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2015/10/21

カクレミノの流産


 よくない出来事だが、「流産」という現象がある。

 子宮内で、何らかの理由で発生が滞った胚を、母親の体が、それ以上の栄養を与えることをやめて、体外に出してしまう現象である。

 より多くの、繁殖まで育ちうる子どもを多く残すことが、進化の結果、生き残る必要条件だから、流産は、現在生き残っている哺乳類が共通してもつ体の組みなのだ。

 上の写真は、カクレミノだ。
 天狗が、ギザギザの形をした葉っぱを頭にのせて呪文を唱えると、姿が見えなくなることから、この名前(カクレミノ)がついた、と聞いたことがある。

 ところでこのカクレミノをご存知の方は、9月の中旬ごろから、カクレミノが、下の写真のような、熟していない実のようなものをたくさん地面に落とすのを知っておられるだろうか。

 これは、流産の植物版とでもいえる現象なのである。
 つまり、成長が思わしくない胚(めしべの中の子ども)に栄養を与えるのをやめ、切り捨てているのだ。その結果、力強く成長している胚が残るというわけだ。

生きるということは、死も含んだ営みなのだと私は思っている。


2015/10/08

やっぱりコウモリも七味唐辛子は辛いんだ!



 私は今、ユビナガコウモリというコウモリを対象に、七味唐辛子を使った実験を行っている。
 笑ってはいけない。「ユビナガコウモリはどれくらい視覚で物の認知をしているか」という、とても価値のある実験なのだ。

 私が考え付いた素晴らしい実験方法なので(発表までは)詳しく言えないが、目的は、「ユビナガコウモリはどれくらい“視覚で”物の認知をしているか?」という、おそらくこれまでだれも学術的に調べたことがない問題を探ることだ。

 実験では、ユビナガコウモリの学習を利用する!(専門家なら、この一文で実験のおおかたの形態を描き出すだろう。すでに私の実験はかなり進んでいる)。
 コウモリたちには餌として主に、ミールワームを与えているのだが(彼らはとても喜んでミールワームを食べる)、ある条件では、七味唐辛子をまぶしたミールワームが与えられる。そして、その条件が視覚刺激と結びついており、その視覚刺激が認知できれば、彼らは、その視覚刺激を嫌がるようになると予想されるのだ。
 
 ところで、実験に先立っては、「コウモリも七味唐辛子を、辛い!と感じるのかどうか」を確認しておく必要があった。
「そりゃあ、七味唐辛子はどんな動物だって辛いと感じるに決まっている」と思われるかもしれないが(私も、自分で実験に使う七味唐辛子をなめてみて、そう思った)、それは安易過ぎるというものだ。それは、悪い意味での「常識」に過ぎない。科学は常識から疑わなければならないのだ。確かめる必要がある。

 選ばれた個体は、コウちゃんと呼ばれている元気な雄だ。
 口先に、七味唐辛子をまぶしたミールワームを近づけると、なんとコウちゃんは、それにとびつき、もぐもぐと美味しそうに食べるではないか。
 私は、「コウモリでは、辛さを感じる受容体が発達していないのかもしれない。これもまた発見だ!」とワクワクしながら経過に注目した。
 はたして、しばらくするとコウちゃんは、急に首を激しくふりはじめ、ペッペッとばかりに、半分は食べてしまった“七味唐辛子をまぶしたミールワーム”を、唐辛子の粉とともに吐き出したのだ。

やっぱりコウモリも七味唐辛子は辛いんだ!

私はこれなら、やはり、実験に七味唐辛子が使える、と納得したのだった。
コウちゃんのその後?
大丈夫だ。コウちゃんはその後、体調を壊すこともなく、元気に実験に協力してくれている。

 もちろん実験が終わったらコウちゃんも、実験に協力してくれた他のコウモリたちも、ねぐらの洞窟へ戻してやる。最後の餌をあげてから“さよなら”するのだが、結構、寂しいのだ。

 

2015/10/01

「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」と「ヤギの呪い」


昨日の新聞記事で、「大リーグの名門カブスには、“ヤギの呪い”がかかっている、と言われている」ということを知った。1945年のワールドシリーズで、カブスファンの一人、サイアニス氏が、ペットのヤギをつれて、カブスの本拠地の球場に入ろうとしての係員に止められたのだそうだ。そしてそのとき氏が叫んだ。

「ヤギを入れるまでおまえ達はワールドシリーズで二度と勝てないだろう」

それから、名門カブスは優勝から遠ざかっているという。


上の写真を見ていただきたい。
記事を読んだとき私は思ったのだ。どうして(実際にはとてもナイスガイの)ヤギが、いったい、どうして呪いをかけるというのだ、と。


でもまー、なにかよくないことや悔しい結果が続くとき“○×の呪い”と言ったり、半分は心底そう感じたりすることはヒトにはよくあることだ。


日本でも、阪神が優勝から遠ざかって久しくなったとき、“(道頓堀に捨てられた)カーネルおじさんの呪い”というフレーズが誕生した。


さて、私がこの手の話で興味をもつのは、最近、アメリカのベリング・ジェシー氏が書いて、日本でも(少し)話題になった「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」(化学同人)のなかで主張された内容を思い出させてくれるからである。


氏の主張は、次のようなものである。


ヒト(ホモサピエンス)という動物で、他の動物と比べて特に発達している特性は、「他個体の心を読もうとする意欲と能力」である。


進化心理学とよばれる分野で提唱され、認知科学や脳科学も含めたさまざまな分野での実証的な研究の成果にも支持され、現在、その主張は広く認められる説になっている。


ベリング・ジェシー氏の主張は、その説を基盤にして、ヒトは「他人がどう思うか」という点にとても敏感で、その敏感さが、常に誰かの目を意識する心理につながり、その“誰か”を“神”として考えるようになった、というものである。
 「なぜヒトは宗教や神を感じるのか」についての理論や著述はたくさんあるが、ベリング・ジェシー氏の主張は、頭一つ、二つ、三つ、抜けているのである。


“ヤギの呪い”も“カーネルおじさんの呪い”も、自分(たち)に向けられた他個体の目を意識するがゆえに、生まれる心理だと私は思ったわけだ。もちろん、そのような命名のなかには、一種のお祭り騒ぎとして楽しもうという気持ちが含まれていることはあるだろうが、自分の心理を深く見つめてみると、心の片隅には、真剣にそれを信じてしまう自分もいることを我々は認めざるを得ない。

こういった難しいことも私は考えることがあるのだ。

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