2016/06/30

コピーカードは語る


今日、コピー室に行くと、それがどなたかのだかはわからないが、上の写真の下側のカードが忘れられていた(私は、自分のカードを上において写真を撮ったのだ)。

写真の中の二つのカードは、いずれも、コピー機を使うときに必要なカードだ。だから大きさもデザインも同じだ。

でも二つで決定的に異なっているところがある。

一方には、教材用と書かれた青色のラベルの下に、「小林朋」と書かれた白いテープが貼ってある。他方のほうにはそれがない。

そうなのだ!
「小林朋」と書かれた白いテープが貼ってあるカードのほうは、小林朋・・さんのカードで、この先生は何度も何度も何度もカードをコピー室に忘れ、それが事務に届けられるので、ジムの方が、「小林朋」と名前を書いたテープを貼られたのだ。
ぴかぴかの小学校1年生が入学のときに、上履きやランドセルに「●●ちゃん、忘れたときのためにね」といったふうに名前をつけるのと同じだ。

かたや、もう一つのカードの先生はしっかりされており、忘れること等ないので、事務の方も名前を貼る必要も機会もなかったということだ(今回だけはコピー室に忘れられていたが)。

私はこの事務の方の判断は実に的確だと思うし、この名前テープのおかげで、カードをコピー室で見つけられた方が何度、私の研究室に直接持ってきてくださったか。

この状況は、なんと言いうのか、ある意味、学内の教員同士のよりよいコミュニケーションを生み出している・・・・と言えなくもない。

2016/06/29

ミニ地球の中のダンゴムシに見守られながら



上の写真は、ミニ地球の中で、コケの頂上に上って葉を食べているダンゴムシである。

私の机の横は下のような状態になっており(PCのディスプレーの前にある1万円札は・・・今、気が付いた)、その一角に(下の写真では左下)ミニ地球が存在している。

私が部屋に帰ってきてデスクワークをはじめると、ダンゴムシもコケの下界から出てきて私に姿を見せる・・・そんなふうに思えて仕方ないのだ。

ダンゴムシとヤギとホンジュラスの土着の神に見守られながら、私は苦手とするデスクワークを何とかやり遂げるのである(やり遂げられない時もあるけど)。



2016/06/28

ガラスコップの表面を削って絵を描く


先日、学生から教えてもらった、ガラスコップの表面をミニグラインダーで削って絵を描く図工的作業をやってみた。

サインも入れて(下の写真)、出来上がり。



はまりそう。

皆さんもいかが?

先生シリーズ10巻目の豆本




今日、上の写真のような、私の「先生、○△しています!」シリーズの10巻目を記念した豆本が、読者の方から届いた。

これは手間暇かけて作られたに違いない。
本の右上には、1ページ毎に、「おめでとうございます」(ちょうど10字)の1字ずつが記されており、よくできているなー、と思ったのだ。

大切にしよう。

ウシたちが昆虫を守る?



昨日、ゼミ生のHくんと、山の斜面に放牧されているウシの群れを見てきた。
ウシが大好きなHくんが、かれらの社会性について卒業研究で調べるのだ。

ウシたちは、なかなかの迫力で、隔てる柵がないところから睨まれると、ちょっと怖くなる。
私は、子どものとき、近所の家で飼われていたウシが逃げ出し、追いかけられた経験がある。

ウシについてのHくんの研究成果はおいおいにお話しするとして、今回は新鮮な発見が2つあった。

一つは、「ウシが放牧されている斜面一帯は、ウシたちが適度に採食するものだから、広い草原にになっており、近年、行き場を失いつつあるバッタをはじめとした昆虫類の格好の生息地になっていた」ということだ。バッタなどはそういう場所でなければ生きられないのだ。
ウシたちが、かれらの生息地を創出していることになる。



もう一つは、「放牧地の斜面で、ぽつぽつと、丈が長い状態で、ウシに食べられずに残っている植物があって、それらすべてに共通した特徴は、棘(!)をもっていた」ということだ。
グミやサンショ、カラスザンショ、ノイバラ、サルトリイバラだ。ちなみにタケ「類は、地下茎でしぶとく生き抜いていた。
植物たちの防御策が見事に効果を発揮していることがリアルに見えた。



上は、群れをつくって休息場所に移動しているウシたちだ。
さて、Hくんの研究から一体、どんなことがわかるのだろうか。楽しみだ。
                                  


2016/06/27

ヤドカリは他のヤドカリをかきわけて・・・


先日、ゼミ生のMくんと、Mくんが卒業研究の対象にしているホンヤドカリの行動の観察と、採集のために浦富海岸に行ってきた。

潮だまりにはたくさんのホンヤドカリがいて、忙しそうに動き回っている。
とてもきれいな貝(例えば上の写真のような)を背負っているヤドカリもいれば、・・・・そうでないヤドカリもいる。

まー、それはそれとして、私は、ヤドカリは、たえず自分の体にぴったりの(ちょうどの大きさで、軽くて丈夫な)貝殻を探している(か、餌を食べている)というイメージだったのだが、今回、ちょっと別な発見をした。

もちろんヤドカリは、自分の本体を守るために貝殻を背負う(その中に入る)のだが、自分の身を守るために重要な、別の観点からの戦略があったのだ。

それは、浅い潮だまりでは、鳥やコバヤシに捕獲されないために、「底の窪地の奥へ入っていき、他のヤドカリの下に隠れる」ということだ。
そりゃあ、下に隠れているほうが安全だよな。浅い潮だまりのヤドカリたちは、他のヤドカリの下へ潜ろう潜ろうとしていた。

その行動を撮ったのが下の動画だ。

快晴、ちょうどいい気温で、波の音を聞きながら、いい一日だった。





2016/06/26

クーちゃん、念願の新居へ移る


皆さん、覚えておいでだろうか?  私から見れば「クーちゃん、どうしたの」と言ってしまうような、へんてこな貝殻に入って、砂に潜るときなど結構苦しそうな様子で暮らしていたクーちゃんのことを(上の写真である)。

そのクーちゃんがやっと今日、ヤドカリとして”普通”の貝殻に移ることができた(下の写真である)。

でもクーちゃん、どうしてもっと早く、”まともな”貝殻に引越ししなかったの?
もう少し、自分を大切にしなきゃいけないよ。

なになに、・・・・、お前がもっと早く引越しできる貝殻を水槽に入れてくれなかったからだろが。

ごもっとも!!



2016/06/25

Kさんからのお土産



倉敷への出張から帰って、大学に戻ってきたら(午後10時を過ぎていたが私は動物たちの世話のためにどんなに遅くなっても大学に寄らなければならないのだ)、研究室の入り口に可愛いお土産がおいてあった。

卒業生のKさんが海外へ行ったお土産と書いてあった。
うれしかった。

一方で、私が出張先の駅で受け取った号外が教えてくれたイギリスがEUを離脱。それは、フランスでもドイツでもオランダでも、移民の受け入れの拒否などの理由から、離脱を主張する極右翼集団が、さらに勢いを増す可能性がある。
アメリカでトランプ氏が支持される理由とも深く重なる。
マスコミで言われているように、それら一連の出来事には「怒り」の感情がかかわっている。

この現象も、前回のブログに書いた、ホモサピエンスの特性:「自分の生存・繁殖を望む意欲と、高い階層性で次のような様式の外界把握をする脳内の情報処理特性をもつからである。①いつ、どこで、何が、とうなっている。②~だから・・・になっている。③もし~なら・・・だろう」故に起こっていることだ。
この出来事がホモサピエンスの感情に強く起因する点で、上の仮説がその出来事の分析により威力を発揮する。

でも一方で、Kさんのような協調的な行為も、上の仮説が予測するホモサピエンスの行動によく合致しる。

EUからの離脱を望むホモサピエンスの思いも、動物行動学の視点からはよく理解できる。
怒りは、過度の不安によって増幅する。ホモサピエンスの脳は、実際の状態よりもより悪い予想をしてしまう(そして不安になる)という特性をもつ。そのほうが少なくともホモサピエンス史の大半をしめる自然の中での狩猟採集生活においては、生存・繁殖に有利だった。でも、近代、化石燃料などの大きなエネルギーを手に入れたホモサピエンスが、国を作って、そのような心理特性を働かせると、国同士の戦争、部族紛争などになりやすい。
それは、程度の差こそあれ、北朝鮮が取っている行為のもとにある心理と同質のものなのだ。


だから今こそ、そういったホモサピエンスの脳の作動特性を理解したうえで行動する必要があるのだ。、脳内の情報処理の階層性をしっかり上げたうえで(やはりホモサピエンスに特有な)思考を行う必要があるのだと思う。世界中が互いに影響しあう現代を鳥瞰すると、Kさんが示してくれた協調の心理のほうをより優先させるほうが、自分や子どもたちの生存・繁殖に有利なのだ。
それは、一つにはこれまでの世界の歴史が示しているではないか。

当事者のホモサピエンスがこれを読んだら、「お前は被害を受けない日本にいるからそう言うのだろう」と批判されるかもしれない。でも私がイギリスにいたら残留を選んだだろうし、アメリカにいたらトランプ氏を支持はしなかっただろう。

Kさんが示してくれた協調の心理は、苦労とともに、挫折とともに磨かれるものだろう。
もちろん私は、ホモサピエンスの心理特性の一つとしての「怒り」の重要性を決して否定しない。しかし、環境が複雑になった現代において、その「怒り」がどこからきて、どんな結果を招くかを階層性を高くして思索したうえでの発現でなければならないと思うのだ。

興味深い野生動物


昨日、岡山県の倉敷に仕事で行ってきた。
私は駅に集まって(好きで集まっているのではないことはわかっている)いろいろな行動をしているたくさんのホモサピエンスを見るのが好きだ。
私は(大変恐縮ながら)ホモサピエンスの方々を、とても興味深い野生動物として観察する。

おりしも、仕事の一つで、ある高校でホモサピエンスを含む数種の動物の行動について話し、ドトー●でコーヒーを飲みながら動物の行動についての原稿を書き・・・・そんな後だから余計に、駅のホモサピエンスが野生動物に見えたのかもしれない。

なぜホモサピエンスという動物は、こんなコンクリートの構造物や電車という道具をつくり、列を作り・・・・、ちょっと他の動物には見られない、ホモサピエンス独自の生態をもつのか。
細かいところだが、女性は男性に比べ、荷物を体の前側で持つ傾向があることにお気づきだろうか。

自分で質問して自分で答えるのもなんだが、私はその答えとなる仮説の基本をすでにもっている。それは:

「自分の生存・繁殖を望む意欲と、高い階層性で次のような様式の外界把握をする脳内の情報処理特性をもつからである。①いつ、どこで、何が、とうなっている。②~だから・・・になっている。③もし~なら・・・だろう」

基本的には、これらがあれば、写真のような光景は生まれうる。野生動物として特に変わった光景ではない。
詳しくは拙著「ヒトの脳にはクセがある 動物行動学的人間論」を読んでいただきたい。

このブログを見た方は、そんなものいちいち読んだりはしませんよね。そもそもこのブログ、”ページビュー”、低いだだろうなー。

ちなみに、この写真を撮ったあと、地元新聞の号外を受け取った。
「英、EU離脱」だった。
この出来事も上の”ホモサピエンスの特性”で分析できるのか、説明できるのか?
もちろん。





2016/06/23

内弁慶な子ヤギたち


先日、ヤギ部が、市内のとある中学校の敷地の除草を依頼された。

今回の除草に選ばれたのは、3歳半の母ヤギメイとその娘2頭である。

出発は快調だった。
見よ。ヤギたちと一緒に軽トラの荷台に乗り込んだTさんの充実した笑顔を。

しかし、中学校について、小屋や柵の準備、そしてヤギたちの放牧まで順調に進んだその後、順調さはもろくも崩れ去った。

夜、電話がかかってた。ヤギたちがメーメー鳴いて近所にいろいろな迷惑をかけているらしいのだ。

私も行って、ヤギたちを諭し、大丈夫だからと説得したのだがまったく効果はなかった。
結局、次の日、ヤギ母娘は大学に連れて帰られることになった。

君らのようなヤギは見たことないわ!
でも、まー、しゃあない。道路を走る車や近くの明かりがどうしようもなく不安をかきたてたのだろう。

ところが、大学の放牧地に帰ってきた子ヤギたちは、下の動画のように、まー、すっかりリラックスして。

君らのようなヤギを内弁慶子ヤギというのだ。
君らのようなヤギ、見たことないわ!

2016/06/22

私の死亡宣告をはねのけて大輪を割かせたネムノキ


みなさんは上の写真を覚えておられるだろうか。4月16日のブログで私に、「16年間のネムノキ」と表され完全死亡宣告を受けたネムノキだ。

枝の先に命の兆しはなく、”緑”のニオイも全くなく、曲げればぽろぽろと折れた、どう見ても、死の世界におられる木だったのだ。

それがだ、一週間ほどたってから芽を出し!、あれよあれよという間に緑が木を被い、そして下の写真のような、絢爛たる大輪の渦をまき散らしながら立ったのである。

あーっ、哀しみと覚悟の名ブログ「16年間のネムノキ」はいったいどうなるのだろうか。



平成25年度卒業生諸君・・・ヒメイチゴノキは元気ですよ


鳥取環境大学25年度卒業生のみんなが残していってくれたヒメイチゴノキ、虫に食べられたり強風で枝が折れたりしながらも、我慢強く成長し、今日確認したら私の身長と同じくらいになっていた。

うれしいことに実をつけ、その実のそばの葉をミノムシに貸して、なかなか自然界にも貢献している。

「私が見守るから」と、このブログに書いてから、近くを通るときはいつも様子を見てきた。
卒業生のみんなもいろいろなことを経験して、進路変更したり、改めて道を模索したりしている人もいるだろうけど、経験した分は成長の糧になっていると信じよう。

私はここのところ、大きい失敗や小さい失敗、もう失敗の連続だ。

私がまだ若かったころ日本を代表する動物写真家だった(日本の動物写真家のパイオニアといってもいい)田中光常さんは、ある本で、「失敗、失敗、また失敗」と書かれていた。

当時の私は、よくこの言葉を思い出したものだ。

ヒメイチゴノキもそんなふうにしてゆっくりゆっくり大きくなってきたのだろうと思うのだ。
どうかみなさんも。




2016/06/18

ヤギにもてて、もてて


ヤギたちが私めがけて走ってくる。

確かに私は動物に好かれるタイプだと思う。イヌやアナグマやキツネやテヌキに。

下の動画も見ていただきたい。

でも、これには訳がある。必ずしも、私と触れ合いたくて大急ぎでこっちにやって来ているというわけでもないのだ。そういう個体もいるかもしれないが。
その訳はまた今度。




フクロウは飛んでいった。写真が撮れなかった。私は落ち込んだ。


今日のブログはちょっと長くなる。
私のなんとも悔しい思いがそうさせるのだ。

皆さんは、「モモンガの餌を取ろうとして杉の木に上って後ろを振り返ったら、大きな白いフクロウがほんの数メートル向こうの木にとまっていてお互いにじっと見つめ合った」という経験がおありだろうか。

私は、・・・・ある。
2日前の朝の、大学林でのことである。

ニホンモモンガの餌であるスギの葉(大学のキャンパスの林のなかでスギの木は一本しかないのだ)を取ろうと、梯子をかけて上り、枝ごと葉を取ろうとしていた。

そのとき何やら後ろで動物の気配を感じ振り返った。そしたら何と、フクロウが数メートルほどしか離れていないカクレミノの枝にちょこんととまっているではないか。私の目線とほぼ同じ高さでいやがおうにも目線がばっちり合った。
びっくりして梯子から落ちそうになった(地上から6mはある。危なかった)。

フクロウは巣立ちして間もない幼鳥らしかった(幼鳥は羽毛が白く、それが膨らんでいる分、成鳥より大きく見えるのだ)。

こんなドアップで、かつこんな愛くるしいい野生味たっぷりのフクロウを見たことは生まれて初めてだった。

私は落ちそうになった身を立て直しポシェットからカメラを取り出し写真を撮ろうとした。そしたらその動きに反応したのか、フクロウは大きく翼を広げ飛翔して私の視界から消えていった。

私は何か夢でも見ているような気がした。感動と同時に、写真が撮れなかったことが悔しくて杉の葉の採集はそいこそこに地面に降り、フクロウが飛んで行ったほうへふらふらと歩いていった。
そしたら、なんと、フクロウが、木の上にとまっているではないか。私の顔は再び輝いた。

今度こそ写真を・・・・と思い、決して目を合わせないように、動きも最小限にしてポシェットに手を伸ばしてカメラを取り出した。
すると、フクロウは再び飛んだのだ。

樹冠の隙間から神々しくとんでいくフクロウのシルエットが見えた。

2度のチャンスを逃すとは、・・・・私はそこにベットがあったら間違いなく寝込んだいただろう。
しかし、そのあと、ある考えが私の頭上に舞い降りてきた。

そうだ以前にも何度かこのあたりでフクロウの声を聞いたことがある。つまりここら一帯はフクロウの森なのだ。繁殖も行われているのだ。
じゃあ、ここを「環境大のフクロウの森」と命名してときどき訪れよう(どうせモモンガの餌の杉を間取りに来るし)。
そう思うとなにやら心が晴れてくるような気がした。

環大のフクロウの森・・・・私の脳の中には、あの白い大きなフクロウがいつでもそこにいる。なかなかいいではないか(下の写真がその森である)。
ちなみに、フクロウの森の前にある開けた土地は、以前、環境大の伝説のヤギ「ヤギコ」が育った場所である。伝説のヤギと伝説の鳥カムイ・・・・あーっ、ロマンだ。

でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・悔しい。

2016/06/17

個性豊かなモモンガ

バナナを食べるニホンモモンガ

ゼミ生のOさんは、ニホンモモンガの巣内環境嗜好性について調べている。

実験は野外の大きなケージで行うのだが、写真のモモンガは実験の出番を、実験室のケージ内で待っている個体だ(Oさんの準備が遅くてモモンガの出番が遅れているのだ)。

下の動画のモモンガは、モモンガの中ではかなり変わった個体である。通常、モモンガはとてもとても警戒心が強く、少なくとも実験室内のケージのモモンガは、人がいる前で、巣箱から外に出てきたりは、まず、しない。

動画の中のモモンガは、私がいる前で堂々と巣箱から出てきて、それどころか、私がケージの中に手を入れても巣箱に逃げ込もうとさえしない。私の手のニオイを嗅ぎに来るのを見たときには私は心底驚いた。

同じニホンモモンガでも性格は実にさまざまだ。
スギの葉や樹皮しか(あとわずかにカシ類などの葉)食べないモモンガ。バナナが大好きなモモンガ。ヒマワリの実が好みのモモンガ・・・・。

実は最近、毛の色が(他の個体とは明らかに違って)黄金色で、体つきが一回り大きいモモンガに出会った。数百個体のモモンガにあってきたが、初めて出会うタイプのモモンガだった。こんなモモンガがいたのか!私はとても感動したのだった。

もちろん、動画のモモンガにも感動した。
ニホンモモンガは個性が豊かなのだ。



2016/06/16

赤ん坊のようなコウモリ


ゼミ生のIさんは、「コウモリ3種におけるミクロ環境選択性」(仮)というタイトルがつけられるテーマの研究をしている。大きな飼育容器の中にレンガを配置し、それぞれのコウモリがどんな場所を選んで休息するかを調べているのだ。
それぞれ異なった場所を安定して選び、それがそれぞれのコウモリの自然条件下での生息習性と興味深い一致を示すのだ。

その内容はまだ公表できないが、いずれにしろ、それぞれのコウモリを飼育しなければならない。

上の写真は、なかなか自分では餌は食べないキクガシラコウモリに餌を与えている時の一場面だ。

口元を汚してご飯を食べる赤ん坊みたいではないか。

ちなみにIさんはキクガシラコウモリに餌をやるとき「可愛い」と言っている。
母性本能をくすぐるのだろうか。

クーちゃん!どうしたの!



どーしたのクーちゃん。なんでまたそんなへんてこな貝殻を背尾ちゃったの!ヤドカリといえばは普通ー、背負うのは一番下の写真のような貝でしょ。

きっといろいろあったんだろうね。かわいそうに。

なになに、お前がこんな貝殻しか水槽に入れてないからだって!?


餌を食べながらカメラに近づいてきて驚いて逃げるオカヤドカリのターちゃん


最初に断っておくが、タイトルの「ターちゃん」というのは今思いついた名前であり、昔からそう名付けていたわけではない。

学生の研究のため、オカヤドカリを飼育するようになって約3か月。ひたすら彼らのさせたいようにさせてきたかいがあって、最近になってやっとオカヤドカリの暮らし方の基本がわかっていたような気がする。

彼らは日中は基本、砂の中にもぐって休息しており(結構深く潜る個体もいる)、夜になると砂から出てきて歩き回り、餌を食べ、水を飲む。

目の前を影が移動するとすぐに殻の中に身を潜めるのでなかなか撮影は難しいのだが、今回、ターちゃんの知られざる行動の撮影に成功した。皆さんにご紹介したい。

題して、「餌を食べながらカメラに近づいてきて驚いて逃げるオカヤドカリのターちゃん」・・・・だ。

少し長く感じられるかもしれないが、何事も辛抱だ。辛抱の後に感動がやってくる。

ではどうぞ。

2016/06/15

ツキノワグマに襲われそうになったら


車で走っていて、信号で止まったら窓から赤と白のポールが見えた。
そのポールを見て、あることを思い出した。

よく山に行かれる同僚のK先生は、山で突然ツキノワグマに出会ったら、そのポール(先が尖っている)で応戦するという(測量のために常備しておられるのだろう)。

やはり山に、というか森によく行かれるN先生と私は、以前から、ツキノワグマと突然遭遇して襲われたら、「懐に飛び込んで抱きかかえ(前肢での一撃が届かないような態勢になっておいて)、鉈で一撃!」という戦法でお互いに納得してきた。

ところが、ここにきて、ポールで突いて応戦するという新たな戦法に出会ったわけだ。
正直に言うと、私は少なからず動揺した。

K戦法とNK戦法、実際にどちらが有効なのだろうか。それとも強力なツキノワグマの力の前では、どちらの戦法も木っ端みじんに砕け散るのだろうか。

あー、確かめてみたい。腕がなるゼ。

2016/06/14

えっ、赤い鳥?!


駐車場で、日本の鳥とは思えない赤い色の鳥を見かけた。

これはまた、何か”事件”かもしれない(何か、貴重な出来事の発見かもしれない)、と慎重に慎重に近寄って行ったら、”赤色”の理由が分かった。

その理由というのが下の写真だ。


車体の赤がお腹に映ったツバメだったのだ。

なんだー、と思ったが、よく考えてみると人生で初めて体験した”貴重な出来事の発見”とも言える。

面白い。

2016/06/13

間伐材で焚くエコ風呂”ももんがの湯”のタオル


皆さんは、鳥取県智頭町芦津にある、間伐材で焚くエコ風呂”ももんがの湯”のタオルが、なんと、色違いの4種類に増殖していたことをご存じだっただろうか。

私は知らなかった。

地域の参謀の方々、
ただものではないな・・・・。


モリアオガエルの産卵の季節、全開










野外のモモンガケージのすぐそばに、学生と私が12年前に、レンガでつくった池がある。

毎年、そこでモリアオガエルが産卵していることは、ブログでも何度かご紹介してきた。

今年もすでに何個かの卵塊が産み付けられたのだが、先日行ってみると、産卵のラッシュが始まっていた。

 野生生物は人に体験の喜びを与えてくれ、ヒトは野生生物に、生息の場所をできるだけ返してあげる。

 世界は今、大変な時だけれど、それぞれの地域で、その地域の状態に合わせてできることをやる。それが地に足をつけた生き方なのではないだろうか。

2016/06/11

洞窟の中では柿の種もモヤシのようになる!


今日、海の近くの、とある洞窟に(コウモリの調査で)行ったら、上の写真のような、奇妙な植物に出会った。

一緒に行ったUくんは、モヤシみたいだ・・・と言ったが、確かにちょっと大きめのモヤシのように見えた。

でも近づいてしっかり見たら、それは柿の種が発芽したものだった。

柿も、真っ暗闇で発芽すると、モヤシみたいな状態になることを生まれて初めて知った。

へーっ、そうなんだ!

ちなみにその柿の種は、ハクビシンというイエネコを一回りか二回り大きくしたくらいの雑食性の哺乳類が、洞窟の外で柿の実を食べ、洞窟の中で糞をして、地面に落とされたものだ。

なぜそう言い切れるのか、とあなたは問うかもしれない。

私は、洞窟の中で、そのハクビシンに何度か会っているのだ。彼らの糞のことも知っているのだ。

いずれにせよ、やはり自然は意外性に満ちている。

洞窟の中の子ヒキガエル



今日、コウモリの調査で、とある洞窟に行ったら、中で、小さい子ヒキガエルに出会った。

背中には、小さいけれど毒性の液体を分泌するイボをもち、目の後ろには、やはり白い毒性の液を出す突起部をしっかりもっていた。

つまんで手の上に乗せると、いっぱしに親ガエルがやるように腹を膨らませ懸命に防衛行動を行った。

なぜ洞窟の中にいるのかはわからない。でも、その面構えは、子ヒキガエルがただものではないことを物語っているようないないような・・・・。

自然は意外性に満ちている。

イソヒヨドリが巣立ちしたヒナに餌を与える動画


大学の駐車場の境界に育つケアキ(成長不良で上のほうには葉がなく私はちょっと心配している)の枝に、今日は朝から何度もイソヒヨドリの姿を見た。そして尾を振りながら独特の声で鳴くのである。ちなみに、このイソヒヨドリ、ここ数年の私の注目動物の一つだ。ここ数年の間にあれよあれよという間に、ヒトの居住地に生息域を広げ、大学でも2番が明らかに繁殖している。
私の”当たるも八卦当たらないも八卦”の推察によれば、あと数年後には、イソヒヨドリが以前のスズメのようなとても身近な鳥になっている可能性が高い。

これだけ同じ場所に姿を見せ、そして鳴くということは、彼らの人生ならず鳥生のなかで重要な意味があるのだと思い、私も、何度もその場に姿を見せ(決してコバヤシは暇だ、とは思ってはいけない。大変な仕事の合間を縫って何とかやってきているのだ。野外ケージのモモンガたちも、飼育室のコウモリたちも、放牧場のヤギたちも、それとそれ以外の2,3の動物たちについてもそうだ。とても忙しい仕事の、ちょっとした合間を縫って何とか見に行っているのだ)、様子を観察していた。

そして私は、イソヒヨドリがいつも口に虫をくわえていることをに逃さなかった。
そして私は次のような仮説を立てたのだ。

イソヒヨドリ(たいていはオスだった)は、巣を出たヒナに餌を与えているのではないか。

もしヒナが巣にいるのなら、ケアキの上で鳴きながら油を売っていたりせず、すぐ巣のところに行けばよいではないか。
ケアキの上で尾を振り鳴いているのは、巣を出て近くに潜んでいるヒナに、自分が餌をもってきたことを知らせているのではないか・・・・そう推察したのである。これまでの私の野生のたくさんの経験がそんな可能性を私に告げていた。

そして、何度目かの観察でその推察は当たっていたことが明らかになった。
イソヒヨドリが鳴いていると、ケアキの下の駐車場の一番隅に止めてあった車の影から可愛いヒナがちょろちょろと出てきて、それを見たヒヨドリは、さっと飛び立ってヒナのそばに降り立ち・・・・・。

あとは動画で見ていただきたい(いまいち見にくいが)。

このようにして私は、やがて彼らの保護になくてはならなくなる、野生生物の生きざまを、目と心に焼き付けているのだ。

私はとにかく忙しいのだ。




2016/06/09

動物は語るよねー




光と影と動物たち. イヤイヤ、そんな表現じゃとてもとても。


動物は語るよねー.

2016/06/08

失意の私は海に行った



日曜日、久しぶりに、少し本の原稿を書く時間ができたので、数日まえに宣伝した「先生、●●しました 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」第10巻に続く11巻のスタートに挑んだ。いや挑もうとした。

ところがだ、はじめてみると大変な事実が明らかになってきた。

まだ一つ目の話だが、これまでコツコツと書き続けて6割がたWordに打ち込んでいたそのファイルがどこにもないのだ(アナグマについての話だ)。私はアナグマに、いやキツネにつままれたような気分になっていろいろなメモリーやクラウドの中まで必死に探したのだけれど・・・・ないのだ。ちなみに原稿は、Wordに打ち込んだ分はもう存在しない。捨てたのだ。
私は、探し続けて疲れ果てて、とてもとても悲しい気分になってほとんど寝込んでしまった。
推敲を繰り返しながら、結構よく書けていたのだ。もうあれほど巧みには書けないだろう。そんなことを考えるといよいよ失ったものの大きさに押しつぶされそうになった。

あー、もう駄目だ!
これまで一度だけそういうことがあったが、今回はなぜかその時よりショックがずっとずっと大きかった。
あー、もう駄目だ!

しかし、私も野生の子。しばらくして、このままではせっかくの一日がダメになる。なんとかせねば、と反発心がメラメラと湧き上がってきた。

よしまずは海へ行ってみよう。それから大学へ行き、日課のコウモリへの餌やりだ。
なぜ海か?

家の近くの低い山では蚊にやられると思ったのだ。
その点、海には蚊がいない。そして家のすぐ近くに私がフィールドにしている顔なじみの砂浜がある。
それにほら、演歌ではだいたい、心が傷ついたときは海に行くではないか。そこへ行って波打ち際の生物を見れば元気も出るかもしれない。そんなことを思ったのだ。

そんな私の心の傷を知っているかのように、海は素敵なものをプレゼントしてくれた。その海と、海のプレゼントが上の写真である。

プレゼントは、ヒトデとウニの骨格である。
ヒトデとウニは、どちらも棘皮動物と呼ばれる動物で、外骨格の動物の中では我々ヒトに最も近い仲間なのだ。

私はヒトデとウニの、自然物に備わった特有の美しさに癒され、これくらいのこと、ちっぽけなことだと空威張りしながら大学へ向かったのだった。

そのあとの話はまた今度。

2016/06/07

私はレトルトカレーに嫌われている?


昨日、レトルトカレー3個が、車の座席の下から見つかった。もちろん未開封である。

先週の大学の、一泊二日の野外実習で、二日目の昼に谷川のほとりで温めて食べる予定だったものである。

学生の中には忘れてくるものもいるかもしれないと、とても優しい心の持ち主である私は、私の分と、あと二人分余分に買っていたのだ。

今回は(今回こそは!)絶対忘れないようにと、早々と買って、忘れないようによく目立つ助手席に置いていたのだ。

あれは2年前(芦津渓谷での実習二日目の昼は、ご飯とレトルトカレーと決めているのだ)、レトルトカレーを忘れた。学生たちが気の毒がって少しずつ分けてくれた。おかげで忘れなかった時よりカレーの量は多くなった。でも、もう決して忘れまい、と心に誓った。

1年前、ゼミの合宿での二日目の昼。「鍋に入れて温めるので出してください」との指示に、「もってきたぜ!」と元気に取り出したところ、それはレトルトカレーではなく、ルーだった。

どちらも紙の箱に入っていて紛らわしいのだ。
その時も、みんなから分けてもらった。

そして今年だ。
もう失敗は許されない。

でも失敗した。

2016/06/05

先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!


私は、2006年から毎年、「先生、●●しています ― 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」(築地書館)というタイトルの本を書いてきた。

今年、10巻目となり、そのタイトルがブログのタイトルの「先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!」というわけなのだ。

上の写真は、本の宣伝キャンペーンの一環としてつくられた宣伝はがきの表(裏?)であり、下は裏(表?)である。


正直、コンスタントに1年に1冊以上、本業である大学での教育・研究等の合間に書くのはそれなりに大変だ。

でも実は、ある意味逆でもあるのだ。一人密かに、また学生たちと一緒に、生物まみれになって活動し、研究のヒントを得たり、そして「先生、●●しています ― 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」を書くことが、私を支えてくれているのだ。
「先生、●●しています ― 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」のなかの一章一章を、ある時は次々と溢れ出る文章にやっと追いつきながら書きとめたり、七転八倒しながら書いたりして、記憶の世界から文章の世界にやってきた生物たちが、私を励ましてくれるのである。

わずかな時間のなかで自分が本のなかに再現した生物たちは、過去に触れ合ったリアル生物
と同様に私が本業に向かう力になってくれているのである。文中には、論文になった内容も多く含まれており、教育・研究を楽しく感じる機会も与えてくれる。

さて、私は以上の文章のなかで何回「先生、●●しています ― 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」と書いたでしょうか。
皆さんの記憶のなかに多少とも残ったりはしなかっただろうか。

区切りの第10巻目ということで、築地書館さんも、賞品を用意されたり、基本白黒の文中の写真を今回はカラーにされたり、あるいは今回の表紙を、この日のために取っておいた切り札の”金色”にされたり・・・・充実の1冊(もちろん内容も)が出来上がっている。嘘だと思うなら読んでみていただきたい。




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