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2017/06/24

人はなぜ頭部の毛だけが特に長いのか?仮説その1:霊長類では、それぞれの種で互いに違いをはっきりさせると顔の特徴を備えており、それによって同種認知が素早くできるようになっている(小林朋道著「通勤電車の人間行動学」より)


2017/04/09

みんな私が指さす空を見上げた。男子には見えた。女子には見えなかった。何が?なんで?

先日、1年生の学生たちと大学の屋上に上がった。

春の陽気の中でヒバリの声が聞こえた。でもヒバリは見えない。ヒバリの習性を知っていないと見つけられないのだ。
ヒバリは、自分たちの縄張りの宣言のため、空の高所で鳴いているのだ。
私が指さした先にはとても小さくにしか見えないが確かにヒバリが舞っていた。

われわれホモサピエンスでは、男性の目は「狩猟」に適応し、遠くを動く黒いものに敏感に反応する視細胞を網膜にたくさん持っている。一方、女性は、木の実の色や赤ん坊の肌の色の細かな違いや変化に反応する視細胞をもっている。

私は、その適応的生理特性が、屋上で現れたのだと推察し、悦に入ったのだ。

2017/02/11

人間万歳!


2017/01/16

何かを思い出しているときは体の向きと顔の向きと目の向きが一致しなくなる.それは自分の”内側”を探しているからだ.見よ、自分の”外側”に注目してる時のヤギの体と顔と目の方向の一致を!


何かを思い出すときは体の向きと顔の向きと目の向きが一致しなくなる.それは自分の”内側”を探しているからだ.見よ、自分の”外側”に注目してる時のヤギの体と顔と目の方向の一致を!

タイトルの繰り返しじゃないかって?

そうか、確かに。

なんでこうなったのかなー?
理由を思索している今の私の姿勢、これもやはり、写真の右の人物のような感じになっている。脳の内側を探しているからだ。

ちなみに、「体の向きと顔の向きと目の向きが一致していない状態」はサインの機能も果たしていて、相手に、この人は内省して考えているんだ、という情報を与えている。

今から20年以上も前に発表したこの現象と解釈を「小林の思い出し姿勢理論」という。
皆さんも実践してみ。「小林の思い出し姿勢理論」の深さを思い知るだろう。

では、なぜ「手で顔に触れる動作」も起こりやすいのか? とあなたは私に聞かれるだろうか。
いいところに気がつかれましたね。

「ヒトはなぜ拍手するのか 動物行動学から見た人間」(新潮社 2010)の中に、それも含めて詳しく書いています(ホンノセンデンミタイデスイマセン)。

2016/12/24

ヒトはなぜダイヤモンドなどの”光もの”に魅かれるのか? 自然界で光るもの、それはヒトの命に欠かせない「水」だから!?


上の写真は、JR鳥取駅の南口に立っている大国主のみこととウサギである。

でも、それはタイトルの内容には関係ない。「大国主のみこととウサギ」の代わりに「ガメラとギャオス」が立っていてもそれはそれでよい。

私は最近、毎日、通勤途中に、鳥取駅に10分ほど立ち寄って「野生生物としてのホモサピエンスとその動物がつくりだした生息地」を観察しながら歩くことにしている。

ヒトの動物行動学的研究についての新しい、そしてできれば斬新で画期的なアイデアと出会えないか、と思っているのだ。もちろん他力本願ではないが(自分の脳にまかせっきりではないが)、アイデアは、準備しているところに下りてくるのだ。

そういったアイデアとは違うが、上の写真のような光景に出会って、感じたのがタイトルの内容である。

ヒトはなぜダイヤモンドなどの”光もの”に魅かれるのか?(その要因の一つは) 自然界で光るもの、それはヒトの命に欠かせない「水」だから!?

つまり、「水」を、その輝きによって見つけ出し、そこへ到達した個体のほうが生存・繁殖に有利だった。
その脳の遺伝的特性が、”文明化した”時代においても変わらず残っている。
ちなみに、ハトや、孵化したウミガメは、水や、海の存在を、水面の輝きで見つけ出しているという有力な研究結果が報告されている。


2016/12/23

描かれた目の中に白い点があると、なぜ可愛いと感じるのか? 本来、ヒトの目の”黒目”の部分には白い点などないのに


先日、生物学概論かなにかの(なんといい加減な・・・)授業をしていて、動物の絵を描いた。

そのとき改めて思ったのだが、上の写真の左側の 「● ●」に関して、●の中に白い点があるとき(上)、とないとき(下)では、あるときのほうが圧倒的に可愛いと感じる傾向が強いのだ。

私は、すぐさまメモに書き留めて、授業後、その理由として即座に思い付いた仮説を検討してみた。

そう、赤ん坊の顔の写真をググったのである。上の写真の右側が「無料画像」の中にあったものである。

生きている、特に若い(幼い)ヒトの皮膚はみずみずしく、その作用もあって、目も光を反射し、その中に白い点(!)が見えるのだ。

そういうことだ。

ちなみに、こういった簡単なアイデアから、「意識という得体のしれないものの正体はなにか」といった、結構、歴史的に大きな問題まで、私が冴えた頭で(ここで笑ってはいけない。とくにそこの小林ゼミの学生!)、鋭く迫った本がいくつかある。
その中から敢えてお勧めするとしたら・・・・、

「ヒトはなぜ拍手するのか ― 動物行動学から見た人間」、「ヒトの脳にはクセがある ― 動物行動学的人間論」(いずれも新潮社)などかな。

どう、読んでみたくはなりません?

2016/06/25

Kさんからのお土産



倉敷への出張から帰って、大学に戻ってきたら(午後10時を過ぎていたが私は動物たちの世話のためにどんなに遅くなっても大学に寄らなければならないのだ)、研究室の入り口に可愛いお土産がおいてあった。

卒業生のKさんが海外へ行ったお土産と書いてあった。
うれしかった。

一方で、私が出張先の駅で受け取った号外が教えてくれたイギリスがEUを離脱。それは、フランスでもドイツでもオランダでも、移民の受け入れの拒否などの理由から、離脱を主張する極右翼集団が、さらに勢いを増す可能性がある。
アメリカでトランプ氏が支持される理由とも深く重なる。
マスコミで言われているように、それら一連の出来事には「怒り」の感情がかかわっている。

この現象も、前回のブログに書いた、ホモサピエンスの特性:「自分の生存・繁殖を望む意欲と、高い階層性で次のような様式の外界把握をする脳内の情報処理特性をもつからである。①いつ、どこで、何が、とうなっている。②~だから・・・になっている。③もし~なら・・・だろう」故に起こっていることだ。
この出来事がホモサピエンスの感情に強く起因する点で、上の仮説がその出来事の分析により威力を発揮する。

でも一方で、Kさんのような協調的な行為も、上の仮説が予測するホモサピエンスの行動によく合致しる。

EUからの離脱を望むホモサピエンスの思いも、動物行動学の視点からはよく理解できる。
怒りは、過度の不安によって増幅する。ホモサピエンスの脳は、実際の状態よりもより悪い予想をしてしまう(そして不安になる)という特性をもつ。そのほうが少なくともホモサピエンス史の大半をしめる自然の中での狩猟採集生活においては、生存・繁殖に有利だった。でも、近代、化石燃料などの大きなエネルギーを手に入れたホモサピエンスが、国を作って、そのような心理特性を働かせると、国同士の戦争、部族紛争などになりやすい。
それは、程度の差こそあれ、北朝鮮が取っている行為のもとにある心理と同質のものなのだ。


だから今こそ、そういったホモサピエンスの脳の作動特性を理解したうえで行動する必要があるのだ。、脳内の情報処理の階層性をしっかり上げたうえで(やはりホモサピエンスに特有な)思考を行う必要があるのだと思う。世界中が互いに影響しあう現代を鳥瞰すると、Kさんが示してくれた協調の心理のほうをより優先させるほうが、自分や子どもたちの生存・繁殖に有利なのだ。
それは、一つにはこれまでの世界の歴史が示しているではないか。

当事者のホモサピエンスがこれを読んだら、「お前は被害を受けない日本にいるからそう言うのだろう」と批判されるかもしれない。でも私がイギリスにいたら残留を選んだだろうし、アメリカにいたらトランプ氏を支持はしなかっただろう。

Kさんが示してくれた協調の心理は、苦労とともに、挫折とともに磨かれるものだろう。
もちろん私は、ホモサピエンスの心理特性の一つとしての「怒り」の重要性を決して否定しない。しかし、環境が複雑になった現代において、その「怒り」がどこからきて、どんな結果を招くかを階層性を高くして思索したうえでの発現でなければならないと思うのだ。

興味深い野生動物


昨日、岡山県の倉敷に仕事で行ってきた。
私は駅に集まって(好きで集まっているのではないことはわかっている)いろいろな行動をしているたくさんのホモサピエンスを見るのが好きだ。
私は(大変恐縮ながら)ホモサピエンスの方々を、とても興味深い野生動物として観察する。

おりしも、仕事の一つで、ある高校でホモサピエンスを含む数種の動物の行動について話し、ドトー●でコーヒーを飲みながら動物の行動についての原稿を書き・・・・そんな後だから余計に、駅のホモサピエンスが野生動物に見えたのかもしれない。

なぜホモサピエンスという動物は、こんなコンクリートの構造物や電車という道具をつくり、列を作り・・・・、ちょっと他の動物には見られない、ホモサピエンス独自の生態をもつのか。
細かいところだが、女性は男性に比べ、荷物を体の前側で持つ傾向があることにお気づきだろうか。

自分で質問して自分で答えるのもなんだが、私はその答えとなる仮説の基本をすでにもっている。それは:

「自分の生存・繁殖を望む意欲と、高い階層性で次のような様式の外界把握をする脳内の情報処理特性をもつからである。①いつ、どこで、何が、とうなっている。②~だから・・・になっている。③もし~なら・・・だろう」

基本的には、これらがあれば、写真のような光景は生まれうる。野生動物として特に変わった光景ではない。
詳しくは拙著「ヒトの脳にはクセがある 動物行動学的人間論」を読んでいただきたい。

このブログを見た方は、そんなものいちいち読んだりはしませんよね。そもそもこのブログ、”ページビュー”、低いだだろうなー。

ちなみに、この写真を撮ったあと、地元新聞の号外を受け取った。
「英、EU離脱」だった。
この出来事も上の”ホモサピエンスの特性”で分析できるのか、説明できるのか?
もちろん。





2016/05/23

イラストと”ひたむき”と



上の写真は私が描いたイラストである。

私は悲しいことがあったときや落ち込んだとき何かを描くことにしている。

あまり力を込めて描くことはできないが、描いているとひたむきだったころの気持ちが思い出されて、少し前向きになれるのだ。

やがて、なぜそんな特性が脳には備わっているのか考えはじめ、動物行動学の世界へと入っていくのだ。

もしこれを読んでいるあなたが若いホモサピエンス(大学生も含める)だったら、”ひたむきに”という言葉をかみしめていただきたい。イヤ、若くないホモサピエンスも。

いい言葉だよ。”ひたむきに”は。
そしてそれを続けることは難しいけどいいことだ。

以上、オヤスミ

感動は身近なところにある


上の写真は、昨日、大学から帰る途中、撮ったものである。

きれいな光景に、思わず車を止めてシャッターを切った。
実際には写真よりもずっとずっときれいだった。

美しい光景は、なにも遠くの遠くの土地に行かなくても、身近なところにあるのだ。
ワクワクする生物物語は、なにも遠くの遠くの土地に行かなくても、身近なところにあるのだ。

それを感じられるかどうか ・・・・ それがその人の深さの一面ではなのではないだろうか。





2016/05/04

花はなぜ美しいのか



少し硬い話だ。でもヒトについて理解を深めるためには重要な話だ。

以下の説は、4割は従来から(現在も)動物行動学者たちが言っていることであり、6割は私のオリジナルだ。

“美しい”という感情は、ヒトの脳が、対象をうまく把握した(何なのかがよく分かった)ときに生じる感覚である。そして、その対象が、自分の生存・繁殖にとって利益になる可能性があると思った(たいていは無意識に)ときその“美しさ”感情はより強く感じられる。

少し具体的に。

①色:
色の情報処理に重要な働きをする脳内の視床では、目から入った色の情報は青、緑、黄、赤(いわゆる4原色!)それぞれに一端まとめあげられ、大脳へと送られる。だから、原色だけ、あるいは原色の組み合わせ(真っ青な空、真っ赤な服、一面真黄色のヒマワリの花畑、黒い背景の中に浮き上がる鮮やかな赤や黄色や緑の花火・・・・)は美しい。
②空間や音:
対称やバランス、リズムといった秩序・規則あるものは美しい。
③行為:
一貫していること(一貫した信念に基づいたぶれない生き方、一貫した他人への援助、いわゆる美談、悪さえも一貫した秩序に貫かれているときは、悪の美学とも呼ばれる)は美しい。
③理論:
一見複雑そうな対象・現象をシンプルな原理や数式で見切ったとき、美しい理論、美しい数式などと呼ぶ。

そして、上のような「ヒトの脳が、対象をうまく把握した(何なのかがよく分かった)とき」に加え、「その対象が、自分の生存・繁殖にとって利益になる可能性があると思った(たいていは無意識に)ときその“美しさ”感情はより強く感じられる」。以下、具体例。

A 美談:
一貫して他人を助ける行為・・・それが自分に向けられたら、自分の生存・繁殖にとって利益になる可能性がある。

B 異性の外見(のみ):
たとえば顔のパーツの並びが、左右対称、バランス、黄金比などに合致し(以上、顔の把握がうまくいくこと)、かつ、若さや健康さの指標であるぱっちりした目、肌の張などがあれば(以上、そういった異性と番をつくれたら自分の繁殖に有利)、“美しさ”感情はより強く感じられる。  
   
C 茶道や華道における作法:
 順序なども重視され、秩序だった進行(以上、作法の把握がしやすい)に加え、相手への思いやりの心(それが向けられた自分にとしては生存・繁殖に有利と感じる)が込められた作法が美しいとされる。

 さて、そして「花」だ。
 原色、あるいは原色が組み合わさった色、秩序だった形状(対称、円、バランスなど)・・・以上が「把握がうまくいくこと」につながる」。そして、花があるということは、それはやがて、自分(ホモサピエンス)が食することができる実ができる可能性を示している、また、その地は自分の餌を育む豊かな土地であることを示す。
 だから我々ホモサピエンスは、花を、「美しい」と感じるのだ。

問題は、以上の「美しい」説をいかにして検証するか、ということだ。

ちなみに、美しさが「対象の把握の成功」だとすると、芸術は「対象についての新しい認識、あるいは、認識の向上」と捉えればよいと私は思っている。絵画芸術の進展を考えてみよう。・・・・印象派の出現・・・・キュビズム(立体主義)の出現・・・・!

さて、3月の山で私が出会った、揺れるモクレンの花(下の動画)を見ながら、美しさと芸術について考えてみたい気分。

この、揺れるモクレンの花について、「へーっ、こんな見方ができるのだ」という見方を提示できたら(俳句、短歌、詩、絵画、音楽・・・)、それは芸術だ。
「芸術は爆発だ!」と岡本太郎氏は言った。そう、芸術は爆発であり驚きだ!

(いつものことながら)何の話だっけ?



2016/05/03

海辺の住宅地のネコとカラス


上の写真は、今年の4月半ば、7鳥取港の近くの海辺の人家脇で見た光景だ。
ネコとカラスの、緩くて、でも何かしら緊張した距離感がいいではないか。
2匹ともいろんな記憶を背負って懸命に生きていることは確かだ。

私は森や海や里山や里海や、そして大都会が(結局どんなところでも)好きだ。さまざまな野生生物や里地生物、そしてホモサピエンスが見えるからだ。

大仰に聞こえるかもしれないが、私はそれらの生物を、進化の産物として見つめる。それぞれの形や動きの意味を問いながら見つめていると、どこでもとびっきりのフィールド地になるのだ。

いっぽうで私は、そんなフィールド地の生物を見ながら私自身の中に湧き起こる心理や感情にも目を向ける。自我のなせる業だ。私自身の脳も進化の産物なら、湧き起こる心理や感情もまた意味があるのだ。

日本では、最近、ネコがブームだ。もちろんさまざまな要因が重なり合ってその現象は生まれているのだろう。でもその要素の中に、進化の産物としてのホモサピエンスの脳に備わっている次のような性質が関係していることは確かだと思う。

・同種(ヒト)の幼児を可愛いと感じる性質
・適度に相手の心を読み取り、心を通わせることに快を感じる性質
・ヒト以外の動物の習性に関心をもつ性質
・生命の存在を身近に感じることに快を感じる性質

ここからは私の切なる思いだ。

ネコが好きなら分かっていただけると思う。自然の中で生きるさまざまな動物も、習性の差こそあれ、ネコと同じように懸命に生きている。地球の中で一番大切なのはもちろん人間だ。でもそのうえで、身近や、そして身遠な野生動物のことに、できる範囲で気を配り、可能な範囲で我慢することも大切なことであり、それは自分の幸せにつながることにもなるのだ。

ナンチャッテ、と言いたいところだが、今日は言いません。

2016/05/01

動物好き学生が集まった!トゲアリも集まった!


昨日、生物部の部長さんたち2年生が新入部員の1年生をつれて大学の北の林を散策した。私は顧問としてガイド役みたいなものを頼まれたので一緒に行った。

とてもよい天気で、部長さんのKaさん曰く「散策日和」だった。

1年生は20人ほどいて、ある場所で止まって、全員に「どんな動物が好きか」聞いてみた。そういうのって、聞くほう(私)はなんかうれしいよね。私はイヌが好きだけど、誰かがイヌを飼いたいのだけれどどんな種類がいいかなーなどと相談にくると、もうこっちが興奮して勝手にいろいろしゃべり、もう相談者は数時間は私のところから帰れない・・・・それと似たような感じ?

20人の若い動物好きを前にすると、「おーっ、おるわおるわ!」、 動物好きがおるわ! 圧巻である。一人一人の答えを聞いていくと、「君ら、ほんとうに動物が好きなんだねー。どーしてそんなことになったの」みたいな気分になる。 お前にだけは言われたくない!と言われそうだが、もちろん、そんなことは十分わかったうえで、もう共感で心が張り裂けそうなのだ。




アカハライモリや、今回は珍しくタゴガエル、森に仕掛けられた人工巣に定着したニホンミツバチ・・・・いろいろな動物たちに出会い、そして私にとって一番印象に残ったのは、Koさんが見つけたアリである。何匹ものアリが互いに集合して、つかむと納豆のようにみんなが塊になってくっついてくる。


私はこれまで、春先の大学の林での実習で、何度もこのアリたちを見ていた。そのつど学生たちはすげーと言いながら見入っていたが、私はそのアリの名前を知らなかった。
アリの種類の多さを考えると、ちょっと調べたくらいではわからないに違いないと思い、そのままずるずると、知らない状態が続いていたのだ。

でも今回の散策では、なにせ動物好きの集団だ。注目の仕方がちょっと違う。私も深くかかわらざるを得なかった。そしてそのアリたちとしっかり向き合ってみた。
誰かが「背中に棘ある」と言ったので(さすがに動物好きの集団だ。よく見ている)確かめてみたら、本当にそうだった。
背中に、先が二股になった棘のようなものがあった。へーーっ。




その後、みんなで、かれら(アリたち)は何をしているのか?とうやって互いに体をくっつけ合っているのか?などについて、アリに噛まれながら話をした。

個人的にとても興味を持ったのは、誰かが発見した(確か、シロクマが好きだと答えた男子学生だったと思う)、次のような事実だ。

なんとアリは、尻から糸を、糸を!出していたのだ。
ちなみに、後で、(今度は)アリの名前を調べてみたが、名前はそのすぐわかった。
トゲアリ・・・だ。そのまんまではないか。

そしてこのトゲアリは、日本に2種しかいないトゲアリの仲間の一種であることが分かり、かつ!、次のような習性もわかった。

トゲアリは、クロアリなどの巣を襲撃し、クロアリの女王の体のニオイを自分の体につけて、他のクロアリを操作するのだそうだ。つまり、他のアリの集団に寄生するということだ。

”塊”は、おそらく産卵をしていた場面だと推察される。

以上はネットと事典を調べて分かったことだが、でも、「尻から糸を出す」という習性の記述はどこにも見当たらなかった。新知見かも?

このようにして散策は続いていったのだが、イヤ、動物好きのホモサピエンスの、里山における行動も実に興味深かった。それについての話は、また別の機会に。



2015/11/07

窓枠を切り取った風景が美しいわけ


 上の写真は、最近、大学の建物の中から外を見て、きれいだなーと感じた風景を、窓の枠も入れ込んで撮ったものである。

 わたしは大学の中を移動するとき、いつも(会議の時間に遅れそうになって大変急いでいるようなときは別として)窓からの景色を眺めるのが習慣になっている。

 ところで、皆さんは、“枠”が付くと、風景も魅力を増すことを経験されたことはないだろうか。

 私はよくある。そして、その理由を考える。
今のところ、「手前と向こうの奥行きが強調されてできる“空間”という要素が美しさ感覚を増す」とか「たいていは外よりも暗い色の枠の存在によって、景色の色が、より鮮やかに感じられる」、「枠が風景全体に秩序の素を提供し、美しさ感覚を増す」といったことが頭に浮かんでいる。
 それは、写真を額縁に入れるとなにか素敵になることと同じだと思う。

 そして、その根本には、「我々の脳は、幾分複雑なものの中に秩序を見出したとき、つまり、対象をうまく把握したとき“美しさ”感を体験する」という私の持論があるのだ。

 動物にとって対象把握の成功は、生存や繁殖に有利であり、有利な体験をしたとき、快さ(その一つが“美しさ”感)を感じるのである。

 オモシロミノナイハナシデゴメンナサイ オヤスミナサイ

2015/11/04

涙が出ました


 私くらいの、内面が成長してない子どものような大人になると、誰かの一言で涙することもある。

 今、「先生、○×が▽□しています!」というシリーズ本の第10弾を書いているのだが、野生動物とふれあいとは別な、日々の生活の中でしんどいこともいろいろある(それは誰でもそうだろうが)。
 自分の意に反して行動しなければならない時もあれば、体や頭がだるくて仕事がつらい時もある。学生たちに、申し訳ないなーと思うときもしばしばある。

 一日の大学での仕事が終わって、何気なく、私の本へのレビュー(感想)を見ていたら、第9弾を読まれた方の一人が次のように書いて下さっていた。

「・・・1年で1冊しか出ないですが、毎年楽しみにしています。
・・・・・・・最後の最後に。体調があまりよろしくないというのが心配です(私が本の導入部にそんなふうなことをちょっと書いていたのだ)が、無理をせず、研究を続けていって下さい。本は楽しみですが、お体が大事です。お大事にしてください。」

 私は涙が出た。

 第10弾もコウモリやモモンガやヤギが登場し(ほかに、予定ではサカナやイヌやトチノキも)、コウモリの一般的な評判がいまいちよくない中で、これで本を読んで下さった人に「読んでよかった」と思ってもらえるかどうか真剣に迷い、書く力が弱まっていくのを感じつつあるこの頃だった。でも上のような感想を聞いて、元気が出た。

今日の夜、ちょっと頑張って書いてみよう、と思ったのだ。
そして本当に今から書こうと思う。

2015/10/16

「苦境に立った時どう切り抜けるか」2人のラガーマンの答え


 先日、日本中を沸かせたラグビー日本代表が凱旋した。

 NHKの番組のニュースウオッチ9は、ヘッドコ-チのエディー・ジョーンズ氏、リーダーのリーチ・マイケル氏、五郎丸氏の3人をスタジオに招いてインタビューをしていた。

 私が興味深く感じたのは、インタビューの中で、キャスターの「逆境に立ったときどのように克服するか教えてください」という質問に対するマイケル氏と五郎丸氏の答えの違いだった。

 簡単に(意訳して)言えば、マイケル氏は「その時よりもっと悪い時を想像し(それよりはましだ、と考えて)気持ちを切り替えて頑張る」、五郎丸氏は「どんなときでも、そのときできる100%を出して前に進む」という答えだった。ある意味で2つの答えは“対照的”と言えなくもない。

 私は、おそらく誰しも、その時の状態に応じて両者を使い分けているのだろうと思ったが(私もそうだ)、あえて問われたときに両氏が、それぞれ、そのように答えたところに、両者の性格が表れているような気がしたのだ。

 ちなみに、私は、リーチ・マイケル氏の人となりに、今まで以上に惹きつけられた。

2015/10/02

ズバリ!私の研究室


逃げも隠れもしない。これ(上の写真)が私の研究室の様子だ。

学長からは、(私の部屋は)散らかった部屋の教員の5本の指に入る、と言われている。でも、何人かの教員や事務の方々は、研究者のニオイがするわくわくする部屋ですね、と(どう考えても無理なお世辞とは思われない感じで)言われるのだ。

 今日も今年の4月に着任されて、はじめて私の研究室を訪ねられた先生が、「この雰囲気、いいですねー。いかにも研究者、という感じがして素敵です。私もこんな部屋にしたいです」と言われたのだ(私は涙が出そうになった)。

 そんなこともあって急に強気になり、今日は、ブログに写真まで載せた、というわけだ。

 でも・・・・私の部屋を褒めてくださる方たちは、この部屋ではときどきコウモリがはばたき、本当に極々とてもまれではあるけれども、ヘビが床を這うことをご存知だろうか。

・・・・・・。

2015/10/01

「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」と「ヤギの呪い」


昨日の新聞記事で、「大リーグの名門カブスには、“ヤギの呪い”がかかっている、と言われている」ということを知った。1945年のワールドシリーズで、カブスファンの一人、サイアニス氏が、ペットのヤギをつれて、カブスの本拠地の球場に入ろうとしての係員に止められたのだそうだ。そしてそのとき氏が叫んだ。

「ヤギを入れるまでおまえ達はワールドシリーズで二度と勝てないだろう」

それから、名門カブスは優勝から遠ざかっているという。


上の写真を見ていただきたい。
記事を読んだとき私は思ったのだ。どうして(実際にはとてもナイスガイの)ヤギが、いったい、どうして呪いをかけるというのだ、と。


でもまー、なにかよくないことや悔しい結果が続くとき“○×の呪い”と言ったり、半分は心底そう感じたりすることはヒトにはよくあることだ。


日本でも、阪神が優勝から遠ざかって久しくなったとき、“(道頓堀に捨てられた)カーネルおじさんの呪い”というフレーズが誕生した。


さて、私がこの手の話で興味をもつのは、最近、アメリカのベリング・ジェシー氏が書いて、日本でも(少し)話題になった「ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能」(化学同人)のなかで主張された内容を思い出させてくれるからである。


氏の主張は、次のようなものである。


ヒト(ホモサピエンス)という動物で、他の動物と比べて特に発達している特性は、「他個体の心を読もうとする意欲と能力」である。


進化心理学とよばれる分野で提唱され、認知科学や脳科学も含めたさまざまな分野での実証的な研究の成果にも支持され、現在、その主張は広く認められる説になっている。


ベリング・ジェシー氏の主張は、その説を基盤にして、ヒトは「他人がどう思うか」という点にとても敏感で、その敏感さが、常に誰かの目を意識する心理につながり、その“誰か”を“神”として考えるようになった、というものである。
 「なぜヒトは宗教や神を感じるのか」についての理論や著述はたくさんあるが、ベリング・ジェシー氏の主張は、頭一つ、二つ、三つ、抜けているのである。


“ヤギの呪い”も“カーネルおじさんの呪い”も、自分(たち)に向けられた他個体の目を意識するがゆえに、生まれる心理だと私は思ったわけだ。もちろん、そのような命名のなかには、一種のお祭り騒ぎとして楽しもうという気持ちが含まれていることはあるだろうが、自分の心理を深く見つめてみると、心の片隅には、真剣にそれを信じてしまう自分もいることを我々は認めざるを得ない。

こういった難しいことも私は考えることがあるのだ。

2015/09/16

私はお茶目・・・なんだろう。本質的に

先日、ある高等学校で、「野生生物の生息地の保全」について授業をしてきた。

 教室には、生徒さんと、顔を知っている先生お二方のほかに、はじめてお顔を拝見する女性の方が座っておられ私の話を聞いておられた。

 今、大きなニュースになっている鬼怒川の堤防決壊の話から入って、少し堅い話になった。

 授業が終わって、駐車場に向かっていると、“はじめてお顔を拝見する女性の方”がにこやかな表情で近寄ってこられて、「私は本校の図書館の司書をしていますが、先生の“先生シリーズ”を楽しみに読んでいます」と言われた。そして、そんな会話の中で、今日の授業は少し堅めで、本の中の語り口とちょと違っていましたが、「“ヒトの男性は言葉で求愛をするけれどアカハライモリの雄は化学物質で愛を語るんです”と言われたところに片鱗を感じました。これなんだ、と思いました」といった意味のことを言われた。

 私は、あー、やはり司書の方って言葉に繊細なんだ、本がお好きなんだ、と尊敬の念をもち、同時に、私の持ち味、私らしさを生かして、生徒の心に学習内容を響かせる、という私本来のスタイルを思い出させていただいた気がした。

 また、そんなことを考えながら帰りの車を運転していると、もう5,6年も前に、ゼミの、ある女性の学生が、盲腸の手術から退院した私の研究室に、ケーキとメッセージを届けてくれたのを思い出した。
 あいにく私は研究室にはおらず、ドアの取っ手に手提げ袋に入れてかけてあった。

 走り書きしたメッセージには、「退院おめでとうございます。また、いつものお茶目な先生でいてください」と書かれてあった。

 そういえば、盲腸で入院するころは、いろいろ仕事などのストレスで、いつも眉間に皺をよせた堅い表情をしていたと思う。その学生は、それも気にかけてくれていたのだと思った。

 そんな出来事も思い出しながら、車の中で、「いろんなところから、いろんな人からいろいろと言われるけれども、私は私のやり方で、こつこつとやればいいのだ」と思ったのだった。
すると、今、ささやかな実験をやっている「コウモリの視覚はどれほどの識別能力があるのか」という画期的な(さっき“ささやか”っていただろうが。ドッチナンジャ)研究に参加してもらっているコウモリの愛くるしくてよく怒る顔が目に浮かんだ。あいつら今どうしているだろうか。

車の左側には、気持ちのよい日本海が広がっていた(ちょっとカッコツケテ書いてみました)。

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