が描いたイラストである。

私は悲しいことがあったときや落ち込んだとき何かを描くことにしている。

あまり力を込めて描くことはできないが、描いているとひたむきだったころの気持ちが思い出されて、少し前向きになれるのだ。

やがて、なぜそんな特性が脳には備わっているのか考えはじめ、動物行動学の世界へと入っていくのだ。

もしこれを読んでいるあなたが若いホモサピエンス(大学生も含める)だったら、”ひたむきに”という言葉をかみしめていただきたい。イヤ、若くないホモサピエンスも。

いい言葉だよ。”ひたむきに”は。
そしてそれを続けることは難しいけどいいことだ。

以上、オヤスミ

2016/04/24

動物を描いた.満足


久しぶりに動物の絵を描いた(10分ほどの作業なので”描いた”とは言えないが)。

つたない絵に見えるかもしれないが、でも、私はとても満足している。

リアルに、写実的に描けと言われれば、いくらでも写実的にも描くことはできる。でも、その時代はとっくに終わったのだ。

写実の後は、「本質を」という時代だった。

そして今は、「本質を、そして健やかに」だ。

気持ちのうえで肩に力が入らず、素直に機嫌よく動物と向き合って描くのだ。
描けたものをみると自分の心(正確には”脳”)がどうだったか、わかる。

健やかに、健やかなハリネズミが描けた。まだこんなに素直になれる。とても満足だ。


2015/09/05

絵画と部族の言い伝え


今日は私が描いた絵を題材にしたい(これに似たセリフ、最近ブログで使ったような気がする)。

 絵が好きな方なら、この絵の構成がシャガールに似ているのでは、と感じられた方もおられるのではないだろうか。
 それは当たっている。私はシャガールが大好きなのだ。
 そしてこの絵には、ゴッホの要素も入っていることもわかっていただけるだろうか。ゴッホも私は大変好きなのだ。

 ゴッホは、当時台頭しつつあった印象派に大きな影響を受け、でも、その画作のなかに対象の骨格となる構造の弱さを感じ、独自の表現にたどり着いた・・・それが私の解釈だ。

 ゴッホは生きる意味、意義を問うて生きた人物で、生きる指針になる何かを(それはヒューマニティー:人類愛に近いものだった)求め続けた・・・と私は思っている。だから、反射する光だけで対象をとらえようとした印象派に物足りなさを感じ、確固たる構造を絵の中に持ち込みたかったのではないだろうか。

 動物行動学的に言えば、ホモサピエンスの脳は、ある幅の中で変異(個性と言ってもよいだろう)をもち、それぞれの脳の個性が、安定する認知を探して、脳内のさまざまな領域の組み合わせを試みながら表現する・・・・。
その宿命的な脳の性質が、いわゆる芸術の基盤となり、幾つかの芸術は、対象についての新しい認識を生み出していくのだろう。

 新しい認識!それが動物の生存繁殖に有利に働くことが多かったことは想像に難くない。
 レイヨウの習性を、光との関係、水との関係によって見出したハンターは、狩猟の成功率を上げることが多かっただろうし、その習性は、言い伝えとして比喩も使われながらその部族に伝承されただろう。
 そういった意味で、科学と芸術とは兄弟姉妹なのである。優れた科学者が優れた芸術家であることが多いのは(たとえばアインシュタインやコンラッドローレンツ)歴史が示している。


 さて、冒頭の私の絵を見てみよう。部族の言い伝えの表現のようには見えないだろうか。

2015/08/28

私が描いた動物とヒトの絵 その7



 久しぶりに私の描いた絵をネタにしたい。

 誰しもそんな気分になるときがあるのだ。つまりその、絵を描いたとき、絵に込めた気持ちを思い出したくなるようなときが。

 この絵には、世の中の不条理と、それに立ち向かおうとする思いが満ち溢れているではないか。

 動物たちの本質を黒の絵の具から白で削り取って現し、ヒトの、対象を見る姿勢を研ぎ澄ませようとする意志を現そうとしているのだ。

 私の大好きな画家の一人、ミロはあるとき、その躍動する筆さばきの秘密を聞かれ、こう言ったという。

「どの線も、ナイフのように鋭くなけらばならない」


 鋭く対象を捕らえなければならないのだ。

2015/08/04

もう一回、スナフキンのマグカップ



 先日、スナフキンのマグカップを買ったことをお話した(その話、読んでおられない方は読んでクラハイ)。


 マグカップを見ていたらスケッチがしたくなって、背景のいろんなものを含めて書いてみた。ほんとに何も考えないで自由に数分で描いた。上の絵だ。

 私は自分が描く絵が好きなのだけれど、絵を見ていると自分がどんな感じのホモサピエンスなのか、多少、分かってくる。それは成長とともに変化する。

 昔のホモサピエンスが壁画などの絵を描くのはいろんな意味があっただろう。その意味の一つは、記憶の中にある自分が好むイメージを、はっきりと外界の一角に現して、容易に見つめる快さを味わいたかった、ということではないだろうか。そして、そのイメージを、他のホモサピエンスにも見せたかったのではないだろうか。

 動物行動学の分野では、絵画も含めた芸術の機能として、「あるメッセージを他個体に、印象深く伝えること(make it special)」とか「自分の技術を異性に示して自分の価値、魅力をアピールすること」、「外界を分類、整理して脳内に記憶しやすくする」、「対象を、それまでにはなかった見方で示すことによって対象の操作に新しい(生存繁殖上の)有利さをもたらすこと」などがあげられている。

ちなみに3つ目の仮説は私の仮説である。それは、印象派からキュビズム、現代美術におけるさまざまな表現法の革新を見ていれば納得していただけるのではないだろうか。


 まー今はそんなことはどうでもいい。楽しかった。

2015/03/24

コウモリはどのようにして小●をするのか それは大型コウモリと小型コウモリとで違うのだ


 上の絵は、私が、ある雑誌に動物の話を連載したときに描いたイラストである。

 動物の話というのは、もう今から20年以上も前、友人から預かって面倒をみていたオオコウモリ(コウモリは、ごく大まかに分けると、熱帯周辺に多く生息している、顔がキツネのようなオオコウモリと、温帯を中心に生息している、外界認知に超音波を使う小型のコウモリになる)についてのドタバタの中に科学性が光る、面白くて勉強になる話である。

やがてその連載は、「ヒト、動物に会う コバヤシ教授の動物行動学」という本になった。面白がって勉強されたい方は是非読んでみよう・・・・と、ひとまず宣伝して気が済んだので、では、次の写真を見ていただきたい。

 写真の、丸太とタオルの間に橋をかけるように、あるいは平行棒での体操のように、腹筋を使って頑張って姿勢を保っている小型のコウモリ。
その名は・・・ユビナガコウモリである。
 研究のために飼育していた個体が見せてくれた一場面だ。

 基本的には下向きにぶら下がった格好のコウモリたちが、小●が顔にかかるのを避けるために、上の(イラストの)コウモリはちょっとした恥ずかしさを耐え、下の(写真の)コウモリは四肢と腹筋に力を入れて、けなげに頑張っているのだ。私は、頑張れ!という思いと、貴重な行動を見たという思いと、押さえきれないおかしさを感じつつ見守ったのである。

 コウモリたちは、哺乳類の基本姿勢に革命を起こす“逆さ姿勢”を発明したがゆえに、それを維持するための、隠れた努力も続けているのである。

 いい話ではないか。

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